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つるがおかじょう【鶴岡城】

読者カード 項目 2018年11月07日 公開

2017年03月14日 古書人さん投稿

用例:三瀬から 庄内鶴岡城下ヘ四里
『奥羽道記』 1690年 丸山可澄
語釈:中世~近世の城郭。鶴岡市馬場町に所在。大宝寺城ともいう。内川と青竜寺川にはさまれた平地に立地。標高15mの平地に築かれた輪郭式の平城。はじめ大宝寺城と称され,武藤氏の始祖武藤景頼が築城したと伝えられる。天文元年に砂越氏の攻撃によって大宝寺城は亡所となり武藤氏は居城を尾浦城に移している(来迎寺年代記/県史15下)。その後天正16年の本庄繁長の庄内攻めでも大宝寺城は焼き払われている。以後上杉氏が庄内を領有したが,本拠は尾浦城に置かれ,天正19年直江兼続によって修覆が行われたが,当時の規模は江戸期の本丸程度のものだったと推定されている。慶長6年からは最上氏の支配下となった。最上義光は当城を隠居城とするため城代新関久正に城の整備を命じ,本丸の建物が改築され,濠や土塁が整備され,さらに周囲には高禄の家臣が配置されて城下町形成の条件が整備された。改修が終了した慶長8年3月,義光は大宝寺城を鶴ケ岡城と改称した。cf.〔『新版角川日本地名辞典』@JapanKnowledge〕

コメント:取り敢えず

編集部:第2版では、立項されませんでした。

著書・作品名:奥羽道記

媒体形式:単行本

刊行年(月日):1690年

著者・作者:丸山可澄

掲載ページなど:116ページ

発行元:古典文庫