第18回

二つ文字牛の角文字

1

寛文六年(1666)に出た狂歌集『古今夷曲集』に、

前関白信尋公へ淀鯉奉るに添へて昌俊

折よくは申させたまへ二つ文字
牛の角文字奉るなり六三八

返し

魚の名のそれにはあらず暇の折ちと二つ文字牛の角文字

という唱和があります。近衛信尋は後陽成天皇の皇子、佐川田昌俊は歌道に達した武士。「二つ文字・牛の角文字」は、次に説明しますが、「こ・い」ということです。送った歌は、関白に直接に手紙を差し上げるのは失礼なので、側近の人に宛てるという形にして、「都合の良い時に申し上げてください。こい(鯉)をさしあげます」。関白からの返事は、「そちらの言う魚の名ではない、暇の折にこい(来い)」というのです。

これは『徒然草』(六二段)に、後嵯峨天皇の皇女である延政門院悦子(1259-1332)が、幼いときに父君の御所に参る人に言伝てして奉った次の歌を踏まえたものです。

二つ文字牛の角文字直ぐな文字ゆがみ文字とぞ君はおぼゆる

兼好は「恋しく思ひ参らせたまふとなり。」と説明しています。「二つ文字」は「こ」、「牛の角文字」は「い」、「直ぐな文字」は「し」、「ゆがみ文字」は「く」です。幼い皇女は、手習いで覚えた字の形を用いて謎の歌を詠んだのでしょう。

この話は江戸時代の人々に好まれたようです。井原西鶴は、

少し手を書くを種として、
所の手習ひ子ども預かり、
我がまま育ちの草を苅り、
野飼ひの牛の角文字より教へけるに西鶴織留・一・二

と、田舎の寺子屋で「い」から手習いを教えたことを書いていますし、近松門左衛門は、

同じ思ひをうち乗せて、
草刈る籠の二つ文字、
牛の角文字すぐな文字、
綱手刈り手の千草原、
招く薄を呼ぶかとて信州川中島合戦・四

と、元の歌と同じく「恋し」に用いています。

狂歌の例を見ます。

寛文十二年の『後撰夷曲集』のもの。

タバコのむキセルのラウは
すぐな文字ゆがみ文字とぞ見ゆる雁首正信(一〇一二)

すぐな文字は「し」、ゆがみ文字は「く」ですが、手元がまっすぐで先の雁首が折れているキセルの形を言ったものでしょう。

享保六年(1721)に編まれた藤本由己〈ゆうこ〉の『続春駒狂歌集』のもの。

丑の年亥の元日なりけれ[ば]
元日は牛の角文字尽きぬ世のすぐなる文字の御代ぞめでたき二六

丑年の元日が亥の日だから「牛の角文字」、「すぐなる文字」で、まっすぐな世の中と、泰平の世を祝っています。

栗柯亭木端の享保二十一年刊『狂歌ますかがみ』のもの。

世の中は牛の角文字いなものでゆがみ文字こそ絶ゆるひまなき二二二

「牛の角文字」を「い」の序詞としています。ゆがみ文字は「く(苦)」です。

江戸狂歌を代表する大田南畝(四方赤良。蜀山人)にこれを用いて詠んだものがいくつかあります。

天明三年(1783)刊『狂歌若葉集』のもの。

布袋和尚牛に乗りて唐子のひきて行く画に
寺子ども引きたる牛の角文字はいろはにほてい和尚なるかな

子供が引いている牛-牛の角文字-いろはにほ-布袋和尚と続けて、寺子屋の子供がいろはを習うことを詠んでいます。

南畝の編んだ天明五年刊『徳和歌後万載集』(雑上)に、自分の

二つ文字牛の御前の向島太郎が鯉は生けの中田屋四方赤良

という一首を入れています。中田屋は隅田川の東岸にある牛島神社(俗称、牛の御前)の近くにあった川魚で有名な料理屋、主人は葛西太郎というあだ名でした。「二つ文字」を「牛」の枕詞のように用いています。

