角膜は、目の表面の黒目の部分を覆う厚さ約500マイクロメートル(1マイクロメートルは1ミリメートルの1000分の1)の透明な組織である。目の中に光を通す窓の役目をしているこの角膜が混濁したり、ゆがんだりしてしまうと視力に支障をきたす。現在、角膜混濁に対してはエキシマレーザーを用いて混濁部分を切除し治療する方法も開発されているが、混濁が深い場合やゆがみが大きい場合には、これを新しい角膜と交換する必要がある。角膜移植は病気の角膜を透明でゆがみのない健康な角膜と置き換える手術である。この手術のために必要な角膜を確保し、安全性と質を確認して角膜移植医師へ提供する機関がアイバンク(眼球銀行)である。
角膜移植は1789年にペリー・ド・クァンシーG. Pellier de Quengsy(1750/1751―1835)が最初に試みた。当時はカトリックの勢力が根強く、人体より眼球を摘出することができなかったので、ガラスを使って移植したところ、ただちに脱落して失敗した。ついでウサギの角膜をネコの角膜へ移植したり、ウサギからウサギへの角膜移植実験が行われた。また、母親がわが子のために自分は犠牲となって一眼を移植したが、その当時は技術的に未熟であったために成功しなかった。1906年になってツィルムEduard Konrad Zirm(1863―1944)が初めて生体の角膜移植に成功したが、1922年ごろからソ連のフィラトフВладимир Петрович Филатов/Vladimir Petrovich Filatov(1875―1956)が死体角膜を使用し全層移植を試み、ついに1928年に成功、画期的な成果となった。これを契機として角膜移植が急速に発展し、とくにアメリカで盛んに行われ、アイバンクも発足した。
当時、日本では屍体(したい)解剖保存法があって、学術研究のために死体から臓器を摘出しても差し支えないが、そのほかの目的で行うと死体損壊罪により罰せられた。眼科学者は海外の優秀な成績をしばらく静観していたが、なんとか欧米の技術に追いつきたい一念から、動物を用いた研究を重ねた。そして1949年(昭和24)11月に、岩手医科大学眼科学教授今泉亀撤(きてつ)(1907―2009)が日本で第1例目となる角膜移植を行い、成功させた。1956年3月には非公式の「目の銀行」が岩手医科大学に発足した。ところが、1957年10月に今泉が行った移植手術に対し、死体損壊罪にあたる疑いがあるとのマスコミ報道がなされ、今泉が検察庁の取調べを受ける事態となった。各方面からの努力もあり不起訴となったが、善意をもって行う医療行為が法の網をくぐりながら行われなければならないのは不合理であるという意見が強くなり、議員立法として「角膜移植に関する法律」が1958年に成立した。
この法律は2部からなり、第1部は角膜移植のためであれば死体から眼球を摘出しても差し支えないという規定、第2部は眼球斡旋(あっせん)業、いわゆるアイバンクの規定である。これが、日本における角膜移植医療の正式な第一歩となった。
なお、この法律は腎(じん)移植の普及とともに1979年「角膜及び腎臓の移植に関する法律」に再編された。その後、1997年(平成9)「臓器の移植に関する法律(臓器移植法)」(平成9年法律第104号)の成立に伴い、「角膜及び腎臓の移植に関する法律」は廃止された。現在、角膜移植は臓器移植法に基づいて行われており、死亡した者が生存中に角膜移植のために角膜を提供する意思を書面によって表示しており遺族が同意するときは、同法に基づき、脳死者からも角膜を摘出できるようになった。また、2010年(平成22)の同法改正で、死亡時に配偶者および1親等の親族(子および父母)に対して優先的に角膜を提供したいという意思表示ができる「親族優先提供」の制度が設けられた。なお、ドナー(角膜提供者)が心臓死の場合は、生前の書面による意思表示がなくても、遺族の書面による同意があれば摘出できる。
角膜以外の目の組織が傷んでいると視力の回復は期待できないので、あらかじめ術前検査が必要である。
