文語と口語
Series14-2
今回は「文語」と「口語」ということについて、さらに考えてみたい。まず『日本国語大辞典』の見出し「ぶんご」「こうご」をあげてみよう。
ぶんご【文語】
〔名〕
(1)話しことばに対し、文章を書く時に使うことば。文字言語。書きことば。文章語。
*授業編〔1783〕凡例「文語も此方の俗語をそのままに用る事多し」
*日本文体文字新論〔1886〕〈矢野龍渓〉二「我の文語の中には今日の常語より甚しく隔りたる一種のものあり〈略〉『坐ろに』『転た』『に』等の如き是なり」
*論衡‐自紀「聖賢之材鴻、故其文語、与レ俗不レ通」
(2)文章を書く時に用いる、日常の話しことばとは異なった特色を持つ言語体系。特に、平安時代の語を基礎にして独特の発達をとげた書きことばをいう。明治以後に標準化された口語に対するもの。↔︎口語。
*草野氏日本文法〔1901〕〈草野清民〉詞篇・一「国語には口語と文語との二途あり。口語は日常の談話に用ゐ、文語は文を綴るに用ゐる」
(3)「ぶんごたい(文語体)」に同じ。
(4)「ぶんごぶん(文語文)」に同じ。
こうご【口語】
〔名〕
(1)書きことばに対し、話すときに用いることばづかい。また、これをもとにした書きことばをもあわせていう。わが国の現代の口語は、文法上、用言の活用形式、助動詞の用法に主たる特色がある。話しことば。音声言語。口頭語。↔︎文語。
*語法指南〔1889〕〈大槻文彦〉動詞「口語にありては、規則動詞第三類のいく、(生) おつ、(落) しふ、(強)等を、いきる、おちる、しひる、などとするが、定まりなり」
*東京日日新聞‐明治四一年〔1908〕二月一三日「従来の文語が漸く廃れて、口語が漸次之に代らんとする傾向ありて」
*さまよへる猶太人〔1917〕〈芥川龍之介〉「当時の口語で書き留めて置いた簡単な覚え書だ」
(2)「こうごたい(口語体)」に同じ。
(3)「こうごぶん(口語文)」に同じ。
(4)ものを言うこと。口に出すこと。
*漢書‐司馬遷伝「僕以二口語一、遇二遭此禍一」
まず見出し「ぶんご」の語義(2)の「明治以後に標準化された口語に対するもの。↔︎口語」に注目したい。筆者は、もっともわかりやすい枠組みは「書きことば」「話しことば」であると考えている。それが見出し「ぶんご」の語義(1)であり、見出し「こうご」の語義(1)である。書く時に使うのが「書きことば」で話す時に使うのが「話しことば」である。したがって、「書きことば」「話しことば」は言語全体について設定できる枠組みで、「用言の活用形式、助動詞の用法」に限定されることはない。そして、語形が「異なる」ということを基準にしていないので、「書きことば」と「話しことば」とでまったく同じ語を使うということがある。すなわち、「ヤマ(山)」は「書きことば」でも「話しことば」でも「ヤマ」という語形を使う。こう考えると「書きことば=文語」、「話しことば=口語」ではないことがわかる。そもそも「ヤマ」のような語について、これは「文語」か「口語」かということはとりざたされない。
書くためには「書きことば」を使うという時期がずっと続いていた。その「書きことば」には「漢文」も含まれていた。そういう時期においては「話しことば」と「書きことば」とは別の言語態であった。しかし、話すように書く、ということが模索され、「書きことば」が「話しことば」寄りにつくられるようになる。それが「言文一致」であるが、当初は「書きことば」中に「話しことば」を交えるかたち、であっただろうが、現代日本語は、過去の日本語のことを考え併せれば、「話しことば」の中に「書きことば」を交えた「書きことば」と定義するのがふさわしいかもしれない。それが現代日本語であるとすると、「口語(形)」「文語(形)」という概念、表現がぴったりするかどうか、ということだ。
明治24(1891)年に刊行が完結した『言海』には次のような見出しがある。
つげる(動)告グ、ノ訛。
そして「つぐ(告・語)」が見出しとなっており、そこに「言葉ニテ伝フ。言ヒ聞カセ知ラス」と語釈が記されている。これはこれまでの「書きことば」を標準としての謂い、語釈にみえる。『言海』は「日本普通語ノ辞書」であることを「本書編纂ノ大意」冒頭で謳っており、「普通語」がそのまま「書きことば」ということにはならないが、それでも『言海』の出版が完結した明治24年を考えれば、「書きことば」を見出しにする辞書であることは自然であろう。となれば、「話しことば」で使われている語形を見出しにするにあたっては、断る必要があった。それが(この見出しにおける)「ノ訛」であろう。「言文一致」運動は「言」と「文」との違いを意識させ、そうしたことがあったために、このような語釈となったと考えられる。
『広辞苑』の初版(1955年)の「凡例」には「文語と口語とで同じ語義のものは、原則として文語の項目に語義の解説を置き、口語の項目には〈 〉の口語と示すにとどめた」とあって、この時点でははっきりと「文語」を軸にしている。第2版(1969年)の「凡例」には「文語と口語とで終止形の異なる語は、それぞれ別に見出しを立てた」とあり、「文語」「口語」をそれぞれ見出しにしている。初版とは「方針」が変わってきていることがわかる。第3版(1983年)の「凡例」には「活用語は、口語形見出しの下に、文語の用法をも併せて解説した。文語形のみあって、口語形が普通には行われない語については、その限りでない」とある。これは「口語形」を軸にした「方針」といえよう。
さて、そこで、過去に使われていた語も収める「歴史主義」をとる辞書はどうすればよいか、ということになる。それについては次回に述べることにする。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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