第20回

さかさことば

子供のころに、「テブクロの反対は何だ」と言って、ロクブテと答えさせ、相手を六つたたく遊びをなさったかたが多いと思います。ある時期の子供は、言葉をさかさに読むことに興味を持つもので、電車に乗っていると、停車するごとにシバンシ・ワガナシなどと、駅名をさかさに読んで遊びます。

わたくしが小学一年生のときに、みんなで、タデ、タデ、ガキツ。イルアマ、イルアマ、イルマンマ、ンボ、ノ、ナウヤ、ガキツ。と歌っていた記憶があります。

明治四十三年に創刊した雑誌『白樺』の同人である武者小路実篤が、大正五年に次のように書いています。

白樺を出したとき、新潮の六号で、アホダラ経まがひにバカラシといってからかはれた。バカラシの反対がシラカバだ。しかし、そんな語呂合せが何にもならないことはわかってゐる。ともかく軽蔑されてきたことはたしかだ。雑感

楽天的とも言える人生観を嘲笑されたのを憤ったのです。

これに関連して、長野県には、用途のない白樺の木をバカラシと罵るかたもあると聞きました。

第二次大戦まで、東京の上野池の端仲町に、「たしがらや」という小間物屋があったそうです。森鴎外が明治四十四年から大正二年にかけて発表した『雁』(拾参)に、

たしがらや倒さに読めば「やらかした」と、何者かの言ひ出した、珍しい屋号の此店には、

という一節があります。

以下の引用文では、該当する語を目立つようにカタカナで表記します。なお、「さかさことば」は平仮名が続いて読みにくいので、多く倒語という語を用いることにします。

隠語

すべてがそうであるわけではありませんが、隠語の中には、倒語のものがあります。

ネタは種、ドヤ街のドヤは宿、ダフ屋のダフは札、ショバ代のショバは場所です。家宅捜索をガサ入れと言いますが、ガサは、探すのサガを逆にしたものです。

この中では、ドヤが、明和六年に出た平賀源内の小説『根無草後編』(一)に、「閻魔のドヤが知れたれば」とあるなど、江戸中期から見えています。ネタも江戸後期の例があります。

酒を飲むときにパイイチと言うのはイッパイ(一杯)の倒語で、江戸後期から例があります。

情人などをぼかしてレコと言うことがあります。コレの倒語です。浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』(六)に、

今日から金で買い切った体、一日違へばレコづつ違ふ。

とあるなど、江戸時代には金銭を言うことが多かったようです。

レコが変化したレキと言う語もあります。文献の上ではこの方が古く、延宝五年(1677)刊の『もえくゐ』に、陰茎をレキとしている例が見られます。

同じようにぼかして言う語にレソというのもあります。近松門左衛門の浄瑠璃『冥土の飛脚』(上)に、馴染みの遊女について「や、レソが言伝てしたぞ。」と言うところがあります。

グリハマという語が室町時代の禅僧による漢文の講義録にいくつか見えます。

そちに無ければこちにも無いぞ。同じものの心ぞ。ハマグリグリハマの心ぞ。玉塵抄・二六

人間のことは、仰(あふの)いつ俯(うつぶ)いつする間に、今日は明日の古へとなり、もうていて、同じものぞ。グリハマハマグリになるものぞ。四河入海・二三-一

同じようであることを表す語です。ハマグリハマグリと続けて言っていると、いつの間にかグリハマになっている、逆のようでもたいした違いはないので言うと言われています。

江戸時代になると、近松門左衛門の浄瑠璃『曾我会稽山』(四)に、「言ふことなすこと、グリハマになり」とあるように、手順や結果が食い違うことを言うようになります。語源について、大槻文彦『大言海』には、「蛤ノ殻ノ両片ノ合口ハ、極メテ密接スルモノニテ、逆ニスレバ、合フコトナシ。」と説明してあります。

