『日本近代文学大事典』と私

刊行から40年以上を経て、増補改訂デジタル版としてジャパンナレッジで公開した『日本近代文学大事典』。その改訂作業に携わった編集委員や、旧版の項目執筆者、愛用者のみなさまが “大事典への思い” を綴ってくれました。

歴史的な〈全体〉というもの

くりはらあつしくりはらあつし

『日本近代文学大事典』(全六巻)は手もとにあって、いうまでもなく、なくてかなわぬ事典ですが、この刊行に個人的にお手伝いできるようなご縁があったわけではありません。今に至るまで、知らないことに出会えば先ずあたってみる、浅学の身としてのお付き合いです。

いつ購入したのか、特別な記憶もなく、刊行開始時にこれまでにない集成の成果、当然のこととして注文したようです。
昭和五十二年といえば、当時は私にとって二つ目の職場、金沢大学勤務時代でしたが、それ以前の近・現代文学事典は研究室・図書館にあるもの、これは自分の手もとにあるもの(もちろん、図書館等に所蔵されたことは当然ですが)となったのでした。

現在でも、開いたこともない膨大な項目が蔵されているばかりか、思えば、刊行の趣旨や凡例などすら、果たして丁寧に読んだかどうかすら、定かな記憶もなく過ごしてしまった具合なのですから、決して厳格な意味ではないことをきちんと自覚しているつもりですが、とにもかくにも、この大事典の存在を通して、(仮設的な)「日本近代文学」の〈全体〉というもののイメージ(概念)を心に抱くことが出来たようでした。

数学の名著に『零の発見』(吉田洋一)があったと思いますが、零(無)に対応する全体(無限や永遠、無量の全て)といったものも、同様に「発見」されたものでしょう。
もちろん、どんな〈全体〉だって、現実には、何等かの限定や、条件付きの範囲に制約されたそれに他ならないのですが、個々の個人も事項も作品も、全体の一部であり、全体自体が個々なしではあり得ない相関にあることを目に見えて実感されること、そして、それの全部が、その時の歴史的な存在に違いありません。
少しでも、自身の問題意識に沿って何か探究を始めれば、その全体の外側や、別種の〈全体〉が顔を覗かせてしまいます。

こんな青臭いことを書き連ねてみたのは、初版から四十年余り、この度の『日本近代文学大事典』の全面改訂にあたられた編集委員の方々の労苦には、おそらくは、既存の個々の項目の修訂・増補、そして新項目の増補という目に見える作業を通じながら、新たな〈全体〉の更新という見えにくい、しかし更なる困難な課題が課せられていたに違いないだろうと想像されたからでした。

声をかけられた既存項目の増補や、追加項目の一、二をお手伝いしながら、もうひとつ、この度の電子版での刊行について改めて考えたことは、こんなことです。

電子版による修正や増補は、機会を得て逐次新記述に改めていくことが出来るとのこと。日進月歩の研究成果で、次々に更新できるようです。
停滞することのない生きた進展が反映されるようで、個々の部分だけを新情報で確かめるには好都合ですが、歴史的な〈全体〉を切り出して見る、その中での見渡しや、相関を感じ取るには、(仮の)〈全体〉を静止して見ることも欠かせないことと思います。
今回の大改訂での増補部分、新追加部分だけでも、一旦どこかでまとめて見られるものに作っておけないか、などとも思うのでした。

(実践女子大学名誉教授・日本近代文学館理事)

『日本近代文学館』館報 No.310 2022.11.15掲載

※この連載は日本近代文学館 館報の「『日本近代文学大事典』と私」の転載です。
執筆者の所属・肩書きは掲載当時のものです。

ジャパンナレッジとは 辞書・事典を中心にした知識源から知りたいことにいち早く到達するためのデータベースです。 収録辞書・事典80以上 総項目数480万以上 総文字数16億

ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のインターネット辞書・事典サイト。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。 (2024年5月時点)

ジャパンナレッジ Personal についてもっと詳しく見る