日国友の会

さわやまじょう【佐和山城】

読者カード 項目 2024年10月11日 公開

2021年02月21日 古書人さん投稿

用例:公安治に命し。三成が兄木工頭が籠りたる佐和山城(サワヤマジャウ)を攻めらる。〔史傳・脇阪安治〕
『太陽(第貮巻第貮号)』 1896年1月20日 依田百川
語釈:滋賀県彦根市内の北東部、標高二三二・九メートル、周囲約四キロの佐和山にあった。山城。伝承によれば、佐々木定綱の六男佐保六郎時綱がこの地に拠ったため、佐保山と呼ばれ、のち佐和山また沢山に転じたという。いま古城山とも呼ぶ。文禄四年(一五九五)石田三成が城主ととなり、佐和山を総廓とした本格的築城を行なった。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦に際し、佐和山城は三成の父隠岐守正継や兄正澄が守ったが、井伊直政らによって攻め落とされた。同五年、直政は三成に代わり十八万石を封ぜられ佐和山城主となり、西国三十六ヵ国の監視を特命された。〔cf.吉川弘文館『国史大辞典』@JapanKnowledge〕

コメント:遡ります

編集部:2012年4月9日付けで、谷口梨花『汽車の窓から 西南部』(1918)の例をご紹介いただいていますが、さらに、22年さかのぼります。

著書・作品名:太陽(第貮巻第貮号)

媒体形式:雑誌

刊行年(月日):1896年1月20日

著者・作者:依田百川

掲載ページなど:455ページ下段後ろから11行目

発行元:博文館