第0回

はじめに

はじめに

ことば遊びの多くは、同音異義の語を用いたものです。
この同音ということには、その時代の日本語に影響されます。

国語音韻史の教えるところでは、歴史的仮名遣いと同じ発音であったのは、平安前期までであると言われています。
平安後期までには、イとヰ、エとヱ、オとヲが混同し(エ・オはye・woになったと言われています)、文節の頭でないハヒフヘホがワイウエオと発音されるようになります。室町後期ころには、ジとヂ、ズとヅが混同し、またアウ・カウ・サウがオウ・コウ・ソウと、イウ・キウ・シウがユウ・キュウ・シュウと、エウ・ケウ・セウがヨウ・キョウ・ショウと、混同します。

一例をあげると、イフ(言ふ)は、平安末期までにイウになり、室町後期までにユーになりました。
ことば遊びにもこのことが反映します。『平家物語』(四・鵺)に、四位の源頼政が、

上るべき便りなき身は木のもとに椎を拾ひて世を渡るかな

という歌を詠んで三位になれたという話があります。「椎」に「四位」を懸けたものです。椎はシヒ、四位はシヰです。この時代には、イ・ヒ・ヰが同じ音になっていたから、この懸詞が成り立つので、もっと古い時代だったら、このような歌は詠めないはずです。

暁月坊(冷泉為守。1265-1328)の土地が、女院の庭を広げるために取り込まれたので、

女院のお前の広くなることは暁月坊が私地の入るゆゑ

という狂歌を詠んだという話があります(新撰狂歌集)。「私地」に「似指(男根)」を懸け、猥褻化して抗議したのですが、私地はシヂ、似指はシジですから、鎌倉時代の人がジとヂを混同することはないはずで、この逸話は狂歌の祖とされる暁月坊に仮託されたものです。

天明五年(一七八五)に出た唐来三和作の『莫切自根金生木』という黄表紙があります。漢字の字面はむずかしそうですが、「きるなのねからかねのなるき」という回文の題名です。

『百人一首』に、

かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを

後拾遺集・恋一・六一二。藤原実方

という歌があります。「かくとだにえやは」から続くのは「言ふ」、それが下へは「伊吹(地名)のさしも草」と続いてゆきます。「いふ」が懸詞ですが、「言ふ」と「伊吹(いぶき)」では清濁が異なります。懸詞などのことば遊びでは、清濁の違いを無視してもよいことになっています。

このような例はこれから多く出て来るので、初めにまとめてお断りしておきます。