中国経済が高度成長期を終えて中高速成長期という新たな段階に入っていることを示す経済用語(ニューノーマルとも訳される)。これには、「旧常態」ともいうべき従来の高度成長にはもはや戻れないという認識が込められている。
中国は、改革開放路線に転換してから習近平(しゅうきんぺい)政権が誕生するまでの34年間(1979~2012年)にわたって、経済成長率が年平均9.9%という高水準に達していたが、習近平政権の誕生とともに新常態に移行してからの11年間(2013~2023年)では、同6.1%に低下している。その背景には労働力の減少、市場化改革の後退、アメリカによる技術封鎖などに伴う潜在成長率の低下に加え、新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)の流行(2020~2022年)と住宅バブルの崩壊(2021年夏以降)といった短期的要因もある。当初の予想を超えた内外環境の悪化に対応するために、経済政策の軸足は「供給側構造改革」から、より包括的対応が盛り込まれた「双循環戦略」に移っている。また、政策目標は経済の高成長から、「革新、協調、グリーン、開放、共有」という五つの発展理念を体現した「質の高い発展」に移っている。
中国国家主席の習近平は、2014年5月に河南(かなん)省を視察した際、「わが国は依然として重要な戦略的チャンス期にあり、自信をもち、現在の経済発展段階の特徴を生かし、新常態に適応し、戦略的平常心を保つ必要がある」と語った。これを受けて、「新常態」ということばは、中国のメディアにおいて、中国経済を議論するときに頻繁に登場するキーワードとなった。
2014年11月に北京(ペキン)で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC(エーペック))CEOサミットの基調講演において、習近平は、中国経済の新常態の特徴として、(1)高度成長から中高速成長に転換していること、(2)経済構造が絶えず最適化・グレードアップしていること、(3)(成長のエンジンが)労働力、資本といった生産要素の投入量の拡大からイノベーション(技術革新)に転換していること、をあげた。
振り返ってみると、新常態に移行してからの中国経済の状況は当初の想定より厳しく、「新常態」ということばが中国のメディアに登場する頻度も、2015年ころをピークに減ってきている。
近年、中国における潜在成長率の低下は、おもに少子高齢化と農村部における余剰労働力の枯渇に伴う労働力の減少、「国進民退」に象徴される改革開放の後退、アメリカの対中デカップリング(切り離し)政策の一環としての技術封鎖の実施などの影響によるものである。
〔1〕労働力の減少
中国は1970年代末に改革開放政策に転換してから、豊富な労働力と低賃金をてこに輸出を増やし、「世界の工場」としての地位を確立した。しかし、近年、少子高齢化と農村部における余剰労働力の枯渇を背景に、労働力が過剰から不足へと変わってきている。
中国では、1980年に導入された「一人っ子」政策のつけが回ってくるという形で2010年ころを境に、15~59歳人口(生産年齢人口)は、従来の拡大基調から減少基調に転じ、人口の高齢化も加速した。それにより、「人口ボーナス」は「人口オーナス」に変わった。一方、農村部から都市部への大規模な労働力の移動を背景に、同じ2010年ころに、それまで農村部が抱えていた余剰労働力が解消され、中国は発展過程における完全雇用の達成を意味する「ルイスの転換点」を通過したとみられる。
中国における生産年齢人口の減少と農村部における余剰労働力の解消は、生産要素である労働力の減少をもたらしている。そのうえ、生産年齢人口と比べて老年人口の貯蓄率が低いため、高齢化の進行は家計部門を中心に、国全体の貯蓄率を低下させている。それに伴う資金不足による投資(資本ストックの拡大)の鈍化は、労働力の減少とともに、潜在成長率を抑える要因となっている。
〔2〕改革開放の後退
習近平政権になってから、鄧小平(とうしょうへい)路線の見直しが進められ、市場化とグローバル化を中心とする改革開放が後退してきた。
まず、市場と政府の役割について、鄧小平路線の下では、資源配分における市場の役割が重視され、経済改革の軸が市場化改革に置かれた。これに対して習近平政権は、資源配分における政府の役割、なかでも産業政策や、イノベーションにおける挙国体制などを重視している。
また、所得分配について、鄧小平路線の下で政府は経済発展を優先すべく、「先富論」を根拠に格差の拡大を容認した。これに対して、習近平政権は格差を是正すべく、貧困撲滅に力を入れ、「共同富裕」を目ざしている。
さらに、所有制について、鄧小平路線の下で政府は市場化改革の一環として、国有企業の民営化などを通じて、国有企業の退場と民営企業の発展(国退民進)を推進した。これに対して、習近平政権は、大きくて競争力をもつ国有企業を育成する一方で、「資本の無秩序の拡張」を抑えるべく、民営企業への規制を強化している。これを背景に、「国進民退」という現象が顕著になった。
