日国友の会

おおうらじょう【大浦城】

読者カード 項目 2024年07月10日 公開

2020年11月08日 古書人さん投稿

用例:累世の恥辱を雪ぐ雄図は遂に身材六尺一寸の偉丈夫津軽為信によって企画せられ、其大浦城より崛起するや、旦に一城を屠り、夕に一砦を抜き、〔津軽富士〕
『日本の山水』 1915年 河東乗五郎
語釈:中世~近世の城。弘前市五代字早稲田に所在。弘前城の北西4km,賀田集落西端に位置する。本丸・二の丸・三の丸・西の郭で構成されていた。宅地化が進み,土塁と堀の一部が残るにすぎない。文亀元年種里城(鰺ケ沢(あじがさわ)町)の南部(大浦)光信が津軽中央部に進出するために築城し,翌年その子盛信を初代城主として配した。この城を大浦城と称したので,大浦殿と呼ばれ,のちに大浦氏となる。〈以下略〉〔『新版角川日本地名大辞典』@JapanKnowledge〕

コメント:取り敢えず

編集部:第2版では、立項されませんでした。

著書・作品名:日本の山水

媒体形式:単行本

刊行年(月日):1915年

著者・作者:河東乗五郎

掲載ページなど:96ページ4行目

発行元:松本商会出版部