語構成と語源説
Series10-2
前回は、見出しの「-」(ハイフン)が語構成を示していることについて述べた。語構成意識は語源意識と重なり合う。『日本国語大辞典』の「凡例」の「編集方針」の「語源説欄について」の1には「文献に記載された語源的説明を集め、語源説の欄に、その趣旨を要約して、出典名を〔 〕内に付して示す」とある。
例えば、前回、「現代日本語母語話者には、もはやわからない」と述べた「タニ(谷)」の「語源説」欄には次のように記されている。
(1)水のタリ(垂)の義〔古事記伝・言元梯・名言通・菊池俗言考・和訓栞・大言海〕。
(2)谷は低くて下に見るところから、シタミの略転〔日本釈名〕。
(3)タレナガレアイ(垂流合)の義〔日本語原学=林甕臣〕。
(4)タカナシ(高無)の反〔名語記〕。
(5)間の転。または、梵語タリ(陁離)の転か〔和語私臆鈔〕。
日本語の歴史に通じている使用者であれば、『古事記伝』は本居宣長(1730-1801)の著わしたもので、『和訓栞』は谷川士清(1709-1776)の著わしたもの、『大言海』は1932年から1937年にかけて刊行された辞書、ということがわかっているだろう。あるいは林甕臣の『日本語原学』が昭和7(1932)年に出版されていることを知っているだろう。しかし、そうでなければ、列挙されている文献がそもそもどういうものであるかがぴんとこないということはありそうだ。上記のように、列挙されている文献には江戸時代に出版されたものもあれば、昭和になって出版されたものもある。そればかりか、『名語記』のように、13世紀に成立していた文献もある。『名語記』については、いずれしっかりと採りあげて話題にしたい。
「語源説」は「説」がいわば「みそ」で、「私は、この語はこういう語構成をしていると推測します。この語の語源はこうだと推測します」ということだ。推測をした「私」がいて、あくまでも推測であるので、それが「説」ということだ。まわりくどい表現をしているかもしれないが、それは、「現時点での共通の認識」ではない、といってもよい。「語源」を示しているのではなく、「語源説」を示しているということがわかりにくいのではないかということだ。
過去の日本語使用者が、その語の語構成をどのようにとらえていたか、という「とらえかた」がわかるということはある。しかし、語源を説明しようといっしょうけんめいになると、頭で語源を「ひねりだす」ことになってしまう。
(2)の『日本釈名』は、中国の後漢の劉熙の著わした『釈名』にならった書名をつけた語源解説書で、元禄12(1699)年に出版されている。「シタミの略転」と説明しているが、「シタミ」の「シ」を略して、「タミ」の「ミ」の子音を[m]から[n]]に転じると「タニ」になるということで、「略」と「転」とを組み合わせれば、いろいろな説明が可能になりそうだ。そして「シタミ(下見)」という複合語からはたして「タニ(谷)」という語がうまれるのだろうかと、素朴に思わざるをえない。まったく言語学的ではない、といえばいえるだろう。そう考えると、「語源説」欄は不要ということになる。不要かどうか、については、さまざまな考え方があるだろうから、議論が必要であろう。筆者は、過去において、日本語がどうとらえられていたか、という「日本語観察の記録」として、「語源説」欄をみているので、そういうものとしてあってもよいだろうと思う。ただ、「語源説」欄は「語源」を示しているのではなく、「語源説」を示しているのだというもっと丁寧な説明があったほうがいいのではないかと思う。
「凡例」を読んでから辞書を使う人さえ少ないのに、「丁寧な説明」をしたところで、読む人はいないよ、という声が聞こえてきそうであるが、これだけの「情報」が盛り込まれている大型辞書であるのだから、「この辞書を有効活用するために」というようなマニュアルがあってもよいように思う。「自己アピール」が求められる時代なのだから、辞書にもそういうものがあってもよいのではないか。
さて、「語源説」欄にあげられている「文献」はすべて『日本国語大辞典』の見出しになっているかといえば、そうではない。上に引用した箇所でいえば、『古事記伝』『和訓栞』『大言海』『日本釈名』『名語記』は見出しになっているが、その他の「文献」は見出しになっていない。辞書が語釈で使った語すべてを見出しにすることはできない、ということはある。『言海』は「凡例」の(五十四)において「凡ソ、此篇中ノ文章ニ見ハレタル程ノ語ハ、即チ、此辞書ニテ引キ得ルヤウナラデハ不都合ナリ、因テ、務メテ其等ノ脱漏齟齬ナキヤウニハシタリ、然レトモ、凡ソ万有ノ言語ノ、此篇ニ漏レタルモ、固ヨリ多カラム」と述べている。辞書の語釈に使った語すべてを見出しにすることは難しいということだ。であれば、なおさら、「語源説」欄で使った「文献」についての情報を辞書内で得られるようにするということは一つの試みとしてあってもよいのではないだろうか。現在は、紙媒体の辞書を引く、ということだけが行なわれているのではない。ジャパンナレッジの検索機能を使えば、『和語私臆抄』が見出しになっているかどうかはすぐにわかる。なっていれば、その見出しをすぐに参照することができる。電子版における検索を視野に入れた「手入れ」ということも今後は考えていく必要がでてくるだろう。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は12月2日(水)、今野真二さんの担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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