そして、対外開放について、中国は長い間、鄧小平路線に沿って、西側諸国と良好な関係を維持し、世界貿易機関(WTO)への加盟などを通じて経済のグローバル化を進めてきた。これに対して、習近平政権は米中デカップリングに備えて、国際循環への依存度を減らし、国内循環を主体とする双循環戦略を進めている。
〔3〕アメリカによる技術封鎖
2018年に貿易摩擦から始まった米中経済対立は、その後、拡大と深化の一途をたどっている。中国が欧米と異なる政治経済体制を維持しながら、経済大国として台頭してきたことを背景に、アメリカで2017年に誕生したトランプ政権は、対中政策を「関与」から「デカップリング」に転換した。関与政策の下では、アメリカは中国の経済発展を支援し、これを通じて中国の政治経済体制を変えていくことを目ざしたが、デカップリング政策の下では、中国を牽制(けんせい)するために、アメリカは対中技術封鎖を中心に、両国間の経済交流を制限している。このスタンスは、2021年に誕生したバイデン政権にも受け継がれた。そのおもな手段として、(1)貿易規制の強化、(2)対内・対外直接投資への規制強化、(3)通信業を対象とする規制強化、(4)半導体関連の対中輸出規制の強化、(5)金融分野への規制強化、(6)産業政策の強化、(7)同盟国との提携強化、を進めている。
このような政策の結果、アメリカの貿易における中国のシェアはピークだった2017年の16.3%(首位)から2023年には11.3%(第3位)に低下している。また、トランプ政権が導入したアメリカによる対内直接投資への規制強化を受けて、中国の対米直接投資はハイテク分野を中心に、大幅に減少している。さらに、バイデン政権は2023年8月に、先端半導体や人工知能(AI)、量子技術を対象に、アメリカの企業・個人による中国への投資を規制する新制度を2024年に導入すると発表した。後発国の中国にとって、貿易と直接投資を通じて安いコストで海外から技術を導入することが、これまでの高成長をもたらした要因の一つであるだけに、先進国にならないうちにこの後発の優位性を失ってしまうことは、中長期の成長の大きな制約となりかねない。
潜在成長率が低下するなかで、新型コロナウイルス感染症の流行と住宅バブルの崩壊が、新常態に移行した中国における成長率の低下に拍車をかけた。
〔1〕コロナ不況
中国における新型コロナウイルス感染症の流行は2020年1月に湖北(こほく)省の武漢(ぶかん)から始まった。これに対して政府が早い段階から大規模な検査と、ロックダウン(都市封鎖)を含む人口移動制限の徹底という厳しい対策をとった結果、感染拡大は2020年2月にピークを迎えた後、いったん収束し、実質国内総生産(GDP)成長率も2020年の第1四半期に-6.8%(前年比、以下同じ)に落ち込んだ後、V字回復をみせた。
しかし、2022年3月にオミクロン型変異株の流行という形で新型コロナウイルス感染症の蔓延(まんえん)が再燃したことを受けて、政府は経済の中枢である上海(シャンハイ)、北京、深圳(しんせん)を含む広範囲でロックダウンを実施した。中国はゼロコロナ(感染封じ込め)政策を堅持したことで、新型コロナウイルス感染症の感染者数や死亡者数を諸外国と比べてきわめて低水準に抑えたが、経済の面において高いコストを払った。2022年11月に厳しすぎた新型コロナウイルス感染症対策の緩和を求めて各地で抗議デモが起こったこともあり、同年12月に政府はついにゼロコロナ政策を改め、諸外国に追随して新型コロナウイルスとの共存政策に転換した。これをきっかけに新型コロナウイルス感染症が翌2023年1月にかけて大流行したが、短期間で収束し、経済活動は正常化に向かった。新型コロナウイルス感染症が流行した3年間(2020~2022年)の年平均経済成長率は4.3%にとどまった。
〔2〕住宅バブルの崩壊
中国では、2021年夏に表面化した恒大(こうだい)グループをはじめとする不動産開発企業の債務不履行問題をきっかけに、住宅バブルがはじけた。これを受けて、多くの不動産開発企業は債務再編や倒産を余儀なくされ、住宅価格の下落とともに、他の部門の資産の目減り、ひいてはバランスシート調整をもたらしている。
まず、銀行は不動産関連の融資の一部が不良債権になり、経営の健全性を保つために全体の融資を抑えなければならない。
また、多くの不動産開発企業の取引先は、建材や工事代金などの未収金の一部が回収できなくなり、倒産を余儀なくされている。その多くは、中小企業である。
さらに、多くの家庭はローンを組んで住宅を購入しているため、住宅価格の下落は純資産の減少を意味する。この負の資産効果により、消費が抑えられる。なかでも未完成住宅の購入者は、いつまで待てば物件が引き渡されるのかという不安に駆られることになる。
そして、景気の低迷に加え、国有地の使用権の売却によって得られる土地譲渡金収入の急減を受けて、地方政府の財政状況が急速に悪化している。そのうえ、地方政府が設立した多くの融資プラットフォーム会社は、土地を担保に銀行などの金融機関から巨額融資を受けているが、土地価格が下落するなかで、資金調達が困難になるだけでなく、返済が滞るリスクが高まっている。
