『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥

シリーズ 27 「慣用的な漢字表記 」目次

  1. 1. 今野真二:「熱灰」と「煨」 2023年12月06日
  2. 2. 今野真二:いつから「天晴」なのか? 2023年12月20日
  3. 3. 今野真二:「慣用的」とは何か? 2024年01月17日
  4. 4. 佐藤宏:国語辞書の漢字欄の役割について考える 2024年02月07日

慣用的な漢字表記
Series27-1

「熱灰」と「煨」

今野真二より

 『日本国語大辞典』の「凡例」の「漢字欄について」の1と2とを次に示す。

1.見出しの語に当てられる慣用的な漢字表記のうち主なものを【 】の中に示す。
2.慣用的な漢字表記が二つ以上考えられる場合、それらを併記するが、その配列は、主として現代の慣用を優先する。その判断を下しがたいものは画数順に従う。

 具体的に考えるために、見出し「あつはい」を次に示す。

あつはい【熱灰・煨】
〔名〕
(「あつばい」とも)火の気の残っている灰。
*新撰字鏡〔898~901頃〕「煨 熱灰也 於支比 又阿豆波比」
*石山寺本法華経玄賛平安中期点〔950頃〕六「一には謂はく、煻煨(アツハヒ)ぞ」
*日葡辞書〔1603~04〕「Atçubai (アツバイ)。アツハイと言う方がまさる」
*八丈実記〔1848~55〕歳時 八丈嶋年中行事「同夜豆占とて、節分の大豆を十二粒、十二月に表して煨灰(アツバイ)にならべ火をつけて」

 見出し「あつはい」では漢字列「熱灰」と「煨」とがこの順に示されている。『日葡辞書』が「アツバイ」を見出しにしていることからすれば、少なくとも16世紀~17世紀初め頃には「アツハイ・アツバイ」が使われていたと思われるが、江戸時代の文学作品などで使われた例があげられておらず、明治時代の使用例もあげられていない。『広辞苑』第7版はこの「あつはい」を見出しにしていない。『広辞苑』が見出しにしていないからといって現代日本語ではないなどとはいえないが、現代日本語で頻繁に使うような語ではないことはたしかであろう。「朝日新聞クロスサーチ」で1985年以降の記事に漢字列「熱灰」で検索をかけてみると、ヒットは4件しかない。いずれも「熱灰」と文字化されており、読みとしては「ネッカイ」などの可能性もあるだろう。現代日本語であまり(あるいはほとんど)使われていない語の場合は、「現代の慣用を優先する」ことが難しくなる。「アツハイ」はそうした語にみえる。そうであるとすると、「熱灰」が「煨」より先に置かれている理由は、何かということになる。ちなみにいえば、「熱」の画数は15画、「煨」の画数は13画であるので、画数順であれば、「煨」が先に置かれることになる。

 もっといえば、見出し直後に置かれている漢字列が見出しの文字化に使われる漢字列であることは、おおかたの『日本国語大辞典』使用者が「凡例」を読まなくてもわかっているだろう。しかし、漢字列が併記されている場合に、その併記に関して上掲1や2のような「ルール」があることを認識して『日本国語大辞典』を使う人はかなり少ないだろう。それは「使う人」の問題で、『日本国語大辞典』に問題があるわけではないのだが。

 「凡例」を読まずに使っている人も、項目内はよく読むかもしれない。そこで思うことは、「慣用的な漢字表記」なのだから、使用例が複数あげられている場合、その中に当該漢字表記が含まれていることを使用者は期待するのではないだろうか。見出し「あつはい」でいえば、最初にあげられている漢字列「熱灰」を使って「あつはい」を文字化している使用例があることを期待するということである。しかし、それはこの項目内にない。『新撰字鏡』は「煨 熱灰也」という形式であるので、「熱灰也」は漢字「煨」の字義が「熱灰」であることを示す漢文注である。そして漢文注であるのだから、「熱灰也」の「熱灰」は「ネッカイ」という漢語を文字化したものということになる。そうなると、「あつはい」という項目の中に「慣用的な漢字表記」がみられないことになる。

 「慣用的な漢字表記」という表現は筆者などには重い。筆者は「慣用的な漢字表記」という表現及び概念を使わないが、筆者のいうところの「標準的な文字化」にちかい。現代日本語であれば、現代日本語母語話者は自身の感覚、つまり「内省」によって「標準的な文字化」であるかどうかを判断することができる。しかし、過去の言語には「内省」がきかないので、何らかの手続き、検証を経なければ「標準的な文字化」がわからない。

 江戸時代に使われていたある語Xの「慣用的な漢字表記」を知るためには実際の使用例を確認する必要がある。そういうことを研究している人であれば、調べる手段があるだろうが、『日本国語大辞典』を使う人のすべてが研究者ではない。となると、まずは、そこにあげられている使用例をみるのではないか。あげられている使用例には該当するものを見出すことができない、しかしそれが「慣用的な漢字表記」であるという時に、ではここには「慣用的な漢字表記」を使っていない例ばかりがあげられているのか、ということにならないだろうか。あるいはまたどうしてこれが「慣用的な漢字表記」であることがわかったのか、という疑問をもつ人もいるかもしれない。

 「あつはい」の「表記」欄をみると、『新撰字鏡』『色葉字類抄』『類聚名義抄』易林本『節用集』においては単漢字「煨」が、江戸時代に出版されている『書言字考節用集』においては漢字列「煨灰」が「アツハイ」と結びついていることが示されている。ここにも「熱灰」がみられない。「慣用的な漢字表記」であるはずの「熱灰」は、それではどこから持ち込まれたかということになる。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(通常は第1、3水曜日)の更新です。次回は12月20日(水)、引き続き、清泉女子大学教授。今野真二さんの担当です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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