『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 25 「使用例 」目次

  1. 1. 今野真二:偽書と「幽霊語」 2023年07月19日
  2. 2. 今野真二:『日本書紀』の「篤癃」 2023年08月02日
  3. 3. 今野真二:過去の訓 2023年08月16日
  4. 4. 佐藤宏:日本国語大辞典は用例によって作られ、用例によって訂正される 2023年09月06日

使用例
Series25-2

『日本書紀』の「篤癃」

今野真二より

 今回も〈使用された例〉という語義で「シヨウレイ(使用例)」という語を使い、その「使用された」ということについて考えてみたい。『日本国語大辞典』の項目を3つあげることにする。

あつえびと【篤癃人】
〔名〕
重病の人。危篤の病にかかっている人。
*日本書紀〔720〕持統元年一月(北野本訓)「京師(みさと)の、年八十より以上、及び篤癃(アツエひと)、貧しくして自ら存(わたら)ふこと能はぬ者に絁綿賜ふこと、各差有り」

あつえ【篤癃】
〔名〕
(「篤」も「癃」も病が重い意)病気の重いこと。重病。危篤の病。
*和訓栞〔1777~1862〕「あつえ 持統紀に篤癃をよめり。熱困(あつをえ)の義なるへし」

あつゆ【篤】
【一】〔自ヤ下二〕病気が重くなる。あつしる。
*日本書紀〔720〕雄略二三年八月(前田本訓)「謂(おも)はざりき、遘疾(やまひ)彌留(アツエ 別訓 あつしれ)て、大漸(とこつくに)に至るといふことを」
【二】〔自ヤ上二〕【一】に同じ。
*源氏物語〔1001~14頃〕澪標「おとどうせ給ひ、大宮も頼もしげなくのみ、あつい給へるに」

 まず『日本書紀』の持統元年1月の条に「庚辰、賜京師年自八十以上及篤癃、貧不能自存者、絁・綿各有差」というくだりがある。『新編 日本古典文学全集4』『日本書紀3』(1998年、小学館)はこのくだりを次のように、訓み下している。

 庚辰(こうしん)に、京師(みやこ)の、年(とし)八十より以上(かみつかた)と篤癃(やまひあつきひと)、貧(まづ)しくして自在(わたら)ふこと能(あた)はざる者(もの)に、絁(あしきぬ)・綿(わた)賜(たま)ふこと各(おのおのも)差(しな)有(あ)り。

 『新編 日本古典文学全集4』の『日本書紀3』の頭注は『後漢書』光武帝紀下に「高年鰥寡孤独ト篤癃ニシテ家属無ク、貧クシテ自存スルコト能ハザル者ニハ律ノ如クニセン」とあることにふれたうえで、「「篤癃」は病が重いこと。「篤疾」とほぼ同じ。→注一六。従来アツエヒトと訓まれ、アツユ(おのずと病があつくなる)の連用形と解されているが、古訓にはアツコ・ヤマヒヒト・アツヒトとあり、アツエヒトは『通証』の訓で疑わしい。ヤマヒアツキヒトと訓んでおく」と述べている。「古訓」とは、一般的にとらえれば〈古い和訓〉ということになるが、「『日本書紀』の古訓」というように、あるテキストについて限定的にとらえるならば、そのテキストの訓点としてテキストに直接施された訓ということになる。テキストの成立によって、平安時代に施されることもあれば、鎌倉時代や室町時代以降に施されることもある。

 つまり「篤癃」は『後漢書』で使われている古典中国語ということになる。ポイントはその「トクリュウ(篤癃)」をどのような日本語に対応させているか、ということだ。このことは、正格な漢文でほぼ記されている『日本書紀』の背後にどのような日本語を想定すればよいか、というところを大枠として、このくだりにおいて、どの程度具体的な日本語が背後にあるか、ということにかかわってくる。「このくだりにおいて」は、頭注が引くように、『後漢書』光武帝紀下に、このくだりにかなりちかい表現があるからで、それをそのまま「下敷き」にしているのだとすると、その「下敷き」の度合いに応じて、背後の日本語の具体性が変わってくると思われる。

 『日本書紀』が記された時点の「背後の日本語」がどうか、ということになる。その一方で、いったん正確な漢文で『日本書紀』が8世紀に記され、その記された『日本書紀』に、後の時期にむきあい、どういう日本語と結びつけて理解すればよいか、ということになると、それはその時期の日本語のありかた、あるいはその時期における「古代の日本語」すなわち8世紀の日本語がどのように理解されていたか、ということと深くかかわることになる。

 頭注は「アツエヒトは『通証』の訓で疑わしい」と述べている。『通証』は谷川士清(1709-1776)があらわした『日本書紀』全体にわたる注釈書である『日本書紀通証』を指す。つまり、頭注記述者は、「アツエヒト」は江戸時代に谷川士清が考えた訓で「古訓」にみられる訓ではないから「疑わしい」とみていると思われる。頭注は「古訓」として、「アツコ」「ヤマヒヒト」「アツヒト」をあげている。この「古訓」は『新訂増補国史大系』『日本書紀後篇』(1952年、吉川弘文館)が当該箇所に示している。これらのうち、『日本国語大辞典』は「アツコ」は見出しにしていないが、「アツヒト」は見出しにしている。

あつひと【篤癃】
〔名〕
(「あつ」は、病気が重い意)危篤の人。重病人。あつえひと。
*日本書紀〔720〕持統元年正月(北野本訓)「京師(みさと)の、年八十より以上、及び篤癃(アツヒト 別訓 アツエひと)、貧しくして自ら存(わたら)ふこと能はぬ者に絁綿賜ふこと各差有り」

 まず、『日本国語大辞典』が「アツヒト」という語の存在を認め、「アツヒト」を見出しにして、「「あつ」は、病気が重い意」と説明をするのであれば、「あつ」も見出しにして、そこに「病気が重い意」という説明をしてほしいと思う。それは辞書には一貫性が大事で、辞書内はその、編集者がコントロールし整える「一貫性」が保たれていることが大事だと思うからだ。

 次に、はなはだ細かいことながら、『日本国語大辞典』は『日本書紀』の「篤癃」に施された訓「アツヒト」を見出しにする一方で、谷川士清が与えた訓「アツエヒト」も「あつえびと」の形で見出しにしている。このことをどう考えるかについては次回に述べたい。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は8月16日(水)、清泉女子大学今野教授の担当です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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三省堂書店
2800円(税別)