藤井 讓治
吉岡 眞之
今回、宮内庁書陵部のご許可を得て、『天皇皇族実録』を復刻することになった。
『天皇皇族実録』は、各天皇・皇族ごとに編年体で編修され、『大日本史料』と同様に綱文を立てるとともに根拠となる史料を掲げる体裁である。綱文の記述の根拠となる史料は、宮内省図書寮(現宮内庁書陵部)を筆頭に内閣文庫(現国立公文書館内閣文庫)・東京帝国大学史料編纂所(現東京大学史料編纂所)など多くの機関や寺社、民間の所蔵者などから広く収集して提示している。また検討を要する問題があればそのつど案文を付して注意を喚起するなどの配慮もなされている。当時としては高い実証性を保っており、史料集としての価値は今日でも失われていない。
『天皇皇族実録』の編修は、1915年(大正4)、明治維新後に死去もしくは臣籍降下した皇族の実録編修に着手したことから出発しており、やがては神武天皇より孝明天皇までの間の天皇・皇族の実録を完成することを目標としていた。しかしこの事業には明確な編修方針を欠いており、また編修の体制も十分でなかったらしいことなどの事情により、以後4年間に編修を完了したのはわずか4名の皇族に止まった。
1919年(大正8)、図書頭森林太郎(鷗外)は事業の前途を見通し、困難な状況を打開するため新たに編修計画を立案した。この計画はきわめて周到なもので、編修規程と凡例を定め、実録全体の史料の数量を予測するとともに編修の功程を示し、また編修体制についてもスタッフを大幅に増員し、その服務規程を定め、これにもとづいて8年間で編修を完了するというものであった。この計画は同年の内に宮内大臣の決裁を受け、翌20年から図書寮編修課で事業が開始された。
しかしその後、宮内省の定員削減の影響を受け、また実録の体様を紀事本末体から編年体に変更するという編修方針の大きな転換を行う必要に迫られるなど、さまざまな問題が相次いで生じた。このため事業は必ずしも当初の計画通りには進まず、再三にわたって期限を延長し、1936年(昭和11)にいたって1,293冊の実録を脱稿した。この間、1931年からは編修が成った実録を逐次印刷に付し、これが完了したのは1956年7月であった。収録した天皇・皇族は3,050名であり、これを本文285冊にまとめ、総目録1冊を付している。
多くの方々に利用されんことを切に願っている。
2005年12月1日