時空を超えて
Series17-2
前回は見出し「いち(逶遅)」において、萩原乙彦『音訓新聞宇引』(1876)と中国、六朝時代の宋の謝荘(421-466)の「誄」とがあげられ、見出し「がれきじょう(瓦礫揚)」においては、やはり荻原乙彦『音訓新聞字引』があげられ、「補注」に、天明4(1784)年に出版された、石丈鳥山輔昌の『忠義水滸伝解』があげられていることを話題にした
つまり、並べられている使用例同士、あるいは使用例と「補注」にあげられているテキストとの「時間差」がかなりあったり、日本と中国といった「空間差」がある場合に、それをどうとらえればよいか、ということを話題にしたい。
もちろん一つ一つのケースによって、「時間差」「空間差」をどう考えればよいかということが異なる。そこまでは辞書側が考えることではない、と筆者も思う。「この文献にたしかに使われています。この文献にもたしかに使われています」、という「事実」がもっとも大事であることはいうまでもない。そのことからすると、「お願い」としては、やはりまず、使用例が1例のみあげられている項目については、2例目がほしいと思う。『日本国語大辞典』が編集のために、使用例を長い時間をかけて探していることはわかっている。それでも、使用例が1例しかあげられていない項目を減らす、という目標を掲げてほしいと思う。
目が動かせないフクロウは首を振ることによって、獲物の位置などの得られる「情報」の精度が増す、という話を聞いたことがある。今となってはその「情報」を確かめることができないが、それをたとえに使うならば、使用例が1例ではなく2例あることによって、判断できることは飛躍的に多くなるはずだ。「この文献の他に、ああ、こういう文献でも使われている」ということがわかると、当該語が使われる「場」などが推測しやすくなる。しかし1例では推測のしようがない。
「いち(逶遅)」では中国の古典文学作品と明治期に出版された『音訓新聞字引』とが並んでいる。これがなんともミステリアスというか、なんというか。いや、そんなところに感じ入られても、ということかもしれない。しかし、漢語「イチ(逶遅)」は『音訓新聞字引』の見出しになるまで、どこでどうしていたのだろう、と思うし、漢語「ガレキジョウ(瓦礫場)」はやはり萩原乙彦の『水滸伝』好きによって見出しになったのか、などとあれこれ想像する。
萩原乙彦が「イチ(逶遅)」や「ガレキジョウ(瓦礫場)」という語にどこかで接していたから『音訓新聞字引』の見出しにしたのだろう。その「どこか」は新聞であるはずだ。となると、これらの漢藷が明治期の新聞などで使われていたことになる。そうだとすると、明治期の新聞というのは、まだ見出しを博捜する余地があるのではないか、ということになってくる。
「時空を超えて」が今回のシリーズタイトルであるが、なぜ、時間的な空白があるのか、ということをつきつめていくことによって、『日本国語大辞典』が見出しとしていない語彙が使われている文献の存在する分野がわかってくるかもしれない。
ジャパンナレッジ版を使って、検索の範囲を「用例(出典情報)」と設定し、「音訓新聞字引」で検索をかけると、747件がヒットする。その中には、次に掲げるように、日本の文献としては『音訓新聞字引』の使用例しかあげられていない見出しがある。
あくい【喔咿】
〔名〕無理に笑うさま。心にもないつくり笑い。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「喔咿 アクイ ソラハラヒ」
うし【齲歯】
〔名〕(正しくは「くし」。「う」は「齲」の慣用音)虫食い歯。虫歯。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「齲歯 ウシ ムシバ」
うぞく【烏賊】
〔名〕「うそくぎょ(烏賊魚)」に同じ。
*音訓新聞字引 〔1876〕〈萩原乙彦〉「鰞鰂 ウソク イカ」
うだ【烏蛇】
〔名〕「からすへび(烏蛇)」に同じ。
*音訓新開字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「烏蛇 ウダ カラスヘビ」
えいご【影護】
〔名〕(1)うしろめたいこと。心もとないこと。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「影護 ヱイゴ ウシロメタキ」
かいせん【乖舛】
〔名〕そむきたがうこと。くいちがうこと。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「乖舛 カイセン アヤマツ」
*蔡邕-和熹后謚議「経芸乖舛、恐史闕文」
かいへき【介僻】
〔名〕性質が一徹なこと。また、かたくなで人とあわないこと。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「介僻 カイヘキ ワルガタキ」
*羅隠‐書・答賀蘭友書「而受性介僻、不レ能二方円一」
補注「名物六帖‐人事四」に「介僻 ソゲル」とある。
かけい【夥計】
〔名〕(中国の近世語から)仲間。友人に対する愛称。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「夥計 クヮケイ ナカマ」
*阮大鍼-燕子箋・試窘「我們是接二場中相公一的。夥計、今年規矩森厳、莫下擠二近柵欄辺一去上」
補注「名物六帖‐人品箋」に「夥計 ツレ」とある。
がびょう【臥病】
〔名〕病気で床(とこ)に臥(ふ)すこと。病臥。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「臥病 グヮベウ ヤミテネル」
*王維‐酬郭給事詩「強欲レ従レ君無レ那レ老、将下因二臥病一解中朝衣上」
がんはは【眼巴巴】
〔形動タリ〕熱望するさま。
*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「眼巴巴 ガンハハ メヲミハル」
補注「小説精言‐二」に「眼巴巴(〈注〉マチカネル)此巴モ把ト通ズ。眼ニ看タラ把(とらへ)ント云義故マチカネテト訳ス」とある。
見出し「夥計」には「中国の近世語から」とあり、特別篇で採りあげた『名物六帖』が「補注」にあげられていることからすれば、『音訓新聞字引』の見出しには中国の近代語が含まれているようにみえる。そうだとすると、「その心は?」ということになるが、それについては次回の話題にしたい。
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1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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