グリハマをグレハマとも言うようになります。上の二音を動詞として活用させたのがグレルです。滝亭鯉丈〈りゅうていりじょう〉が式亭三馬の後を書き継いだ文政六年(1823)刊『浮世床』(三下)に、

いや、全体かたいお方でございましたが、どうしてまたグレさしったか。

とあるなど、江戸後期から見られます。

「ぐれん隊」も、このグレが語源でしょう。「愚連隊」と書くのは当て字です。

式亭三馬が文化十年(1813)刊の『浮世床』(初上)に、

しだらがないといふ事を「だらし」がない、「きせる」を「せるき」など言ふたぐひ、下俗の方言也。

と書いているように、「だらしない」のダラシは、シダラ(事の成り行き。好ましくない状態や行い)の倒語です。シダラは江戸前期から用例が見られますが、ダラシは、『浮世床』あたりが最古の例です。今日では、倒語のダラシのほうが普通になっています。

別の語をさかさにしたので、倒語であることが分かりにくいものもあります。

昭和四十年製作の高倉健主演の東映映画『網走番外地』の主題歌では、酒のことをキスと言っています。「好き」の倒語です。酒はだれもが好きなのでしょう。延享二年(1745)初演の浄瑠璃『夏祭浪花鑑』(一)の、「仲直りにしたみ(したたって溜まった酒)貰うてキスほやかう(飲もう)」など、江戸中期から見られます。

タバコをモクと言うのは、かつては煙がモクモク出るからと思っていましたが、雲の倒語であるそうです。煙を雲に見立てたのです。式亭三馬の洒落本『潮来婦誌』に「時にモクがかまらねえ(無い)」とあります。

こういう単語は、やくざとか犯罪者とかいう暗い感じがするからでしょうか、最近はあまり造られていないようですが、テレビのCMで、「メンゴ、メンゴ」(御免)というのを聞きました。やはり根強く生き残っているようです。

古い謎では、カエル、カエスなどとあったら、その語をさかさにすると解けます。これまで何度も引用した後奈良院の『なぞだて』から、いくつか例を挙げます。

きと打ち返す賽の目九つ ときぐし(解き櫛)

キトを返せばトキ。賽の目九つは五四〈グシ〉

うみなかの蛙 つた(蔦)

卯巳の中は辰、タツが返ればツタ

十里の道をけさ帰る 濁り酒

十里は二五里。ケサが返ればサケ

泉に水無うしてりう帰る しろうり(白瓜)

泉に水が無ければ白、リウ(龍)が返ればリウ

呼び返せ呼び返せ ひよひよ

ヒヨヒヨはヒヨコのことでしょうか

妻戸のまより帰る 松

ツマドのマから返ればマツ

酒の肴 けさ(袈裟?)

サカナは逆名ということ

さかづき願はくは乾くことなかれ きつね

サカヅキは逆月でキツ、ネガワクのカワクが無ければネ

錆び返りたる剣の先 ひさげ(提子。酒を注ぐ器)

サヒが返ればヒサ、ケンの先はケ

林の下の鹿は妻を返して鳴く 麓の松がね

林の下の鹿は麓、ツマを返せばマツ、鳴くのは音

年立ち返る年のはじめ しとど(鵐)

トシが返ればシト。トシの初めはト

一の谷の合戦に一の名をあげしは九郎判官義経熊谷の二郎直実これらは皆かへしあはせし故なり くぐい(鵠)

一の谷の合戦、九郎判官義経、熊谷二郎直実の一の名はイ・イ・ク。これを返して合わせればククイ

日本最古の倒語

『日本書紀』に、神武天皇の即位の日に道臣命(みちのおみのみこと)が秘密の策を受けて、「諷歌・倒語」で妖気を払った、これが倒語を用いる始まりであるとあります。味方だけに分かる隠語なのでしょうが、具体的にどんなものであるかは書いてありません。さかさことばであるとしたら、単語であったのでしょうか、文であったのでしょうか、あるいは、白を黒と言うなど、逆のことを言うのでしょうか。

