経済学者。日本銀行第32代総裁(2023年4月~ )。東京大学理学部、同大学経済学部卒業。マサチューセッツ工科大学で経済学博士号(Ph.D)を取得。東京大学教授、日本銀行政策委員会審議委員(1998~2005年)、東京大学大学院経済学研究科長を歴任。東京大学名誉教授。金融論を専門とする経済学者。
日本銀行は1999年(平成11)に世界に先駆けてゼロ金利政策を導入し、「デフレ懸念が払拭(ふっしょく)されるまでゼロ金利政策を続ける」とした。この政策は「時間軸政策」とよばれており、現行の金融緩和を一定の条件が整うまで継続する方針を市場に示すことで金融緩和効果を強めるねらいがある。植田は、時間軸政策を実際の金融政策運営に反映させた立役者である。
しかし、日本銀行はゼロ金利政策を2000年(平成12)8月に、まだ需給ギャップがマイナスでデフレ懸念が払拭されていない状態で解除した。この際に、植田は審議委員として拙速な解除だとして反対票を投じた。ゼロ金利政策解除の判断に対しては政府も強く反対した。その後、アメリカのITバブル崩壊によって日本経済も景気減速すると、2001年3月にふたたび金融緩和に転換し、「量的緩和」を2006年まで続ける結果となった。このため、日本銀行が金融緩和の出口の判断を急ぎ過ぎたとみなされることが多い。
2023年(令和5)4月10日の日本銀行総裁就任記者会見で、植田は、1998年新日本銀行法(新日銀法)で物価の安定を明記して以来、その責務が未達成であることが「日本銀行と自分にとっても積年の課題」であるとして、2%の物価安定目標の実現の総仕上げに尽力すると強調した。前総裁黒田東彦(くろだはるひこ)が主導した大規模金融緩和については、「基調的にインフレ2%の達成には時間がかかりそうなので現行の金融緩和継続が基本」「安定持続的に2%に達する状況を見極めてから正常化する」と説明し、「2%物価安定目標をできるだけ早期に実現することを目ざす」と明記した2013年1月の日本銀行と政府の共同声明についても、維持することを貫いた。基本的には現状維持派とみられたが、その一方で、就任前から国債市場の流動性低下などの副作用にも言及し、これにも配慮する見解を表明してきたため、市場参加者の間では早期に政策が調整されるのではないかとの思惑が、植田の総裁就任当初から台頭した。インフレ率が3%を超える状況下で、植田は「コストプッシュ・インフレであり、いずれ価格転嫁は減衰しインフレ率は低下するし、この状態での利上げは経済・雇用にマイナス」として、2023年4月と6月の金融政策決定会合では現状維持を貫いた。
ところが2023年7月の金融政策決定会合で長短金利操作の柔軟化を実施し、10年物国債金利を0%程度に誘導し、上下0.5%程度の変動幅を容認する枠組みは維持したが、0.5%の「上限」を「目途」に転換し、上限を事実上引き上げた。これは、長期金利引上げ政策とみなせるが、植田は運用の柔軟性・持続性を高めるための調整だと説明した。同年10月には0.5%の目途を撤廃し、1%を上限から目途へ緩和し、1%を超えて変動することを容認した。
金融政策の正常化に向けた本格的な政策変更は、2024年に実施された。同年3月にマイナス金利政策を撤廃して、日銀当座預金金利(付利)をマイナス0.1%から0.1%へ引き上げた。同時に、「政策金利」を付利から無担保コール翌日物の誘導目標レンジ(0~0.1%)に転換し、10年物国債金利の誘導目標や目途の撤廃により、長短金利操作を終了させた。
ただし長期金利急騰を回避するために、日銀による毎月の国債買入れ額は保有残高をほぼ維持する水準(約6兆円程度)としたが、6月に買入れ額の減額を予告し、7月には2026年第1四半期までに3兆円弱まで段階的に減額する「量的縮小」方針を示した。大きな市場のストレスが発生しない限り、国債保有残高の緩やかな縮小を図るとした。
7月には、政策金利を0~0.1%のレンジから0.25%の単一の誘導目標金利へと引き上げること(付利は0.1%から0.25%へ引上げ)により、市場予想を上回る利上げも実施した。
これによって、金融政策運営の主要手段として政策金利を位置づけ、資産買入れは補助的手段とするアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)を含む主要中央銀行のとる枠組みに合致させた。
日銀が金融政策正常化に踏み切るのに他の中央銀行より2年程度遅れたのは、日本のインフレ率の上昇幅が欧米ほど極端かつ急速でなかったことが大きい。しかし、このころ進行していた行き過ぎた円安が長期化すると、日本銀行(植田)の表現を借りれば「第一の力」(輸入物価によるコストプッシュ・インフレ)を温存させ、日銀のインフレ見通しを上振れさせるリスクを懸念したことから、利上げに踏み切ったと解釈される。日銀が望むインフレは、「第二の力」(内需・景気拡大に基づく賃金と物価の好循環によるインフレ)である。こうしたインフレの源泉の違いを鮮明にした対応が、7月の利上げであった。