『徳和歌後万載集』(釈教)には、

無筆誦経

角文字も書くことならで般若経読むのはうはの空覚えなり堂伴白主

いの字も書けないで般若経を読むのは上の空のそら覚えである。

というのも載っています。

南畝の狂歌・狂詩・狂文を集めた『千紅万紫』にもいくつかあります。

鯉の画に

六々の鱗(いろこ)の数を数へみんひとふたつ文字牛の角文字

三十六枚あるという鯉の鱗を数えてみよう、一つ二つ。そこから「二つ文字」と移って行き、題にあるとおり、「こい(鯉)」になります。

海老の画に

角文字の伊勢海老を見て二つ文字すぐなる文字の腰折れの歌

「角文字の」は「い」の枕詞、「二つ文字すぐなる文字の」は「こし」の序詞として用いています。

銭屋金埒〈ぜにやのきんらち〉のもとより

二つ文字牛の角文字二つ文字ゆがみ文字にて飲むべかりける

返し あとの三文字を足して

すぐな文字帯結び文字お客文字字は読めずとも飲むべかりける こいこくしやうといふことなるべし。

友人の金埒が、「こいこく(鯉濃)」で飲もうと言ってきたので、南畝は、「こいこく」というのは鯉の濃漿(こくしやう)の略だから「しやう」と付けたが、「帯結び文字お客文字」は即席の謎だから、読めないかもしれない、でも、さしあたり飲もうと返事したのです。

南畝は新しい「文字」を作りました。「帯結び文字」が「や」であるのは、帯の結びかたに「やの字」というのがあるから、「お客文字」が「う」であるのは、香道で「客」を省筆してウと書く(嬉遊笑覧・一〇下)からでしょうか。

志賀理斎が天保九年(1834)に出した随筆『理斎随筆』(一)に、

二つ文字牛の角文字直ぐな文字昔の人の恋しきやなぞ

という狂歌があります。「こいし(恋し)」となります。もとになる延政門院の歌と同じであまりはたらきがありませんが、著者としては、自分の古いことを好む趣味を言いたかったのでしょう。

2

俳諧の例を見てゆきます。

寛永十九年(1642)の『鷹筑波集』(二)のもの。

飛ぶ雁や影直ぐな文字ゆがみ文字信相

雁が竿になり(直ぐな文字)鉤になり(ゆがみ文字)して飛んでいるので、「し・く」ということではありません。

正保二年(1645)の『毛吹草』(春)のもの。

丑の年始亥の日なりければ
年は丑日は角文字の朝(あした)かな昌意

丑の年だからその縁で元日の亥(い)の日を角文字としています。『続春駒狂歌集』のものと同じことですが、こちらの方が先です。

延宝二年(1674)成立の『桜川』(夏二)のもの。

直ぐな文字に似てもや牛の角ささげ水野林元

小角豆(ささげ)を題とする句。「(うしの)つのささげ」という語は『日本国語大辞典』には出ていません。ササゲを小角豆と書くので、作った言葉かもしれません。「し」の字のようにまっすぐなササゲということでしょう。

延宝七年(1679)の『詞林金玉集』(春三)のもの。

二つ文字すぐな文字にや帰る雁忠勝

春になると雁は北国の越(こし。越前・越中・越後)の国に帰って行きます。

芭蕉の弟子の其角のもの。

角文字や伊勢の野がひの花薄(すすき)其袋

「角文字」で牛をあらわし、また伊勢の「い」の枕詞のように用いています。

蕪村に「角文字」と詠んだものが四句あります。

ででむしやその角文字のにじり書き自筆句帳

ででむし(かたつむり)にちなんで角文字と言い、その這ったあとは筆をこすりつけて「い」と書いたにじり書きの文字のようだというのです。

角文字のいざ月もよし牛祭自筆句帳

牛祭は京都太秦の広隆寺で陰暦九月十二日(現在は十月十二日)の夜に行う奇祭。牛祭の縁で角文字と言い、「い」の枕詞のように用いています。

片仮名に書く角文字や鹿の恋落日庵句集

同時の作と思われる「平仮名に書かれぬ角や鹿の恋」という句があります。秋は鹿の恋をする季節。牛の角なら「い」だが、鹿の角は平仮名ではなくて片仮名の「イ」だと戯れたのです。

