『日国』の用例
Series23-2
前回は、『日本国語大辞典』の見出し「あいしょう(愛娼)」に次のようにあることから話を始めた。
あいしょう【愛娼】
〔名〕
かわいがっている芸者、娼婦。
*東京新繁昌記〔1874~76〕〈服部誠一〉三・新橋鉄道「余糧途を失ふ、之を愛娼暱婦に謀る」
そして筆者が所持している「紀元二千五百卅四年第八月刻行」と表紙見返しに印刷してある、明治7(1874)年の版本に「余軍畧、大違、忽遇債鬼襲来。余、失糧途、謀之于愛娼暱婦。(3編8丁表1-2行目)」とあり、 版本に加えられている訓点に従うと、「余ガ軍畧、大ヘニ違ヒ、忽チ債鬼ノ襲ヒ来ルニ遇フ。余、糧途ヲ失テ、之ヲ愛娼暱婦ニ謀ル」となるということを述べた。「東京新繁昌記」には次のようなテキストがある。
1:『東京新繁昌記』整版6冊 明治7(1874)年~明治9(1876)年
2:『東京新繁昌記』:大正14(1925)年 聚芳閣 活字翻刻
3:明治文学全集4『成島柳北 服部撫松 栗本鋤雲集』(1969年、筑摩書房)
4:新日本古典文学大系明治編1『開化風俗誌集』(2004年、岩波書店)(18章の抜粋)
上記は1の「本文」であるが、1-4の「本文」を並べてみることにする。「日」として『日本国語大辞典』の「用例」を併せて示した。
1:余ガ軍畧、大ヘニ違ヒ、忽チ債鬼(左振仮名カケトリ)ノ襲ヒ来ルニ遇フ。余、糧途ヲ失テ、之ヲ愛娼暱婦ニ謀ル
2:余が軍略大に違ひ、忽ち債鬼の襲来に遇ふ、余糧途を失つて、これを愛娼匿婦に謀る
3:余が軍略大いに違ひ、忽ち債鬼(右振仮名カケトリ)の襲ひ来るに遇ふ。余糧途を失ふ、之を愛娼暱婦に謀る
4:余が軍略大いに違ひ、忽ち債鬼(左振仮名カケトリ)の襲ひ来たるに遇(右振仮名あ)ふ。余、糧途(右振仮名りやうと)を失ひ、之を愛娼暱婦(右振仮名あいしやうじつふ)に謀(右振仮名はか)る
日:余糧途を失ふ、之を愛娼暱婦に謀る
4の「東京新繁昌記」「西京伝新記」についての「凡例」には「漢文の訓み下しは、底本の訓点に従うことを旨としたが、誤りと思われるもの、今日の読み下しの習慣から見て、奇異に思われるものは、校注者の私見によって改めた。また、意味を取りやすくするよう訓読を多用したため、底本の訓点に従わなかった箇所もある」とあるので、1(版本)の訓点通りに訓み下しているとは限らないことがわかる。
下線を施した箇所は、1の送り仮名は「失テ」であるので、「ウシナヒテ」を文字化したものとみるのが自然であるが、「ウシナッテ」も許容の範囲であろう。4は「校注者の私見」による改変の可能性がある。「ウシナフ」は1からは考えにくい「訓み」であるが、3はそのようになっており、そしてまた『日本国語大辞典』第二版の「用例」も「失ふ」である。
ちなみにいえば、『日本国語大辞典』初版も「失ふ」となっている。『日本国語大辞典』第二版が「底本」として示した「明治一四年板」の明治14(1881)年は、『東京新繁昌記』の後編1冊が出版された年である。したがって、この「明治一四年板」をどのように理解するかがむずかしい。
明治7年から明治9年にかけて出版された6編に、明治14年に出版された後編1編を併せたものを、「東京新繁昌記」と呼ぶから、「明治一四年板」なのか、あるいはほかに意図があるのか。こうしたほんのささいなところで、「情報」が絞れなくなり、「情報」の追跡ができなくなったりする。後編が出版される時に、前編と併せて7冊セットで売るというようなことはすぐに考えられることだろう。その時に、これまで前編を印刷していたところが出版するのであれば、これまでと同じ「本文」の6冊に後編が併せられることになるだろうから、前編の「本文」には変化がないはずだ。しかし、前編にあたる「本文」をつくりなおすことになれば、明治14年に後編とセットで売られた前編の「本文」は、これまでの前編の「本文」とは異なることになる。そして、本が流通している間に、1つのセットの中で刊年や版の異なる「前編」が入り混じるということもあり得る。
