用例の平仮名と片仮名
Series19-1
シリーズ5の3で『重訂本草綱目啓蒙』を採りあげた。そこでも述べたが、『本草綱目』は明の李時珍(1518-1593)が編んだ薬物書(本草書)で、万暦18(1590)年に刊行を開始している。その『本草綱目』に基づき、和名、説明を加えたものが『重訂本草綱目啓蒙』で、弘化4(1847)年の序が附されている。『日本国語大辞典』は、『重訂本草綱目啓蒙』を活字翻刻したテキストである「日本古典全集」を出典としている。シリーズ5の3にはジャパンナレッジがコンテンツとして提供している「東洋文庫」の「本文」が掲げられている。下図は『重訂本草綱目啓蒙』の巻45の2丁裏である。「東洋文庫」の「本文」でもわかるが、このように、『重訂本草綱目啓蒙』は「漢字片仮名交じり」の表記体で文字化されている。
『日本国語大辞典』の見出し「あわまきどり」は次のようになっている。
あわまき‐どり 【─鳥】
〔名〕
鳥「かっこう(郭公)」の異名。
*重訂本草綱目啓蒙〔1847〕四五・林禽「鳲鳩 かっこうどり〈略〉むぎうらし 讚州、あはまきどり 伯州」
*風俗画報‐二四九号〔1902〕動植門「山間の農夫此の声を聞て種播を始む。故に伯州にては、之をアワマキドリと云ふ」
実際は「カッコウドリ カンコドリ/カッコドリ ムギウラシ 讃州/アワマキドリ 伯州 マメウヘドリ 甲州/マメマキドリ 東國 カッポウドリ [西國/水戸]」(/は改行位置を示し、[ ]はその内部が細字双行になっていることを示す)とある。ちなみにいえば、『重訂本草綱目啓蒙』が見出し「鳲鳩」に配置した「カッコウドリ」以下八つの鳥名はすべて『日本国語大辞典』において見出しとなっている。ただし、見出し「まめまきどり」においては、『重訂本草綱目啓蒙』が使用例にあげられておらず、「ふゆくさ〔1925〕〈土屋文明〉えごの花「道の上にえごの白花散りしきて豆蒔鳥(マメマキドリ)は昨日よりなく」」のみがあげられている。
筆者としては、こういうところで「惜しい」というような感じをもつことがある。「惜しい」は「来たるべき辞書」への期待の裏返しでもある。「来たるべき辞書」がコンピュータを使った編集ということと無関係であるはずはないだろう。場合によっては、紙に出力されているものよりも、電子的なもののほうが主体になるかもしれない。紙が「物理的な制限」を受けることを考えると、その「物理的な制限」が「来たるべき辞書」のいわば「足を引っ張る」ということもあるいはあるかもしれない。しかし思い切って、電子的なものに徹するということも一つの考え方ではないか、と現時点では思うようになってきた。
少し前までは、「そうはいっても紙に出力されているものは必要だ」と思っていた。「物理的な制限」は「閉じたテキスト」という点において意味があるというみかたも当然ある。しかし、電子的な辞書における「検索機能」は、辞書という言語の小宇宙をくまなくみわたすためには、必須のものであり、「検索機能」が備わっていることによって、「(言語)宇宙の旅」も可能になる。
大槻文彦の編んだ『言海』は、観察すればするほど、語同士の連関が意識されていることを感じる。『言海』は人の力によって、語同士の連関を整えようとしているので、「迷い」もあれば「落ち」もある。印刷されて出版された『言海』・校正刷り・いわゆる「稿本」をあれこれと精密に観察するとそういう「迷い」や「落ち」がわかることも少なくない。それは言語学(日本語学)が話題にすることがらではない、という「みかた」もあるいはあるかもしれない。しかし、人間の認知や「人文知」(人文学にかかわる知見)について、いろいろなことを考えるきっかけには確実になる。『言海』は、「迷い」や「落ち」あるいは「謎」を含んでいるとしても、語同士の連関を重視しようという意識がいきとどいている辞書といってよい。
そうなると、電子的な辞書は「検索機能」を十分に発揮できるようなかたちになっていることが望ましい。「望ましい」というよりは、そうなっていなければ、電子的な辞書である意義がうすくなる。
『重訂本草綱目啓蒙』が見出し「鳲鳩」にあげた八つの鳥名すべてを『日本国語大辞典』で見出しにしていることはよい。その八つの見出しにおいて、『重訂本草綱目啓蒙』の使用例を示すことによって、統一をはかる。それが無理であれば、せめて、「まめまきどり」のように、『重訂本草綱目啓蒙』よりも後の時期の使用例がいわゆる「初出例」となっている項目には『重訂本草綱目啓蒙』をあげてほしい。
(よむ人はあまりいないかもしれないが)『日本国語大辞典』をよんでいて、「まめまきどり」のような項目をみると、土屋文明はどこでこの「まめまきどり」という語を知ったのだろうとまず思う。どこにいけば「まめまきどり」という語に遭遇できるのだろうという感覚といってもよい。
そこに『重訂本草綱目啓蒙』があげられていると、土屋文明が『重訂本草綱目啓蒙』を読んでいたという可能性から始まって、本草関係の書物の「情報」である可能性、そこからさらに季寄せのようなテキストの「情報」である可能性などが思い浮かび、「情報」を立体的にとらえることができる。そのことは非常に重要であろう。そしてわりあいすぐにやれそうなことではないだろうか。
現在の『日本国語大辞典』を超える規模の辞書が、新たに企画されないのだとしたら、『日本国語大辞典』は単なる多巻大型辞書であることを超えて、やはり「日本語アーカイブ」にちかいものとして姿を整えるのがいいのではないだろうか。「来たるべき辞書」はそうした「アーカイブ」的なものとして編まれている必要があるように思う。そうした方向性は今決められるのであれば決め、少しずつその方向に向けて作業を始める時期のようにも思う。
「平仮名と片仮名」をタイトルとしているにもかかわらず、今回はそこにふれることができなかったので、それについては次回改めて述べることにしたい。
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▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は6月15日(水)、今野教授担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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