漢語をめぐって
Series26-2
『日本国語大辞典』の見出し「あっかく」には次のように記されている。
あっかく【握攫】
〔名〕
つかみとること。
*泣かん乎笑はん乎〔1890〕〈北村透谷〉「冥暗の中に勢源を握攫する者あらば国の至幸なり」
上の使用例の中に4つの漢字列「冥暗」「勢源」「握攫」「至幸」が使われている。『日本国語大辞典』で「冥暗」と「至幸」とを調べてみると次のようにある。
めいあん【冥暗・冥闇】
〔名〕
(形動タリ)
(1)くらいこと。また、そのさま。くらやみ。やみ。みょうあん。
*曾我物語〔南北朝頃〕五・呉越のたたかひの事「夜明、日暮るれども、日月の光をもみず、めいあんのうちに、年月をおくりむかへし涙の露」
*太平記〔14C後〕四・備後三郎高徳事「土の籠にぞ入奉りける。〈略〉一生冥暗(メイアン)の中に向て歳月の遷易(うつりかはる)をも知給はねば」
*ロザリオの経(一六二二年版)〔1622〕ビルゼン・サンタ・マリア、ロザリオに現し給ふ御奇特の事・五「マウモクノ ゴトクmei anni (メイ アンニ) シヅミタル アサマシキ シンダイヲ」
*ロザリオの経〔1623〕三「mei antaru (メイ アンタル) トコロヲ クヮウミャウ カクヤクト ナシ タマウ モノ ナリ」
*易緯乾坤鑿度‐上「艮静如二冥暗一、不レ顕二其路一、故曰二鬼門一」
(2)冥土の迷い。
*謡曲・海人〔1430頃〕「君孝行たらば、わが冥闇を助けよ」
みょうあん【冥暗・冥闇】
〔名〕
くらいこと。くらやみ。めいあん。
*太平記〔14C後〕五・中堂新常燈事「兼ては六趣の群類の暝闇(ミャウアン)を照す、慧光の燈明なるに」
しこう【至幸】
〔名〕
(形動)
この上もなく幸福であること。また、そのさま。
*童子問〔1707〕上・一二「獲レ蒙二教誨一、始識三論語一書、実為二宇宙第一書一。至幸至恵」
*花柳春話〔1878~79〕〈織田純一郎訳〉五「僕の至幸何そ之に過ぎん」
*伊藤特派全権大使復命書附属書類〔1885〕天津談判筆記・三「双方此上論議を要せざるを得は洵に至幸なり」
*翰墨全書‐婚礼門・請客翰・請親友陪親家「敢屈二陪叙一、以光二賓筵一、希勿レ見レ外至幸」
「めいあん」には『易経』の解釈をまとめた緯書『易緯』の、「しこう」には『翰墨全書』の使用例があげられているので、この2語は中国語としての使用が確認できる。すなわち漢語といってよい。一方「みょうあん」には中国の文献における使用例があげられていない。
『日本国語大辞典』の見出し「あっかく」には中国文献が使用例としてあげられていない。『大漢和辞典』の見出し「握」も「握攫」を掲げていない。「アッカク」が中国語として使用されたかどうかについて、これだけから判断することはもちろんできない。使われたことの証明よりも使われていないことの証明が難しく、かつそれを徹底できないことはいうまでもない。したがって、「握攫」が漢語であるのか、そうではなく、日本でつくられた漢語風の語であるのか、ということについてはこれ以上踏み込むことができない。
例えば漢語風の語、すなわち漢字の音によって形成されている語であるにもかかわらず、中国文献の使用例が示されていない語は少なからずある。
あっか【悪過】
〔名〕
過去に犯した過ち。旧悪。また、悪いことをしていた昔。
*哲学階梯〔1887〕〈今井恒郎訳〉二・三四「一個の人間にして其悪過を改めて、終身善良となりしもの」
『大漢和辞典』の「悪」の項目/見出し「悪」には「悪過」があげられていない。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は10月18日(水)、清泉女子大学教授今野真二さんの担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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