「無意識の偏見」の意味。インド出身のハーバード大学教授バナージMahzarin Rustum Banaji(1956― )らが潜在的な偏見を測定する方法を開発・研究するなかで、本人が気づいていない偏りのある見方をアンコンシャス・バイアスと称するようになった。しかし、学術的研究の分野では、潜在的態度、あるいは偏見として扱われることがほとんどであり、企業研修などの場、あるいは官庁が取り上げた事柄としてよく用いられるようになった。
「バイアス」のもともとの意味はゆがみであるが、アンコンシャス・バイアスということばのなかにおいては、ほぼ偏見を意味するように用いられており、偏見の対象は、ジェンダー問題、セクシュアリティ問題、人種問題、民族問題、職業問題、障害者問題など多岐にわたる。海外では、人種や民族の問題が大きいが、日本ではジェンダー問題で取り上げられる傾向が強い。たとえば「家事・育児は女性が行うもの」「女性は細やかな配慮ができる」「女性ならではの発想がある」といった形で、本人がそれ自体を差別と気づかないレベルも含めて、さまざまな自覚不足のレベルにおいて発言にアンコンシャス・バイアスが現れる傾向がある。
アンコンシャス・バイアスが生じる源泉として、人はもともと事象をカテゴリーでとらえる傾向が強く、それを人や集団にも当てはめ、決まりきった型(ステレオタイプ)として認識していることがあげられる。それ以外に、歴史的な要因による集団間の対立において、相手方をおとしめる意識があり、それがステレオタイプを強めることにつながっているとも考えられる。ステレオタイプは認識的な側面であるが、これに感情的な要素が加わると、偏見とよばれる見方が現れ、それが行動レベルで不当に異なった対応を強制する場合に、差別とよばれる状態になる。したがって、ステレオタイプ、偏見、差別はレベルの異なる密接に関係した概念であるが、アンコンシャス・バイアスは、このすべてのレベルに対応して用いられる傾向がある。
また、不用意な差別的な行動に対して、アンコンシャス・バイアスということばを使うことがある。たとえば、本人の意向を無視して女児に赤いランドセルを与える場合、アンコンシャス・バイアスであるといえる。
「障害者は能力が低い」「開発途上国の人たちは日本人よりも能力的に優秀でない」などは、明確なアンコンシャス・バイアスであり、間違った考えであるといえる。
こうした誤った思い込みは、グローバルに業務を展開する企業や政府などの組織においては見過ごせない問題である。差別発言による悪影響が深刻に現れるのはもちろん、日本の男女差別に対する意識の遅れと相まって、先進国において評判がかならずしもよくない日本の差別的現状を示すものとして理解されている。
対策としては、周囲の意見をよく聞く、人と一個人として対する、相手の立場をおもんぱかり尊重するなどのほか、制度的に男女同数を実現していくなどの取組みが必要であり、こうしたことにより社会の意識を変容させることが可能とされている。