国際パラリンピック委員会(IPC)が主催する、障害者(聴覚障害者を除く)とその補助者が参加する、障害者の最高峰の国際スポーツ大会。4年に一度オリンピック開催地で開かれる。夏季大会には160以上の国と地域、4000人以上の選手が参加する巨大イベントである。パラリンピックの名称は、1964年(昭和39)パラリンピック東京大会のときに対麻痺 (ついまひ)(下半身麻痺)を意味するparaplegeaとOlympicをあわせた愛称として使われた。1988年パラリンピック・ソウル大会のときからは、「もう一つの(Parallel)オリンピック」という意味を込めて使われるようになった。パラリンピックが正式名称となったのは、1989年のIPC創設のときである。
1944年イギリスのエールズベリーAylesburyにあるストーク・マンデビルStoke Mandeville病院に脊髄 (せきずい)損傷科(後の国立脊髄損傷者センター)が開設された。センター長のグットマンLudwig Guttmann(1899―1980)は第二次世界大戦で負傷した脊髄損傷者のリハビリテーションとしてスポーツを取り入れ、大きな成果をあげた。1948年、同センターはリハビリテーションの成果を試すアーチェリーの試合(第1回ストーク・マンデビル競技大会)を開催し、16人の選手が参加した。これがパラリンピックの原点である。大会は毎年開催され、1952年にはオランダの選手の参加を得て、国際ストーク・マンデビル大会(参加選手130人)となった。その後、参加国、参加選手、実施競技数が増え、1960年ローマで開かれた大会では11競技に23か国400人の選手が参加した。
当初、この大会には脊髄損傷者だけが参加していたが、四肢などの切断や脳性麻痺、あるいは視覚障害のある選手をそれぞれ統括するスポーツ組織などがつくられたこともあり、1976年の大会以降は脊髄損傷者以外の選手も大会に参加するようになった。しかし、さまざまな障害の種類のスポーツ組織が参加することから、大会参加に伴う事務手続は煩雑になった。これを調整するため、国際調整委員会(ICC)が1982年に組織された。1989年にはこれに各国・地域代表が加わりIPCが設立された。そして、IPCは、過去の大会にさかのぼり、1960年にローマで開催された国際ストーク・マンデビル大会を第1回パラリンピック大会、1964年パラリンピック東京大会を第2回大会と定めた。なお、第1回冬季パラリンピックは1976年スウェーデンで開催された。1998年(平成10)に長野県で開催された冬季パラリンピックは第7回大会となる。
2000年、パラリンピック・シドニー大会の際に当時の国際オリンピック委員会(IOC)会長のサマランチとIPC会長のステッドワードRobert D. Steadward(1946― )が会談し、両大会の将来的なあり方について合意し、翌2001年合意書が交わされた。その内容は、オリンピック開催国はオリンピック終了後にパラリンピックを開催する、オリンピック組織委員会がパラリンピックも担当する、IOCがパラリンピック開催に際して財政的援助を行う、パラリンピック選手および役員の大会エントリー費を無料にする、パラリンピック放映権は開催国オリンピック委員会が有するなどである。これにより、パラリンピックは名実ともにもう一つのオリンピックとなった。
夏季大会で実施される競技(2021年時点)は、アーチェリー、陸上競技、バドミントン、ボッチャ、カヌー、自転車競技、馬術、5人制サッカー(ブラインドサッカー)、ゴールボール、柔道、パワーリフティング、ボート、射撃、シッティングバレーボール、水泳競技、卓球、テコンドー、トライアスロン、車いすバスケットボール、車いすフェンシング、車いすラグビー、車いすテニスである。このうち、ボッチャ、ゴールボールはパラリンピック独自の競技である。
ボッチャはカーリングやペタンクと似た競技で、的となる白いジャックボールに赤または青いボールをできるだけ近づけるように投げる。重度の身体障害があり、車いすを使用している人が参加する。障害の重いクラスでは補助者の助けを求めることができる。
ゴールボールは視覚障害者のための競技である。1チーム3人で、バレーボールと同じ大きさのコートを使用し、音の出るボールを互いに転がしあって競技する。投げたボールが相手のディフェンス3人の後ろにあるゴールに入ると得点となる。パラリンピック・ロンドン大会(2012年)では日本女子が優勝。チーム競技での金メダル獲得は日本初であった。
2020パラリンピック東京大会は新型コロナウイルス感染症(COVID (コビッド)-19)拡大の影響で、1年延期され、2021年8月24日から9月5日まで開催された。22競技539種目が実施され、世界161の国と地域および難民選手団、約4400人の選手が参加した。日本からは、これまでの最多の254人が参加、金メダル13、銀メダル15、銅メダル23を獲得した。新型コロナウイルス感染症の影響で、一部の子供たちが観戦した以外は無観客で行われたが、NHKが500時間以上放送するなど、テレビ、インターネット、新聞などでこれまで以上にとりあげられ、多くの人々の目に触れた。
冬季大会で実施されている競技(2022年時点)はアルペンスキー、バイアスロン、クロスカントリースキー、スノーボード、パラアイスホッケー、車いすカーリング。パラアイスホッケーは下肢に障害のある人が氷上でスレッジ(そり)に乗ってプレーするものである。
個人競技では、障害の状況や身体機能によってクラスが分かれており、同じクラスの選手同士で競技する。パラアイスホッケーとゴールボール以外のチームスポーツでは、各選手の持ち点が決められ(障害の重い人ほど持ち点が小さい)、コート上でプレーする選手の持ち点の合計に上限を設けることで、チーム間の公平性を確保し、障害の重い人でも参加できるようにくふうしている。
なお、ボッチャのアシスタント、視覚障害者が走るときのガイドランナー、ブラインドサッカーのゴールキーパー、自転車競技のタンデム種目(2人乗り自転車)のパイロット(前に乗る人)等では、プレーヤーや補助者として障害のない人も競技に参加している。
パラリンピック独自の競技以外では、一般の競技ルールを一部変更して障害者が参加しやすいようにくふうしている。水泳の水中スタートや、車いすバスケットボールでダブルドリブルが適用されないこと、車いすテニスでツーバウンドした球を打ってもよいことなどがその例である。
クラス分けや持ち点制は障害者スポーツ独自のものであり、公平で正確なクラス分けはつねに担保されなくてはならない。また、開発途上国のパラリンピック参加の促進や、オリンピックと同様にドーピングの根絶は、パラリンピック発展のために越えなくてはならない課題である。
2021年10月20日