(1)細隙灯(さいげきとう)顕微鏡検査によって、角膜の混濁の状態をはじめ、炎症や癒着の有無、血管の侵入の有無などを調べる。
(2)眼圧測定を行い、眼圧が高ければ移植手術は行わない。眼圧が低い場合も、毛様体萎縮(いしゅく)のおそれがあるので注意を要する。
(3)緑内障負荷試験によって、緑内障になる素質のある目かどうかを調べる。角膜移植手術が大きな外傷性炎症となり、場合によって眼圧が上昇することがある。
(4)網膜電位図(ERG)は電気的反応による網膜機能の検査で、これによって角膜移植手術の可否を決める。
腎臓移植などでは血縁者から片方の腎臓を提供してもらい移植することも行われているが、角膜移植では基本的にドナーからのアロ角膜(他人の角膜)を移植する。ただし、近年、再生医療の進歩から、角膜の上皮に関しては、自己細胞による移植が行われることがある。これについては後述する。
一般的な角膜移植では、直径約7.5~8.0ミリメートルの角膜中央部分をドナー眼球から採取し、これをレシピエント(受容者)に移植する。移植片は10-0ナイロンとよばれる細い糸を用いて縫合する。この際、ドナー角膜がゆがんで乱視を発生しないようにすることが重要である。
また、採取した角膜にすべて入れ替えるものを「全層角膜移植」というが、近年では悪い部分のみを移植する「パーツ移植」が行われるようになってきた。角膜は大きく分けて、上皮、実質、内皮に分けられる。上皮のみの移植を「角膜上皮移植」、上皮から実質の上層部のみを移植する方法を「表層角膜移植(LKP)」、角膜内皮を残し、上皮、実質をほぼすべて移植する方法を「深層表層角膜移植(DLKP)」という。この内皮を残す表層角膜移植、深層表層角膜移植は、拒絶反応のリスクを大幅に低下させることができ、とくに深層表層角膜移植は患部が実質全体に及んでいる場合でも選択が可能なため、現在では主要な術式となりつつある。また、角膜内皮の疾患には、角膜内皮のみ移植する「角膜内皮移植(DSAEKやDMEK)」も近年増えている。これにより、全層移植後に起きやすい乱視のリスクが大きく低減された。患者本人の角膜を部分的にも残すことで術後の状態をよりよくするこれらの技術により、角膜移植は一段と質の高い移植医療となってきている。
術後は通常の臓器移植のようにシクロスポリン(サイクロスポリン)Aなどの免疫抑制剤は必要なく、ステロイド点眼だけで炎症を抑制する。なお、腎臓や肝臓などの移植の際には組織適合性抗原(HLA)を一致させる必要があるが、角膜移植においては必要ない。
角膜の寿命は200年といわれているので、角膜が透明で以下に述べるような問題がなければ、近視や乱視、白内障の者でもドナーになれる。また、科学の進歩により内皮細胞検査が可能となったため、年齢制限もなくなった。
角膜はHLAの一致は必要ではないが、角膜の上皮細胞、角膜実質、内皮細胞のうち内皮細胞は分裂しないため、内皮細胞の数が重要となる。スペキュラマイクロスコープで測定して、1平方ミリメートル当り2000以上の細胞数を保持する角膜が移植に適した角膜と考えているアイバンクが多い。
ドナー適応の判断については、下記「眼球提供者(ドナー)適応基準」(2023年〈令和5〉11月24日改正、12月1日適用)により実施されている。
〔1〕眼球提供者(ドナー)となることができる者は、次の疾患または状態を伴わないこと。
(1)原因不明の死、(2)全身性の活動性感染症、(3)HIV抗体、HTLV-1抗体、HBs抗原、HCV抗体などが陽性、(4)クロイツフェルト・ヤコブ病およびその疑い、亜急性硬化性全脳炎、進行性多巣性白質脳症等の遅発性ウイルス感染症、活動性ウイルス脳炎、原因不明の脳炎、進行性脳症、ライ症候群、原因不明の中枢神経系疾患、(5)眼内悪性腫瘍(しゅよう)、白血病、ホジキン病、非ホジキンリンパ腫等の悪性リンパ腫。
〔2〕次の疾患または状態を伴う提供者(ドナー)からの眼球の提供があった場合には、移植を行う医師に当該情報を提供すること。
(1)アルツハイマー病、(2)屈折矯正手術既往眼、(3)内眼手術既往眼、(4)虹彩(こうさい)炎等の内因性眼疾患、(5)梅毒反応陽性、(6)HBc抗体陽性。