沢村訥子〈とっし〉が業をその子が継げるに

角文字の筆のはじめや二日月夜半叟句集

訥子は歌舞伎俳優の沢村宗十郎の俳名。丸にいの字の紋を用いていました。二代目が明和七年(1770)に亡くなり、翌八年に次男が三代目を継ぎました。手習いを「い」の字から始めるように精進して、今は二日月のように小さくても、これから芸の世界に進んで大きくなって行けというのでしょう。

横井也有の俳文集『鶉衣』では、

つのもじや伊勢の薦野(こもの)なる山に温泉(いでゆ)あり薦野記

西は角もじや伊勢より近江の山々まで、
嶺を連ねて甚だ遠からず送月堂記

この二つは、「つのもじや」を伊勢の枕詞として用いています。其角の句と同じことです。

そちは茶杓のゆがみ文字、
口説(くぜつ)に解けし茶筅髪記余白俚歌

盆踊り用に作った歌の一節。茶杓のゆがみから、ゆがみ文字とし、それを「く」の枕詞のように用いています。

別項「いろは歌のアナグラム」に引用した六林の『つの文字』という安永四年(1775)に出た本は、いろは歌を扱ったものなので、その最初である「い」つまり角文字を題にしました。『国書総目録』によると、同じ題の俳書が、元文四年、文化六年にも出ています。

歌舞伎役者の五世市川団十郎(1741-1806)が反古庵白猿の名で著した『徒然文題』は、『徒然草』の各段ごとに、俳句と狂歌とを詠んだものです。六二段は、

二つ文字牛島かけて涼みかな
二つ文字牛の角文字少なさに茶漬にせんと眼は覚ゆる

です。俳句は、南畝の狂歌と同じように、「二つ文字」を牛の枕詞のように用いて、隅田川のほとりの牛島での涼みを詠んだもの。狂歌のほうは末の句がよく分かりません(わたくしの見た本に誤写か誤植があるのかもしれません)、コイは恋・鯉のいずれでしょうか。

川柳にもこれをいろいろに用いた句があります。

二つ文字牛の角文字娘知り柳多留・四四

思春期の娘が、こい(恋)を知るということです。

二つ文字牛の角文字生けづくり柳多留・九九

これまでいくつかあった、鯉の生け作りです。

牛の角文字は役者も女中向き柳多留・五六

蕪村にあった沢村宗十郎ですが、『柳多留』の五十六編の刊行は文化八年(1811)ですから、この宗十郎は、この年に襲名した四代目でしょう。

牛の角文字を午の日から覚え柳多留・四五

初午に牛の角から書き習ひ柳多留・五一

子供が寺子屋に入るのは二月の初午の日、最初に習うのはいろはを書くことです。この二句では、牛と午(馬)とを対比する狙いもあります。

角文字の下知牛町へ取らせ柳多留・九五

赤穂義士にいろはを言うことは、別項「いろは歌のいろいろ」に記しました。牛町は泉岳寺のある高輪のあたりの俗称。赤穂義士は四十七人、大石内蔵助はその筆頭ですから「い」、つまり「角文字」です。その下知で本所松坂町から牛町へ引き取ったのです。牛町も角文字と関わります。

明和二年、江戸の中村座初演の長唄『ふたつ文字』というのがあります。

恋はくせ者、恋は女子の癪の種

で始まります。この場合は「二つ文字」で「恋」を表すのでしょう。

大田南畝にならい、『日本国語大辞典』の「の字」という項を参照して、ほかの「文字」をいくつか考えてみました(「 」内が辞典の見出しです)。

さ 丸寝文字「さの字なり」 体を横にし、足をちぢめて「さ」の字に寝るかっこう。

二 下駄の歯文字「二の字」 下駄の歯の跡を数字の「二」にもじってしゃれていった語。

ぬ 鼠文字「ぬの字」 鼠の一筆書きのこと。

の 杖つき文字「のの字」 つっかい棒や杖をついた姿などにたとえる。

へ いいかげん文字・曲がりなり文字「への字なり」 いいかげんで手際の悪いこと。物事をどうにかこうにかすること。曲がりなり。

今までのものとこれらを使って一首詠もうとしたのですが、うまく行きません。

ゆがみ文字帯結び文字すぐな文字牛の角文字歌を詠めぬは

2003-11-25 公開