政府が不動産開発企業の債務再編と資金調達への支援や、住宅ローンの融資条件の緩和などを中心に、対策を相次いで打ち出したにもかかわらず、住宅市場の低迷は続いている。次の理由から、住宅市場の調整はむしろ長期化している。
まず、住宅価格は下がり始めているが、対所得比でみるとまだ高く、合理的水準に戻るまで下落する余地が大きい。
また、住宅市況が低迷するなかで、価格の上昇を見込んだ投機的需要(2軒目以降の購入)は減少している。自己居住用住宅の潜在購入者も住宅価格の一層の低下を待って、購入のタイミングを遅らせている。
さらに、住宅の一次購入者がもっとも多い30~34歳の人口は2021年をピークに低下傾向に転じており、今後、住宅に対する実需の減少は止まらないと予想される。
不動産開発、なかでも住宅開発が中国経済を牽引してきた重要な産業であるため、住宅市場の調整は新型コロナウイルス感染症の流行による景気低迷からの回復の足を引っ張っている。
当初の予想を超えた内外環境の悪化に対応するために、新常態下の中国における経済政策の軸足は、「供給側構造改革」から内需拡大とイノベーションの促進を含む、より包括的対応が盛り込まれた「双循環戦略」に移っている。経済政策の目標も、経済の高成長から、「質の高い発展」を実現することに移ってきている。
〔1〕「供給側構造改革」から「双循環戦略」へ
新常態に移るとともに、中国における経済政策の重点は従来の需要拡大を目ざす景気対策から、供給側構造改革に移った。2015年12月の中央経済工作会議において、供給側構造改革の五大任務として、(1)過剰生産能力の解消、(2)不動産の在庫の解消、(3)過剰債務の解消、(4)企業のコストの低減、(5)脆弱(ぜいじゃく)部分の補強(あわせて「三つの解消、一つの低減、一つの補強」)が示された。その主眼は、生産性の向上よりも、一部の産業における需給不均衡の是正に置かれた。
米中デカップリングが進むなかで、2020年から、「国内循環を主体とし、国内・国際の二つの循環が相互に促進する」という双循環戦略は、供給側構造改革にとってかわって、経済政策の軸足となった。その本質は、労働力の減少や対米貿易摩擦の激化といった内外環境の悪化に対応するために、対外開放を堅持しながらも、需要と供給の両面において貿易を中心とする国際循環への依存を減らし、国内循環を強化することである。
双循環戦略は、国民経済・社会発展第14次五か年計画(2021~2025年)の柱として位置づけられている。その具体的内容について、次のように説明されている。まず、内需拡大戦略の実施を供給側構造改革の深化と有機的に結びつけ、イノベーションと質の高い供給によって新たな需要を先導・創出する。生産要素の自由な移動を促し、生産・分配・流通・消費といった領域における経済活動の円滑な循環の妨げとなる要素を取り除く。また、国内循環に立脚して、強大な国内市場を整備しながら、双方向の貿易と投資の拡大を通じて国内・国際の双循環を促進する。そして、内需拡大に向けて、中所得層の拡大などを通じて消費を促進し、官民連携(Public Private Partnership:PPP)を生かしながら投資の機会を増やす。消費と投資の拡大とともに、それぞれの構造の高度化を目ざす。
〔2〕「質の高い発展」に向けて
中国は、新常態に移行してから、従来の「経済発展至上主義」から脱却し、「革新、協調、グリーン、開放、共有」という五つの発展理念を体現した「質の高い発展」を追求するようになった。
(1)革新:科学技術の革新をコアとする「新質生産力」を高め、経済発展の原動力とする。それに向けて、研究開発への投資を拡大し、人材育成を強化し、新興産業やベンチャー企業の育成を支援する。
(2)協調:地域間、都市と農村間のバランスのとれた発展を目ざす。それに向けて、労働力の移動の妨げになっている戸籍制度を改革し、中央から地方への財政移転制度を充実させ、基本的公共サービスの均等化を徐々に実現する。
(3)グリーン:環境保護と経済発展を両立させる持続可能な発展を目ざす。そのために、エネルギー構造を改革し、再生可能エネルギーの利用を拡大すると同時に、環境汚染対策を強化し、美しい中国を建設する。地球温暖化対策の一環として、「中国は2030年までに二酸化炭素(CO2)排出量をピークアウトさせ、2060年までにカーボンニュートラル(炭素中立)を実現する」という国際公約を発表している。
(4)開放:対外開放を拡大し、国際社会との交流・協力を深める。その一環として一帯一路構想を進めるとともに、自由貿易体制の維持に努めながら、多国間・二国間の投資・貿易協定に積極的に参加する。
(5)共有:発展の成果を国民全体で共有し、共同富裕を実現する。そのために財政の所得再分配機能と社会保障制度を強化しなければならない。
しかし、都市部と農村部・地域間の格差の縮小、省エネルギー・CO2排出量の抑制、一帯一路建設、貧困撲滅などの分野において一定の進展がみられるものの、生産性の低迷や改革開放の後退など、依然として改善の余地が大きい。「質の高い発展」を実現するために、公平な市場環境の構築と私有財産の保護の強化など、さらなる制度改革を通じて、民営企業の活力を発揮させることが求められる。