用例の平仮名と片仮名
Series19-3
現代日本語は「漢字平仮名交じり」をデフォルトとしている。それを前提にして、片仮名が使われている。日本語の語彙は「和語」「漢語」(中国語由来の借用語)「外来語」(中国語以外の外国語由来の借用語)とそれらの「混種語」で成り立っている。「漢語」は漢字によって文字化するのがもっとも自然で、「和語」は平仮名もしくは漢字で文字化している。「外来語」の使用頻度は、「和語+漢語」と比べるとたかくはないから、その「外来語」の文字化に「片仮名」を使うと、これは「外来語」だということがすぐにわかる。つまりは目立つ。別のいいかたをすれば、他とは違うことを示す。
文学作品を読んでいると、子供のことばが片仮名で文字化されていることがある。あるいは宇宙人やロボット、「外国人」のことばなどが片仮名で文字化されていることがある。宇宙人やロボットであれば、「人間のことばではない」ことをあらわすためにデフォルトで使わない片仮名を使っていると思われる。「他とは違うことを示す」という使い方だ。
「仮名」として一つにくくられる「平仮名」と「片仮名」とは機能からみれば日本語をあらわすための表音文字(音節文字)という共通性をもつ。しかし、現代日本語において、どのように使われるかという点からいえば、使われ方は異なる。すなわち交換は可能ではない。これは過去においてもそうだと思われる。「平仮名」と「片仮名」とは原理的には交換可能ではあるが、実際的には交換可能ではないというみかたが成り立つだろう。
さて、前回示したように、「凡例」では「ローマ字資料や辞書については、かたかなを使う場合がある」と述べられている。ローマ字資料は、例えば、室町時代末期にキリスト教の布教のために来日していた宣教師たちが日本人信者とともに作ったテキストがある。「キリシタン版」と呼ばれるテキスト群であるが、こうした資料が使用例としてあげられる場合には片仮名が使われている。「あいたくむ」の項目を次にあげる。
あい‐たく・む[あひ‥] 【相巧】
〔他マ四〕
(「あい」は接頭語。「巧む」の改まった言い方)
計略をめぐらす。たくらむ。
*文明本節用集〔室町中〕「相巧 アイタクム 相工」
*天草本伊曾保物語〔1593〕蠅と、蟻の事「テノ ヲヨビ、チカラノ ヲヨブ ホドワ、チュウバツ ショウト aitacumaruru (アイタクマルル)」
「天草版伊曾保物語」は、日本語訳のイソップの物語をラテン文字(ローマ字)で文字化したテキストだ。そのラテン文字(ローマ字)で文字化されているテキストを使用例として示すにあたって、『日本国語大辞典』は上記のようなラテン文字による文字化を選択している。もとになっているテキストは印刷物であるにもかかわらず、1冊しか現存が確認されておらず、大英図書館にその1冊が所蔵されている。そのテキストの457ページから458ページにかけて、「Faito,arino coto.」(蠅と、蟻の事)が印刷されている。
今、『日本国語大辞典』にならって、タイトルを「蠅と、蟻の事」と文字化したが、まず、タイトルは「漢字平仮名交じり」で文字化している。これはもちろんわかりやすくするということと理解することはできる。しかし、上に示したラテン文字でわかるように、実は「ハエ」ではなくて「ハイ」という語形である。これは室町時代にはそういう語形があったということであるが、漢字を使うことによって、そういうことが覆い隠されている。
使用例として示された箇所を「漢字平仮名交じり」で文字化すれば「手の及び、力の及ぶ程は、誅伐しょうと相巧まるる」となる。実は「チュウバツ」も「誅伐」と文字化したほうが現代日本語母語話者にはわかりやすいのではないかと思う。そして、例えば「テノ ヲヨビ、」はもともとのテキストにおいては「teno voyobi,」と文字化されている。このテキストにおいては、自立語「テ(手)」と付属語「ノ」をひとまとまりにした「手ノ」をまとまりとみて、その次にブランクを空けている。そのブランクが「テノ」と「ヲヨビ」との間のブランクである。ここではもともとのテキストのありかたが大事にされている。しかし、それは『日本国語大辞典』の使用者にはおそらく伝わらない。
英語などではごく一般的であるが、日本語は単語あるいはいわゆる文節の間にブランクを置かない。ブランクを使って切れ目を示す「分かち書き」というやりかたはあったが、現在ではほとんど使われていない。そのことからすると、「キリシタン版」を「片仮名分かち書き」によって文字化するということについて、考えてもいいのではないかと思う。キリシタン版の「ローマ字」の綴り方は、いわば中世ポルトガル式で、「アイタクマルル」が「aitacumaruru」と綴られているのも、そのためだ。このテキストでは「vo」はワ行のオ(ヲ)をあらわしている。だから、「voyobi」は「ヲヨビ」となる。
さて「凡例」「用例文について」の「2.見出しに当たる部分以外の扱い」の〈表記〉(ニ)には「原文がかな書きでも、読みやすくするために、原文の意味をそこなわない範囲で漢字を当てるものもある」とある。「凡例」〈表記〉(イ)の「和文は、原則として漢字ひらがな混り文とする」とこの「原文の意味をそこなわない範囲で漢字を当てる」がいずれも現代日本語母語話者にわかりやすい、ということに基づくのであるならば、ローマ字資料であっても「手の及び、力の及ぶ程は、誅伐しょうと相巧まるる(aitacumaruru)」という使用例の提示のしかたでもいいのではないか、というのが筆者の一つの提案だ。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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