文のさかさことば

以上は単語の倒語ですが、文を逆さにしたものもあります。

平安時代の漢詩人である橘在列〈ありつら〉(?-953)に「廻文詩」というのがあります(本朝文粋・一)。

寒露暁霑葉 晩風涼動枝

残声蝉嘒嘒 列影雁離離

蘭色紅添砌 菊花黄満籬

団団月聳嶺 皎皎水澄池

これは、上から読み下せば、

寒露暁にして葉を霑(ぬ)らし 晩風涼しくして枝を動かす
声を残す蝉嘒嘒(けいけい) 影を列ぬる雁離離
蘭色紅にして砌(みぎり)に添はり 菊花黄にして籬(まがき)に満つ
団団として月は嶺に聳え 皎皎(けうけう)として水は池に澄む

となり、下から読めば、

池澄みて水皎皎 嶺聳えて月団団
籬に満つ黄花の菊 砌に添はる紅色の蘭
離離として雁影列なり 嘒嘒として蝉声残る
枝動きて涼風晩(く)れ 葉霑れて暁露寒し

という別の詩になります。

この回文詩は中国で起こったものです。一字一字に意味がある漢字を用いているから、詩の意味はさほど違いませんが、逆さにしても韻を踏んでいるところが、作者の腕の見せ所です。

日本語でこれと同じ試みをしたものもあります。

大福窓笑寿が文政三年(1820)?に出した『回文歌百首』という本には、回文の歌を百首と追加二十二首とを載せた後に、

花返し月

さくらがりとひつけらして木のもとときつれは山も野もはな見よさ

を初めとする八首があり、その最後に、「右八首、下より返し御覧あれ。一首を弐首によめるざれ歌」とあります。意図するところはそれで分かりますが、右の例のように、上から読んでも下から読んでも、よく分からないものばかりです。

文政二年刊の雑俳集『折句紀の玉川』(初編)には、「一句両吟」として、

川の岸晴れ来る無雅な花筏寿山

とあり、次の行に、上下を逆に、

高い名は眺むる暮れは鴫(しぎ)の和歌

と記してあります。また、同書の四編(文政七年刊)には、同じような、

気の楽さ長閑草花其所(そこ)に咲く煕亭

草にこそ名は咲く門の桜の木

があります。いずれもそれほどの作ではありませんが、「さくらがり」の歌よりは意味が分かります。

永正十五年(一五一八)成立の歌謡集『閑吟集』に、まったく逆に読む歌謡が二首載っています。

きつかさやよせさにしさひもお一八九

むらあやてこもひよこたま二七三

前者は「思ひ差しに差せよや盃」で、酒宴の席などで思う相手だけに分かってもらえるように投げかける謎、後者は「また今宵も来でやあらむ」で、来ないのかということを逆に言うことで恋人の来るのを待つ呪文と推測されています。

いろは歌を逆に読むことがあったことは、別項「いろは歌のいろいろ」に記しました。

宝暦・明和(1751-72)ころに出た笑話本『軽口春の遊』(三)に載る「壷入りの国みやげ」という話に、浄瑠璃を徳利に語りこませて口をしめ、国のみやげにし、口を開いたら、「りけりかなはりかばすふもかなかなちののそもてさ」と二時(四時間)ほどうなったとあります。本来は「さてもその後なかなか申すばかりはなかりけり」というのですが、口から入れたものが逆に出て来てたのです。

尾崎士郎『人生劇場』(青春篇)の序章に、

仁吉が「吉良常」のことを「ぼんち」と呼んでいゐたので、それが何時の間にか彼の通り名になった。子供達は、冬でも素足であるいてゆく彼のうしろから、「ぼんちたびなし」と言ってはやしたてた。子供たちの中によくないやつがゐて、何時の間にか「ぼんちたびなし」を終ひから言ふくせがついてしまった。

という一節があります。こういう名作を考えるのは、作家ならではのことでしょう。

2004-01-26 公開