『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥

シリーズ 27 「慣用的な漢字表記 」目次

  1. 1. 今野真二:「熱灰」と「煨」 2023年12月06日
  2. 2. 今野真二:いつから「天晴」なのか? 2023年12月20日
  3. 3. 今野真二:「慣用的」とは何か? 2024年01月17日
  4. 4. 佐藤宏:国語辞書の漢字欄の役割について考える 2024年02月07日

慣用的な漢字表記
Series27-2

いつから「天晴」なのか?

今野真二より

 今回は見出し「あっぱれ」を例にしてみよう。

あっぱれ【天晴・遖】
【一】〔感動〕
(1)感嘆、悲哀、決意など強い感動を表わす。ああ。
*平家物語〔13C前〕五・文覚被流「あっぱれ、この世の中は只今乱れ、君も臣もほろびうせんずるものを」
*謡曲・盛久〔1423頃〕「あっぱれ疾く斬られ候はばや」
*天草本伊曾保物語〔1593〕驢馬と獅子の事「Appare (アッパレ) シシワ ヲクビャウナ モノカナ!」
*仮名草子・都風俗鑑〔1681〕一「いかなるえてかたぎ成しつぽり者も、あっぱれそそのかされはすまじきものを」
*浮世草子・武道伝来記〔1687〕三・三「此治(おさま)れる時津波大平の御代にあやしき姿、天晴(アッハレ)僻物(くせもの)なるべし」
(2)ほめたたえる気持を表わす。ああ、みごとだ。すばらしい。でかした。体言の上に付いて、連体詞のように用いることがある。
*平家物語〔13C前〕九・二度之懸「あ(っ)ぱれ剛の者かな。是をこそ一人当千の兵ともいふべけれ」
*謡曲・八島〔1430頃〕「源義経と名のり給ひしおん骨柄、あっぱれ大将やと見えし」
*三体詩素隠抄〔1622〕一・四「子嬰は四十六日也。あっはれ、萬世に伝たり」
*浄瑠璃・宇治の姫切〔1658〕初「あっぱれふかくのふるまいかな」
*浮世草子・武道伝来記〔1687〕六・三「討(うつ)もうたるるも武士のならひ、天晴(アッハレ)神妙(しんべう)なる御はたらき」
*和漢三才図会〔1712〕一五「 アッハレ 旧事本紀及古語拾遺等、用天晴二字、多為讚美詞、近俗以遖字天晴訓、未其拠
*読本・南総里見八犬伝〔1814~42〕四・三二回「信乃は只管(ひたすら)感嘆して、うち傾けし頭(かうべ)を擡(もたげ)、『遖候(アッハレ)犬飼生、志あるものは、誰もかくこそあるべけれ』」
【二】〔形動〕
(「の」を伴っても用いる)賞賛すべきさま。すばらしい。みごとだ。
*虎寛本狂言・八句連歌〔室町末~近世初〕「天晴な御手跡で御座る」
*四座役者目録〔1646~53〕上「衆徒、又諸役者も、天晴の器用と、褒めたると也」
*雑俳・柳多留拾遺〔1801〕巻二〇「天晴な手で売据(うりすゑ)と書いて張り」
*日本読本〔1887〕〈新保磐次〉六「如何なる辛苦にも堪ふべき遖れの若者となりぬ」

 漢字列「天晴」が一番目に置かれていて「遖」が二番目に置かれている。あげられている使用例の中で、漢字列「天晴」と「遖」とに下線を施してみた。漢字列「天晴」は虎寛本狂言を初めとして、室町末期以降、江戸時代の例ばかりで、「遖」も江戸時代以降の例があげられている。『平家物語』の使用例が二例あげられているが、いずれも仮名によって文字化されている。ここから、「アッパレ」を漢字によって文字化するようになったのは、室町末期以降で、それ以前は漢字による文字化はあまり行なわれていなかったのではないかという推測ができる。

 その推測と呼応するように、「表記」欄においては、江戸時代の辞書である『書言字考節用集』と『和英語林集成』に「天晴」、『書言字考節用集』と明治時代の『言海』に「遖」がみられることが示されている。室町末期より前に「アッパレ」と漢字列「天晴」とが結びついていれば、おそらくは古本『節用集』の見出しになっていると思われるが、古本『節用集』はこの語を見出しとしていない。

 このようなケースは「アッパレ」に限られているわけではないことは容易に想像できる。和語がついに固く結びつく漢字をもたなかった、ということはある。そうであると、「慣用的な漢字表記」がない、ということになる。「アッパレ」の場合は、室町末期以降には「天晴」あるいは「遖」との結びつきが形成されたと思われるが、それまでは仮名書きが標準的な文字化だったと思われる。このような場合「慣用的な漢字表記」は限定的であったことになる。それは『日本国語大辞典』が示している使用例から読み取ることができそうではあるが、「凡例」をもう少し詳しくして、いろいろなケースがあることを説明することは一案かもしれない。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(通常は第1、3水曜日)の更新です。次回は2024年1月17日(水)、引き続き清泉女子大学今野教授の担当です。

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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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