日本における投資信託分類で株式投資信託と対比される区分形態。公社債投信や社投とも略称される。税法上の規定に基づき、運用対象に株式をいっさい組み入れない投資信託の形態と定義される。このため、信託約款にも株式へは投資しないことが記載されており、おもな組入れは内外の公社債(国債、地方債、社債など)、コマーシャルペーパー(commercial paper:CP)、譲渡性預金(certificate of deposit:CD)、コールローンなどとなっている。公社債投資信託には、長期債中心に運用するものから、MMF(Money Management Fund)やMRF(Money Reserve Fund)のように短期金融市場の商品で運用するものまである。
公社債投資信託は、第二次世界大戦後に再開された株式投資信託からほぼ10年後の1961年(昭和36)1月に誕生した。これは、1月号から12月号まで、毎月募集・設定される定期定型の投資信託であった。公社債投資信託が生まれた背景には、投資信託のさらなる普及を目ざすほか、公社債市場育成というねらいもあった。具体的には、公社債の個人消化や政府保証債の投資信託での消化促進という、行政サイドのニーズに沿うものであった。個人消化については、(1)公社債の償還期限が7年で当時のほかの金融商品に比べて長期であること、(2)公社債の流通市場が未整備で換金性に劣ること、(3)抽選償還への対応や利子受取りの煩雑さ、などの問題を解決し、投資信託の商品構成を多様化するという意味合いもあった。発足当初の公社債投資信託は好調な募集実績を示したが、同1961年7月以降の金融引締め政策への転換に伴い大量解約が発生した。証券会社は解約資金捻出(ねんしゅつ)のための売り物を引き受けざるをえなくなり、その経理圧迫が1965年の証券不況へつながる一因ともなった。しかし、この試練期を経て以降の公社債投資信託は、比較的順調な発展を示した。
1980年1月には中期国債ファンド(中国(ちゅうこく)ファンド)が誕生した。これは、中期利付国債を中心に、国内債券やコールローンなどで複利運用される追加型の公社債投資信託で、毎日決算・分配が行われ、分配金は毎月最終営業日に1か月分をまとめて再投資する仕組みである。当時、発行後まもない中期利付国債は消化難に直面しており、中国ファンドはその受け皿としても機能した。また、ほかの短期金融商品と比較して相対的に高い利回りが提供され、購入時無手数料で、売却時も購入から30日を経過すれば無手数料になるなど、商品としての魅力があったことから、有利な短期資金の運用先を求めていた投資家にも支持され、絶大な人気を博した。ただし、2001年(平成13)4月以降は、それまでの予定分配率から実績分配率の方向に制度変更されるなど、MMFとの基本的な商品上の差異がなくなったことに加えて、日本銀行のマイナス金利政策導入の影響もあり、MMFへ統合される形で2016年に姿を消した。
公社債投資信託はまた、バブル経済崩壊後に株式投資信託が低迷するなかで、投資信託全体の元本減少を食い止める役割を果たした。ところが、1998年(平成10)の金融システム改革法などの制度改革に伴い、投資信託の商品設計に自由度が高まったことなどを背景に、株式投資信託が増加傾向に転じると、公社債投資信託は相対的なシェアを低下させているようにみえる。ただ安全性(元本の保守性)という観点からみると、市況変化にみまわれた場合などにおける、投資信託商品のなかでの代替的な受け皿という意味でも、公社債投資信託の存在意義は大きい。加えて、歴史的に公社債投資信託商品の誕生には、債券発行者や債券市場の折々の課題を巧みに解決しながら、投資家にとっても魅力的な商品を編み出してきた実績があり、この点は評価される。