アメリカでは、1980年にMKミーディウム(以下MK)という角膜保存液が開発され、角膜移植は急成長を遂げた。MKは、人工的に眼房水(目の中の水)と同じような条件を供給することによって1週間の保存を可能にする保存液である。従来の全眼球保存では24時間が限度であった。しかし、摘出した眼球を強角膜片にしMKに保存すると1週間の保存が可能なため、時間的に余裕が生まれ、感染症のチェックの問題も解消し、角膜の使用率が一気に向上した。全眼球保存の場合は緊急手術が必要であったが、MKにより予定手術が可能となり、万全の態勢で臨めるようになったのである。
アメリカのアイバンク・アソシエーション・オブ・アメリカ(EBAA)が発足したのは1961年であるが、この保存法を取り入れた1980年以降、急成長を遂げている。現在は、MKより優れたオプチゾールやK-ソルなど10日は保存できる保存液が使用され、より余裕をもった角膜の供給が行われている。
日本でも、1990年代に入って、組織培養液を用いて角膜切片を作成し、これを保存する方法が導入された。このような方法では、通常保存期間が7~10日になるためとても有用である。現在、日本でも角膜切片にして角膜保存液を使った保存方法が一般的となっている。
1999年(平成11)に坪田一男(1955― )らが発表した角膜上皮の幹細胞移植の臨床報告から、角膜上皮に関しては再生医療が急速に発展してきた。患者本人に残っている角膜上皮の幹細胞を培養して上皮シートを作成し、移植する。本人の角膜上皮の幹細胞が残っていない場合は、親族の幹細胞を採取して作成したり、本人の口腔(こうくう)粘膜の細胞を培養したりして移植する方法も開発されている。これにより、従来では治療不可能とされた化学外傷などの眼障害などに治療の道が開けた。現在はiPS細胞(人工多能性幹細胞)などを利用した角膜実質や内皮の再生の研究が盛んに進められている。
再生医療の実例としては、京都府立医科大学の木下茂(きのしたしげる)(1950― )らのグループはドナーの角膜内皮細胞を培養して前房内に入れ、患者の角膜内皮を再生する手法を確立、治験の応用まで進んでいる。慶應義塾大学の榛村重人(しんむらしげと)、羽藤晋(はとうしん)らはiPS細胞から角膜内皮様細胞を作製し、角膜内皮不全症の治療に用いている。将来はiPS細胞由来の細胞によって、アイバンクで必要とされる角膜の数が劇的に減ることも期待される。
また、スティーブンス-ジョンソン症候群などの重症な角膜上皮障害に関しては、涙が移植後の治癒率に大きく影響をする。そのため、涙腺の再生の研究も進められており、動物実験ではiPS細胞から涙腺様細胞を誘導し、そこから涙腺前駆細胞を単離して三次元培養することで、成熟した涙腺組織に分化させることにも成功している。
角膜移植は、ただ単に角膜の透明性を維持するという考えから、術後いかに乱視をなくすか、近視・遠視を引き起こさずに実用的な視力を与えられるか、というレベルまで医学水準が上がってきた。さらに、深層表層角膜移植の進歩により拒絶反応のない角膜移植が可能となってきた。乱視を起こさないための方法にはさまざまなものがあるが、その一つに「シングル・ランニング・スーチャー」という10-0ナイロン糸によって連続縫合を行い、手術中および術後にこれを微調整することによって乱視を減らす方法が一般化している。また、エキシマレーザーにより屈折異常を矯正する方法も開発され(2000年1月28日厚生省認可)、移植後の視力をより高める新たな治療方法として注目されている。
角膜移植のためには、いまのところまだドナー角膜が必要である。日本においては、年間2万件の角膜移植手術が必要と推算されているが、年間の移植件数は減少傾向が続いており、2011年度(平成23)末時点で1586件だったのが、2021年度(令和3)末には814件にまで減っている。そのため、海外から角膜を輸入して治療するケースも増えている。
日本では角膜移植に対する認知度は高く、移植への同意も多いものの、現状では医療に反映されているとはいいがたい。そのため、アイバンクのシステムの整備が必要とされている。