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生没年不詳。中国、蜀(しょく)(10世紀)の画家。唐末五代の騒乱期に四川(しせん)省にあった蜀では、唐風絵画が継承され、水墨画が展開しつつあったが、石恪はその代表的水墨画家の1人。名は子専。成都の人で、初め火の画で著名な張南本(ちょうなんぽん)に師事した。蜀が平定されて宋(そう)となると、960年ごろ汴京(べんけい)(河南省開封市)に出て、相国寺の壁画を描いた。太祖(たいそ)の画院の職を授けられたが断り、許されて蜀に帰る途中に没した。道釈(どうしゃく)人物画を描き、正統的な画風をもっていたと思われるが、「筆墨縦逸で規矩(きく)を専(もっぱ)らにせず」と伝えられており、六朝(りくちょう)・唐以来の伝統に依拠しながら、表意性の強い水墨の墨技を駆使して人物画の形相を変えて宋代絵画の一源泉をなしたと考えられている。石恪の作品として『二祖調心(にそちょうしん)図』(東京国立博物館)が伝存するが、これは粗筆で衣文(えもん)を荒々しく一気に刷(は)いた水墨人物画で、石恪画風を伝える模本と考えられ、当時の画風を知る好作例となっている。