「情報」を正確に記述しておかないと、今後はますます「情報」が追跡しにくくなることが一般的にも予想される。正確な「翻刻」も大事であることはいうまでもないが、「翻刻」の「底本」に誰でもたどりつけるようになっていれば、気になる人は自分で確認することができる。そうした意味合いでの「情報のでどころ」を明示することが今後は重要になっていくだろう。『日本国語大辞典』が「東京新繁昌記」を「用例」として示す場合には、「東京新繁昌記〔1874~76〕〈服部誠一〉」と表示している。1874年は明治7年、1876年は明治9年であるので、このことと「明治一四年板」とはどう対応するのか、ということも気になる。
もう一つだけ確認してみよう。『日本国語大辞典』の見出し「あいふ(愛婦)」に「東京新繁昌記」初編「人力車」の「用例」があげられている。ここも当該箇所の「本文」を並べてみよう。
あいふ【愛婦】
〔名〕
愛する女性。恋人。愛人。
*東京新繁昌記〔1874~76〕〈服部誠一〉初・人力車「情男(〈注〉いろおとこ)愛婦を抱ひて而して車を同ふするは人の羨む所也」
*断橋〔1911〕〈岩野泡鳴〉一一「長くまたは近く会はない愛婦(アイフ)どもの上に馳せてゐると」
*虚実〔1968~69〕〈中村光夫〉出会「結婚するつもりの愛婦に長い手紙をかく間も」
この中の「情男」について、「東京新繁昌記」のテキスト1~4を示す。
1:情男(左振仮名イロオトコ)愛婦ヲ抱ヒテ而シテ車ヲ同フスルハ人ノ羨ム所也(初編10丁裏3-4行目)
2:情男愛婦を抱いて車を同じうするは、人の羨む所なり
3:情男(右振仮名イロオトコ)愛婦を抱ひて車を同じうするは人の羨む所也
4:情男(左振仮名イロオトコ)、愛婦を抱いて車を同じうするは、人の羨(右振仮名うらや)む所なり
日:情男(〈注〉いろおとこ)愛婦を抱ひて而して車を同ふするは人の羨む所也
この「用例」においては、『日本国語大辞典』と同じ「本文」が2-4にみられない。また、見出し「あいふ(愛婦)」は『日本国語大辞典』初版にはみられない。この見出しは第二版で新たに見出しとして採用されたことになる。そしてその「用例」は1と一致している。ただし「抱ヒテ而シテ」は版本の送り仮名はたしかにそうなっているけれども、「よみ」としては疑問があるので、4の「本文」のように「而シテ」を省くことは考えられるだろう。しかし、それは「底本」通りということを超えて、「判断」をしていることになる。
山田忠雄『近代国語辞書の歩み』(1981年、三省堂)は「東京新繁昌記」の「言語的特徴を窺うに足ると思われる常用語・愛用語を検証せんとして、九五九項、一、六二六例を得た。以下は其の結果の要約である」(1302頁)と述べて、具体的に語をあげ、かつ「小学館不載の語」(引用者補:「小学館」は『日本国語大辞典』のこと)を示す。しかし「あいふ(愛婦)」はあげられていない。そうであれば、この語は『日本国語大辞典』第二版の編集過程において見出しとして採用され、「東京新繁昌記」「断橋」「虚実」の例が揃えられたことになる。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は4月5日(水)、清泉女子大学今野教授の担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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