『日国』の用例
Series23-1
ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』を使って、「範囲」を「用例(出典情報)」にし、「東京新繁昌記」を検索すると1539件がヒットする。「東京新繁昌記」について、新日本古典文学大系明治編1『開化風俗誌集』(2004年、岩波書店)は次のように説明をしている。
服部誠一(撫松)の『東京新繁昌記』六編は、明治七年(一八七四)から九年にかけて、木版の半紙本六冊として逐次刊行、さらに明治十四年には後編一編も刊行し、当代読者に大いに歓迎されて忽ちベスト・セラーとなった。福沢諭吉の『西洋事情』や『世界国尽』と相伯仲する売れ行きであったとする当時の報告もある。作者自身、天保期の有名作『江戸繁昌記』(寺門静軒作、全五編)の顰みに倣ったと述べる通り、偶目する江戸ならぬ新東京の新風俗を随観随記して、学校あり鉄道あり、電信、ガス、煉瓦建築、博覧会、勧工場、舞踏会等々々、全三十六章、凡て当世の耳目を新にした文明開化の様相のルポルタージュである。
上記の説明の末尾には「今回、その全編を収録する余裕を持たないので、後編までを含めて七編の内から、十八章のみを抜粋して、全文を訓み下し文に改め、脚注を施したが、出来得れば新日本古典文学大系所収の『江戸繁昌記』『柳橋新誌』を併読されんことを庶幾うものである」と記されているように、『開化風俗誌集』に収められているのは『東京新繁昌記』のおよそ半分程度の文章である。また寺門静軒『江戸繁昌記』、成島柳北『柳橋新誌』をいわば承けて『東京新繁昌記』が出版されているという、その「流れ」はおさえておきたい。「東京新繁昌記」と同じようにオンライン版の『日本国語大辞典』に検索をかけると『江戸繁昌記』は1830件、『柳橋新誌』は165件のヒットがある。3書の中では、『柳橋新誌』からあまり「用例」が採られていないことになる。
まず、「東京新繁昌記」のテキストについて整理しておきたい。
1:『東京新繁昌記』整版6冊 明治7(1874)年~明治9(1876)年
2:『東京新繁昌記』大正14(1925)年 聚芳閣 活字翻刻
3:明治文学全集4『成島柳北 服部撫松 栗本鋤雲集』(1969年、筑摩書房)
4:新日本古典文学大系明治編1『開化風俗誌集』(2004年、岩波書店)(18章の抜粋)
「東京新繁昌記」については『日本国語大辞典』初版の「主要出典一覧」には「明治文学全集」とあり、第二版の「主要出典一覧」には「明治一四年板本」とあって、初版は3を「用例」採集の「底本」としていることがわかる。
小型の国語辞書が掲げる「用例」は、見出しとなっている語の使い方を示し、かつその「用例」によって語義の理解を補うためのものといってよいだろう。したがって、必ずしも実際に使われた例=実例でなくてもよく、辞書編集者の内省に基づく「作例」であってもよい。もちろんコーパスを使って、「実例」にあたり、使用頻度も勘案しながら、「用例」を示すこともあるだろう。いずれにしても「用例」の「典拠」を示す必要はない。「用例」の「典拠」を示す場合には、当然辞書使用者がその「典拠」によって「用例」を確認することがあり得るので、さらに具体的にどのようなテキスト(底本)を使ったかを示す必要がある。『日本国語大辞典』はそうしたことについて上記「主要出典一覧」に記載している。
少し具体的に話をすすめることにする。『日本国語大辞典』第二版の見出し「あいしょう(愛娼)」には次のようにある。
あいしょう【愛娼】
〔名〕
かわいがっている芸者、娼婦。
*東京新繁昌記〔1874~76〕〈服部誠一〉三・新橋鉄道「余糧途を失ふ、之を愛娼暱婦に謀る」
『東京新繁昌記』3編の「新橋鉄道」という小題の文章の一節が使用例としてあげられている。第二版は「明治一四年板本」を「底本」としているのだから、筆者が所持している明治7年の版本にあたってみる。『東京新繁昌記』は漢文で書かれている。次の箇所が上記の「用例」に対応すると思われる。句読点を入れて示す。
余軍畧、大違、忽遇債鬼襲来。余、失糧途、謀之于愛娼暱婦。(3編8丁表1-2行目)
版本に加えられている訓点に従うと、「余ガ軍畧、大ヘニ違ヒ、忽チ債鬼ノ襲ヒ来ルニ遇フ。余、糧途ヲ失テ、之ヲ愛娼暱婦ニ謀ル」となる。「大ヘニ」は「オオイニ」を意図した送り仮名と思われるが、このままでは「オオエニ」のよみとなる。こうしたことについて、山田忠雄『近代国語辞書の歩み』(1981年、三省堂)は「新繁昌記の本書は、撰者の国訛りを見事に反映する。即ち、活用語尾・送仮名のヘの百中九十八、九はヒ、逆にヒはヘと記される。その殆どは聚芳閣本において訂されているが、原態が保存される場合も無いではない」(1287頁)と述べている。この言説中の「本書」は「東京新繁昌記」の版本、「撰者」は「東京新繁昌記」の書き手である服部誠一を指すと思われるが、山田忠雄(1981)の述べ方は時として、わかりやすくはない。
松井栄一は『出逢った日本語・50万語』(2002年、小学館)において、「「例言」で用語の統一を図ったとされている「この本」(「その場その場で扱い論ずる対象、問題の書をさす」とされる)という言い方が、途中からくずれている点に見られる。「十善法語の場合」では「この辞典」となっているが、「東京新繁昌記の場合」以降は「小学館」が頻用されているのである」(208-209頁)と述べているが、話題となっている対象は読み手にわかりやすいことがいいことはいうまでもないだろう。
さて、上記の筆者の理解でいいのであれば、「撰者の国訛り」は服部誠一の「国訛り」ということになる。ちなみにいえば、服部誠一は陸奥二本松藩の儒者の家に生まれている。山田忠雄(1981)は、その「撰者の国訛り」が「聚芳閣本において訂されている」と述べている。筆者であれば、「聚芳閣本においては、標準的な表現になっている」とでも表現するところであるが、それは措く。服部誠一の「国訛り」はそのまま実際の言語使用例としてみることができるので、天保12(1841)年に陸奥国(現在の福島県)に生まれた人物が使った語として「そのまま」を記録するということも考えられる。テキストの原態通りということを重視するのであれば、そうした点に手入れをしているから、2の聚芳閣本はテキストとしてよくない、と主張することもできる。しかし、山田忠雄(1981)はそうは述べていない。この「撰者の国訛り」をどう判断するかは、案外と大きな問題であると考える。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は3月15日(水)、清泉女子大学今野教授の担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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