『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 18 「使い方動画をつくってみて考えたこと 」目次

  1. 1. 今野真二:編集者側とユーザー側 2022年04月06日
  2. 2. 今野真二:非対面授業の良さ 2022年04月20日
  3. 3. 今野真二:マニュアルの大切さ 2022年05月06日
  4. 4. 佐藤宏:メディアとしての国語辞書 2022年05月18日

使い方動画をつくってみて考えたこと
Series18-1

編集者側とユーザー側

今野真二より

 筆者は『日本国語大辞典』をよんで、『『日本国語大辞典』をよむ』(2018年、三省堂)という本を出版していただいた。書名をあらわす二重鉤括弧の中に二重鉤括弧が入っている、検索しにくそうな書名であるが、この本がこの連載記事「来たるべき辞書のために」のきっかけになったともいえるだろう。筆者は『辞書をよむ』(2014年、平凡社新書)、『『広辞苑』をよむ』(2019年、岩波新書)も出版していただいている。「読む」ではなく「よむ」と文字化しているのは、一般的に考える「読む」よりも、もっとひろくいろいろな「情報」をよみとる、という意味合いをこめてのことであった。

 筆者は辞書の編集をしたことはない。『言海』であれば大槻文彦、『広辞苑』であれば新村出、『新明解国語辞典』であれば山田忠雄というように、辞書は編纂者の固有名詞と結びつく。そのように、辞書は編集されたものであり、編集には多くの場合複数の人がかかわる。そうした辞書編集者側が辞書について述べることはもちろんある。それに対して(と表現しておくが)、筆者は辞書編集者側ではなく、辞書を使う側、辞書をよむ側ということになる。この「往復書簡」は辞書編集者側と、辞書を使い、よむ側がやりとりをしているところに特徴があり、そこにおもしろさがあると思いたい。「来たるべき辞書」も編集者側と、使い、よむ側の双方向から考える必要がある。今回は辞書を使うという観点から述べてみたい。

 『広辞苑』というと「一家に一冊」という表現が思い浮かぶが、この表現が『広辞苑』について使われた確証は現時点では得ていない。「一家に一冊」ということであれば、『広辞苑』以外に『大辞林』『大辞泉』といった、中型の国語辞書が思い浮かぶ。しかし、現在、こうした中型の国語辞書を備えている「家」がどのくらいあるだろうか。「備えている」は紙媒体でなくてもいいので、ひろい意味合いでのデジタル版も含めて、とここでは考えている。

 辞書は日常生活と切り離せないと思いたいが、もしもそうした位置付けにはなっていないのだとすれば、せめて、日常生活一般ではなく、日常的な言語生活とは切り離せないと思いたい。日常的な言語生活にもいろいろあるが、やはり辞書と結びつきやすいのは、教育であろう。小学校、中学校、高等学校、大学、それぞれの入学時に、それぞれの学びに必要な辞書を購入するということは現在でも変わらないだろう。ただし、英語の学習に英和辞書・和英辞書が必要であることは納得しやすいが、国語辞書ということになれば、必ずしもその必要性が納得されないかもしれない。

 『日本国語大辞典』はジャパンナレッジのオンラインコンテンツになっている。こうしたものを個人で契約して使うことは多くはない。そこにまた、「来たるべき辞書」が考えなければいけないことがらがあるが、今回はそのことについては措くことにする。筆者は大学の教員で、大学の教育や自身の仕事の中で、ジャパンナレッジのオンラインコンテンツを使う。辞書は紙媒体のものにしても、オンラインコンテンツにしても、使わないと(よしあしが)わからない。編集者はもっともよく自身が編集した辞書を知っている人であることはいうまでもないが、だからといって自身が編集した辞書をもっとも使っている人かどうか。おそらくはそうであろうが、編集者ではなくてもその辞書をよく使っている人はいるだろう。

 山田忠雄は『近代国語辞書の歩み』(1981年、三省堂)において「泰西古諺に曰く、/その著述を最も良く利用したる者は、最大の批評者たる資格を有す/と。筆者(引用者補:山田忠雄のこと)が其の資格を真の意味で具有するに至るのは、恐らく二十年、三十年先の事であろう」(1458頁)と述べている。山田忠雄は1981年の20年後を待たず、1996年2月6日に没しており、山田忠雄が「批評者」の「資格を真の意味で具有」した上での批評が述べられることはなかった。

 筆者が個人的に経験したことでいえば、山田忠雄が仕事をしていた吉祥寺の自宅の地下にある仕事机の足元の右側には『日本国語大辞典』が備えられており、まずそれを参照していたことは疑いがなく、上記の言説は慎重にいえば、という意味合いでの発言とみておくのがいいだろう。使っていない辞書について山田忠雄が批評したわけではないことはいうまでもない。

 しかしまた、山田忠雄は『近代国語辞書の歩み』における『日本国語大辞典』初版に対しての言説の中で、『日本国語大辞典』が「十善法語」から使用例を得ていることに関して、「作品の流れを汲み本旨を弁えつつ(引用者補:見出しとなる語を採収するという)作業を行」(1262頁)わなければならず、「対象との同化」が必要であることを述べ、『日本国語大辞典』初版の「引用に見る安易な態度は、敗戦後の滔滔たる風潮を或は反映するのではなかろうか?」(同前)とまで述べている。松井栄一は『出逢った日本語・50万語』(2002年、小学館)において、『東京新繁昌記』の場合についての山田忠雄の言説に対する反論の中で、「述者(引用者補:山田忠雄のこと)の言われる、調べる対照と同化、一体化することがいかに大切であるかということの反面教師的な役割を果しているのが、ほかならぬこの「東京新繁昌記の場合」という感を深くする」(227頁)(「対照」は「対象」の誤植か)と述べており、山田忠雄の対象(この場合は『日本国語大辞典』)との同化が不十分であることを述べている。こうなると、辞書の編集者側と使用者側とどちらが辞書と「同化」できるのかということにもなりそうであるが、そもそもそれは競うようなことではない。また、『東京新繁昌記』の場合については、稿を改めて述べることにする。

 筆者がジャパンナレッジのオンラインコンテンツを十分に使いこなしているかどうか、こころもとないが、筆者の経験の範囲内で、という限定をつけた上で、辞書を使うという観点から「来たるべき辞書」について考えてみたい。

▶︎清泉女子大学今野ゼミのみなさんが作ったジャパンナレッジ「日本国語大辞典」の使い方動画「【清泉女子大学】デジタルコンテンツを使った大学での学び」が清泉女子大学の公式youtubeチャンネルで配信中。ぜひご覧ください。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は4月20日(水)、今野真二さんの担当です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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辞書・日本語のすぐれた著書を刊行する著者が、日本最大の国語辞典『日本国語大辞典第二版』全13巻を巻頭から巻末まで精読。この巨大辞典の解剖学的な分析、辞書や日本語の様々な話題や批評を展開。

今野真二著
三省堂書店
2800円(税別)