時空を超えて
Series17-1
『日本国語大辞典』に次のような項目がある。
いち【逶遅】
〔名〕
のろのろと進むさま。いざること。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「逶遅 イチ イザリユク」
*謝荘‐宋孝武宣妃誄「旌委二鬱於飛飛一、龍逶二遅於歩歩一」
「イチ(逶遅)」は現代日本語において頻繁に使うという語ではないのでなじみのない語ということになる。しかし、こういう語について調べることもある。ここでは、まず明治9(1876)年に出版された、萩原乙彦の『音訓新聞字引』が使用例としてあげられている。『日本国語大辞典』の「凡例」の「出典・用例について」の[1]「採用する出典・用例」の2の(ロ)に「漢籍および漢訳仏典の用例は、末尾へ入れる」とあって、中国での使用例を最後にあげることになっている。『日本国語大辞典』は「謝荘」を見出しにしていないが、謝荘(421-466)は中国、六朝時代の宋を代表する文人で、「宋孝武宣貴妃誄」(宋の孝武の宣貴妃の誄)は『文選』57巻に収められている。『文選』には「宣貴妃」とあり、『南史』后妃伝に「貴妃を追贈し、諡して宣と曰う」とあることからも「宣妃」といういいかたがあったかどうか。『日本国語大辞典』の「宋孝武宣妃誄」の出典が気になるところではあるが、それはそれとする。
『日本国語大辞典』の見出し「いち」の記事をもっとも単純な話として整理すれば、この「イチ(逶遅)」という漢語については、5世紀の中国で使われた例と、19世紀の日本で使われた例とが並べられていることになる。実にその時間差は1400年あまり、空間も異にしている。この2つの例がどのようにつながるのか、あるいはつながらないのか、ということが今回のテーマだ。
次に掲げる見出し「がれきじょう」においては、『音訓新聞字引』の使用例のみが示されている。
がれきじょう【瓦礫場】
〔名〕
瓦や石ころが散乱している所。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「瓦礫場(ヂャウ) ヤケハラ」
補注
「忠義水滸伝解‐三四回」に「瓦礫場 石瓦バカリノ焼場也」とある。
『音訓新聞字引』は「瓦礫場」を「ヤケハラ」と説明している。つまり「ガレキジョウ」という漢語がこの漢語辞書の見出しになっているわけだが、語義は「ヤケハラ」という語で説明されている。この「ヤケハラ」の語義は何か、ということがある。『日本国語大辞典』は「やけはら(焼け原)」を見出しにして、「やけの(焼け野)」に同じ、「やけのはら(焼け野原)」に同じ、と説明している。見出し「がれきじょう(瓦礫場)」の「補注」には「忠義水滸伝解」の記事が示されている。
この「忠義水滸伝解」は石丈鳥山輔昌が著わして天明4(1784)年に出版した『忠義水滸伝解』を指していると思われる。120回本の『水滸伝』の第34回の題名が「鎮三山大閙青州道 霹靂火夜走瓦礫場」(鎮三山、大いに青州道を閙がし、霹靂火、夜、瓦礫場に走る)で、第34回の「本文」中においても「卻都被火燒做白地,一片瓦礫場上」「秦明看了大驚,打那匹馬在瓦礫場上」「秦明回馬在瓦礫場上」のように「瓦礫場」が使われている。
そして「忠義水滸伝解」は『水滸伝』で使われている「瓦礫場」を「石瓦バカリノ焼場也」と説明している。『日本国語大辞典』の「補注」では「瓦礫場」の語義を「焼場」と説明しているが、見出し「がれきじょう」は「瓦や石ころが散乱している所」と説明されている。
さて、今回のシリーズタイトルにした「時空」の問題に進もう。「補注」にあげられているのは、天明4年に出版された『忠義水滸伝解』であろうが、この本は『水滸伝』のいわば注釈書であり、注釈の対象となっている「瓦礫場」は中国、明代(1368-1644)の末頃に成った『水滸伝』に使われていることが確認できる。「補注」があることを見逃すと、「ガレキジョウ」という語は日本で、しかも19世紀に使われ始めた、と誤解するかもしれない。これは辞書側の問題ではなく、辞書使用者側の問題であるが、「ユーザーフレンドリー」ということがいわれるようになってくると、使用者側の問題とばかりいえなくなってくるのかもしれないが、今回の趣旨はそこを問題にしようとしているのではない。
『水滸伝』が17世紀には成っていたと考えるとすれば、「ガレキジョウ(瓦礫場)」の場合は、その17世紀の中国と19世紀の日本とがどうつながるか、ということになる。そもそも、『水滸伝』と『音訓新聞字引』とを直接結びつけていいのか、ということがある。つながる可能性はある、とは思う。『水滸伝』は江戸時代に日本にもたらされ、以後明治時代にもいろいろなかたちで日本において読まれてきている。現在は刀剣にはまったり、城にはまったり、いろいろなものにはまるようだが、『水滸伝』もなかなか魅力的な作品で、筆者も非常に熱心に『水滸伝』を読んでいた時期がある。その時は108人の豪傑の名前を覚えたりしていた。それが今でも役立っているといえば役立っている。
さて、『音訓新聞字引』を著わした萩原乙彦(1826-1886)は幕末から明治期にかけて俳人、戯作者として活動している。2代目梅暮里谷峨を名乗り、『春色連理の梅』『東京開化繁昌誌』なども著わしている。したがって、萩原乙彦が『水滸伝』に親しんでいた可能性はたかい。というよりも親しんでいたであろう。ただし、萩原乙彦が『水滸伝』に親しんでいたからといって『音訓新聞字引』に『水滸伝』で使われている語を見出しとしてとりこむ、という話にはならない。
やはり『音訓新聞字引』なのだから、新聞で使われている語を見出しにするのがもっとも自然である。とすると、当時の新聞で「ガレキジョウ(瓦礫場)」あるいは「ガレキバ」という語が使われていたことになる。こうなると「ヤケハラ」という語も気になってくる。
『音訓新聞字引』をみると、「瓦」から始まる見出しとしては「瓦斯燈 ヒキアカリ」「瓦解 大コハレ」「瓦礫 イシカハラ」「瓦礫場 ヤケハラ」の4つがあげられている。「ガストウ(瓦斯燈)」「ガカイ(瓦解)」は明治初期らしいといえばらしい。やはり「ガレキ(瓦礫)」「ガレキジョウ(瓦礫場)」はどうして? と思わないでもないが、このあたりはもちろんわからない。
ああでもない、こうでもない、という話になった。学生には「ああでもない、こうでもない」が嫌いな人は日本語学の分野で卒業論文を書かないほうがいいよ、と言っている。次回はこの「ああでもない、こうでもない」から始めたい。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は2月2日(水)、今野真二さんが担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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