使用例
Series25-1
『日本国語大辞典』の「凡例」中に「出典・用例について」というくだりがあり、そこには次のようにある。
1.用例を採用する文献は、上代から現代まで各時代にわたるが、選択の基準は、概略次の通り。
(イ) その語、または語釈を分けた場合は、その意味・用法について、もっとも古いと思われるもの
(ロ) 語釈のたすけとなるわかりやすいもの
(ハ) 和文・漢文、あるいは、散文・韻文など使われる分野の異なるもの
(ニ) 用法の違うもの、文字づかいの違うもの
なお、文献からの用例が添えられなかった場合、用法を明らかにするために、新たに前後の文脈を構成して作った用例(作例)を「 」に入れて補うこともある。2.用例の並べ方は、概略次の通りとする。
(イ) 時代の古いものから新しいものへと順次並べる。
(ロ) 漢籍および漢訳仏典の用例は、末尾へ入れる。
これが「用例」についての基本的な情報であるが、説明文中では一貫して「用例」という語が使われている。そして、「新たに前後の文脈を構成して作った用例」については「作例」という語が使われることもあることがわかる。
では『日本国語大辞典』は「ヨウレイ(用例)」「サクレイ(作例)」をどのように説明しているだろうか。本シリーズのタイトルは「使用例」としたが、『日本国語大辞典』は「シヨウレイ(使用例)」を見出しにしていない。筆者は〈使用された例〉という語義で「シヨウレイ(使用例)」という語を使うことにする。
ようれい【用例】
〔名〕
使用してある例。用い方の例。引用例。
さくれい【作例】
〔名〕
(1)詩文などの作り方の手本や実例。
(2)辞書で、見出し語の用法を明確にするためにその語を入れて作った例文。
見出し「ようれい」の「使用してある例」の「してある」は日本語として落ち着かないように感じる。何に、何が「使用してある」のかもわかりにくい。「用い方の例」についても『日本国語大辞典』が「時代の古いものから新しいものへと順次並べ」ている例が、辞典使用者が、見出しとなっている語を使おうとした時に、「用い方の例」として参考になることもあろうが、『日本国語大辞典』はそうした意味合いのみで例を並べているのではないだろう。やはり〈使用された例〉という意味合いであげていると思われる。それは「引用例」といえなくはないが、これもぴったりとはしないように感じる。つまり、『日本国語大辞典』の「ようれい(用例)」の語釈には、『日本国語大辞典』が「凡例」で使っている「用例」という語の語義(概念)とぴったり重なり合う語釈がないように感じる。しかしそれはあくまでも筆者の「感じ」なので、そのことを話題にしたいのではない。
『日本国語大辞典』は「用例」という語を使っているが、筆者は前述したように、〈使用された例〉という語義で「使用例」という語を使って話を進めていくことにする。
少し離れたところから話を始めたい。「偽書」というものがある。『日本国語大辞典』は次のように説明している。
ぎしょ【偽書】
〔名〕
本物に似せて書くこと。ある人が書いたように見せかけて作ること。また、そのもの。にせの手紙や書物、墨跡など。偽筆(ぎひつ)。
「偽(書)」だから何らかの意味合いで「本物(の書)」があるというのが「ギショ(偽書)」だ。織田信長ではない人物が織田信長を装った手紙を書いて誰かを欺こうとしたとしよう。この場合は「織田信長」が「本物」で、織田信長ではない人物」が「偽」になる。藤原定家の筆跡をまねて字を書くことができる人がいる。そういう人が藤原定家の筆跡をまねて書いた文書は「偽書」ということになりそうだが、定家の字が好きだから、まねて書けるように練習をし、ふだんから、その習得した藤原定家のような字でなんでも書いていたとすると、それを「偽書」とは呼ばないはずだ。しかし、それが現代において、藤原定家自筆として売られることになれば、それを「偽書」と呼ぶかどうかはともかくとして、「偽物」であることはたしかなことになる。このように「にせもの」つまり「似せたもの」となると、ことは単純ではない。
そして、ここからが、「偽書」を引き合いにだした理由でもあるが、織田信長を装った手紙も、藤原定家の筆跡をまねた文書も、「手紙」「文書」としては確実に存在しているということだ。何らかの意味合いで「にせもの」ではあっても、存在はしている。これは、かつてこういう本があったらしいが、存在は確認されていない、ということとは異なる。
辞書に関して「幽霊語」という表現が使われることがある。『日本国語大辞典』、『広辞苑 第7版』も、『岩波国語辞典 第8版』、『新明解国語辞典 第8版』、『三省堂国語辞典 第8版』、『明鏡国語辞典 第3版』、いずれも見出しにしていないが、何らかの錯誤によって、実際には存在しない語が辞書の見出しになっている場合に使われる。この場合は、辞書の編集における「錯誤」であることが多いだろう。
この「錯誤」も明白なようで、必ずしもそうでもない。『万葉集』に「海岸の曲って入りくんだ所。入江の曲りくねった所」という語義をもつ「ウラミ」という語が使われている。「宇良未」(3641番歌)あるいは「浦箕」(1671番歌)と書かれていることから、「ウラミ」という語であることは確実であるが、「浦廻」(946番歌)と書かれることもある。この「浦廻」を「ウラワ」を文字化したものだとみたところから、「ウラワ」という語がいわば「生まれ」、それが使われるようになっていく。『日本国語大辞典』の見出し「うらわ」には次のようにある。
うらわ【浦回】
〔名〕
入りくんだ海岸。うらみ。うらま。
*久安百首〔1153〕秋上「玉よする浦わの風に空晴れて光をかはす秋の夜の月〈崇徳院〉」
*新古今和歌集〔1205〕羇旅・九三五「野べの露うらわの波をかこちてもゆくへも知らぬ袖の月影〈藤原家隆〉」
*建礼門院右京大夫集〔13C前〕「かなしくもかかるうきめをみくまのの浦わのなみに身をしつめける」
*日葡辞書〔1603~04〕「Vraua (ウラワ)〈訳〉Vra (浦)に同じ。浜辺。詩歌語」
12世紀の『久安百首』、13世紀の『新古今和歌集』で使われ、『日葡辞書』にも「詩歌語」と注記を附されて収められている。これらは「ウラワ」の「使用実績」といってよいだろう。つまり、ほんとうはそういう語はなかったにもかかわらず、後世に「ウラワ」という語が『万葉集』で使われていると誤解された。その誤解に基づいて和歌がつくられていった。こうした場合は「幽霊語」とは呼ばれない。次回は「使用」されたとみてよいのかどうか、迷うケースについて述べてみたい。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は8月2日(水)、清泉女子大学今野教授の担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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