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今昔物語集(新編 日本古典文学全集・日本大百科全書・改訂新版世界大百科事典)
1000以上の説話を載せる、仏教&世俗説話の集大成 〈今昔(いまはむかし)……〉で始まる和漢混交文で書かれた1059の説話を、1~5巻「天竺(てんじく)部」(インド)、6~10巻「震旦(しんたん)部」(中国)、11~20巻「本朝(日本)仏法部」、21~31巻「本朝世俗部」の31巻で構成
行基菩薩学仏法導人語第二(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
二〔今は昔、わが国に〕行基菩薩(ぎようぎぼさつ)と申し上げる聖(ひじり)がおいでになった。和泉国大鳥(いずみのくにおおとりの)〔郡(こおり)の人である。その出生の〕時、胞衣(えな)に包まれて生れたので、父がこれを見て〔忌まわしく思い、木の枝の上に載せておいたところ、数日たって見ると、胞衣から出てものを言った。〕それで父母は取り下ろして養育することになった。
役優婆塞誦持呪駈鬼神語第三(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
の寺を〔建立〕し、不便な場所には道を作り、深い川には橋をおかけになった。文殊(もんじゆ)の化身としてお生れになったのだ、とこう語り伝えているということだ。三 今は昔、本朝、〔文武(もんむ)〕天皇(てんのう)の御代(みよ)に役(え)の優婆塞(うばそく)と申し上げる聖人(しようにん)がおいでになった。
道照和尚亘唐伝法相還来語第四(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
朝廷を恐れはばかって配所にそっといるが、夜には駿河国(するがのくに)の富士山に行って修行する。そしてひたすらこの罪の許されるように願い祈っていた。三年たって、朝廷は優婆塞に罪がないとおわかりになって召し帰され(以下、原文欠脱)四 今は昔、本朝、天智天皇の御代(みよ)に道照和尚(どうしようわじよう)という聖(ひじり)がおいでになった。
道慈亘唐伝三論帰来神叡在朝試語第五(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
の光が見えるか、どうだ」と言う。弟子が、「見えます」と答えると、道照は、「このことを言い広めるなよ」と言われた。その後、夜になってその光が部屋から出て、寺の庭の植木を輝かせた。しばらく輝いてから、光は西をさして飛んでいく。弟子たちはこれを見てひどく恐れおののいた。
玄昉僧正亘唐伝法相語第六(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
六 今は昔、聖武天皇(しようむてんのう)の御代(みよ)に、玄昉(げんぼう)という僧がおった。俗姓(ぞくしよう)は阿刀氏(あとのうじ)、大和国(やまとのくに)□□郡(こおり)の人である。幼いころ□□という人に従って出家し、仏法を学んだが非常に理解が早かった。 □□□□□□を持ち帰り、仏法をも広く学ぼうと思い、霊(れい)〔亀(き)二年、唐に渡り、〕知周(ちしゆう)法師という人を師として
婆羅門僧正為値行基従天竺来朝語第七(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
七 今は昔、聖武天皇(しようむてんのう)が東大寺を建立し開眼供養(かいげんくよう)をなさろうとされた。そのころ、行基(ぎようぎ)という人がおった。その人を講師(こうじ)に任じられたが、行基は、「わたくしはその任に不相応でございます。やがて外国から講師を勤めうる人が参りましょう」と申し上げ、その講師を出迎えるために、天皇に奏上して、百人の僧をひきつれ
鑑真和尚従震旦渡朝戒律語第八(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
途中、一人の老翁に出会った。その翁が菩提に、「文殊は日本国の衆生(しゆじよう)を済度(さいど)するために、その国に誕生なさいましたよ」と告げた。菩提はこれをお聞きになり、素志(そし)を遂げようと思い、この国に渡来なさったのである。その文殊がこの国に誕生されたというのは、行基菩薩その方である。
弘法大師渡宋伝真言教帰来語第九(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
九 今は昔、弘法大師(こうぼうだいし)と申す聖(ひじり)がおいでになった。俗姓(ぞくしよう)は佐伯氏(さえきのうじ)、讃岐国(さぬきのくに)多度郡屏(たどのこおりびよう)風浦(ぶのうら)の人である。母は阿刀氏(あとのうじ)の出であるが、聖人(しようにん)が来て胎内に入るという夢を見て懐妊し、お生れになったのである。
伝教大師亘宋伝天台宗帰来語第十(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
い出て真言宗(しんごんしゆう)をうちたて、世に広めた。するとその時、諸宗の多くの学者たちが、この宗の即身成仏の教義に疑問をもち論難する。そこで大師は、その疑問を断とうがために、清涼殿において、南に向い、大日如来の入定(にゆうじよう)の印(いん)を結び深く念じ入ると、顔の色が黄金のようになり、体から黄金の光を放った。
帰来語第十一(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
唐の絹を濃い紫色に染め、綿を厚く□た小袖(こそで)である。これをいただいて礼拝して出た。その後、帰って比叡山を建立したが、その清浄な衣を着て、みずから薬師像を造り奉った。 また、春日(かすが)神社(じんじや)に参拝し、神の御前において『法華経』を講ずると、紫の雲が山の峰の上から立ちのぼり、経を講じている場所一面をおおった。
智證大師亘宋伝顕蜜法帰来語第十二(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
って来て、人知れず聞いてみると、会昌天子はお亡くなりになり、他の天皇が即位されたので、仏法を滅すことはとりやめになっていた。 大師はかねての希望どおり、〔青竜(しようりゆう)〕寺(じ)の義操(ぎそう)という人を師として密教を学び伝え、承和十四年という年に帰朝して、顕密の教えをお広めになった、とこう語り伝えているということだ。
聖武天皇始造東大寺語第十三(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
の御もとに届けられた。その時はじめて、あの香水をとって持ってきた僧は、「和尚が香水をまかれたのはこのことだったのだ」と気がつき驚いて、他の僧たちにこの話をして和尚を尊んだのであった。「ここにおいでになりながら、宋のことが暗(そら)におわかりになるとは、和尚さまはまことに仏の化身でいらっしゃるにちがいない」と言って
淡海公始造山階寺語第十四(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
十四 今は昔、大織冠(だいしよくかん)(藤原鎌足(ふじわらのかまたり))がまだ内大臣になられず、一臣下でおありなさったころのこと、それは皇極天皇(こうぎよくてんのう)と申し上げた女帝の御代(みよ)で、その皇子で後に天皇(天智天皇)になられた方がまだ皇太子でおいでになり、この大織冠と心を合せて蘇我入鹿(そがのいるか)を誅罰(ちゆうばつ)しようとなさった。
聖武天皇始造元興寺語第十五(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
所はかわったが寺名を山階寺というのである。また興福寺(こうぶくじ)というのはこの寺のことであるということだ。十五 今は昔、元明天皇(げんみようてんのう)が奈良の都飛鳥(あすか)の郷(さと)に元興寺(がんごうじ)を建立なさった。堂や塔をお建てになり、金堂(こんどう)には□丈の弥勒菩薩(みろくぼさつ)の像を安置(あんじ)なさる。
代々天皇造大安寺所々語第十六(今昔物語)(新編 日本古典文学全集)
多くの僧が東大寺に移った。そのうち、何かにつけてこの両寺は不和となり、にわかに合戦となった。戦(いくさ)は老僧のなすべきふるまいでないにもかかわらず、いつか悪にひかれて鎧兜(よろいかぶと)をつけ、諸経典も手にせず、あちこちの堂に捨てたまま四方八方に逃げてしまった。
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