使用例
Series25-3
前回は、『日本書紀』持統元年1月の記事中にある「篤癃」に附された「古訓」のうち「アツヒト」が『日本国語大辞典』の見出しとして採用されていること、同じ箇所について谷川士清(1709-1776)が与えた訓=振仮名「アツエヒト」も「あつえびと」のかたちで見出しとして採用されていることを紹介した(前回言及していないが「ヤマヒヒト」も見出しとして採用されている)。
「アツヒト」「ヤマヒヒト」「アツエヒト」は、『日本書紀』成立後に『日本書紀』「本文」に与えられたいわば「よみ」であるので、『日本書紀』の筆録者=書き手が与えた訓=振仮名ではない。このことについての可能性は次の4つになる。
改めていうまでもないが、1であれば2・3・4が成立せず、2であれば1・3・4が成立せず、3であれば1・2・4が成立しない。つまり1・2・3・4はそれぞれが排他的な関係になっている。そして、「事実」という表現を使うことにするが、「事実」は1・2・3・4のどれかということになる。この場合の「事実」は『日本書紀』筆録者が思っていたことといってもよい。この「事実」を重視するならば、『日本国語大辞典』の見出しは「アツヒト」「アツエヒト」「ヤマヒヒト」のどれか1つ、あるいはまた「アツヒト」「アツエヒト」「ヤマヒヒト」いずれも見出しにしない、ということになる。
しかし、『日本書紀』筆録者の思っていたことを措くならば、「篤癃」は「アツヒト」という日本語を文字化したものだと思った人がいて、それを振仮名として残したことは確実なことといってよい。このことも、『日本書紀』の写本の振仮名として「アツヒト」が確認できるという意味合いにおいて「事実」と呼ぶことができる。同様に、前回引用した『新編日本古典文学全集4』『日本書紀3』の頭注は谷川士清の訓「アツエヒト」を「疑わしい」とみるが、谷川士清が「アツエヒト」という日本語を想定したことは「事実」と呼ぶことができる。こういう意味合いにおいて、「アツヒト」も「アツエヒト」も「ヤマヒヒト」も「使用された例」とみることができる。
『日本国語大辞典』の情報量は膨大なものであるので、ここまで述べてきたことが小さなことであることはもちろん承知している。したがって、こういうところが不統一ではないですか、と述べるつもりはない。
しかしまた、当シリーズを書くきっかけは、「あつえ」「あつえびと」が見出しとして連続していたからだ。見出し「あつえ」には谷川士清の『和訓栞』が使用例としてあげられていて、そこには「持統紀に篤癃をよめり」とある。次の見出し「あつえびと」は見出しに「篤癃人」という漢字列を対応させて、使用例として『日本書紀』の持統元年1月の「北野本」の「訓」に「篤癃」に「アツエヒト」とあることを示している。前回引用した見出し「あつひと(篤癃)」も考え併せると、「アツエ」「アツエヒト」「アツヒト」の語義の「違い」「重なり合い」が複雑なものに感じられた。
漢文で書かれている文章の背後に、「日本語」をどの程度想定すればよいか、ということは大きな「問い」といってよい。「どの程度」はさらにいえば「どの程度具体的な」ということになる。
上記1・2・3・4の4すなわち『日本書紀』筆録者が「篤癃」で文字化したかった日本語=和語は「アツヒト」でも「アツエヒト」でも「ヤマヒヒト」でもなかったとしても、「アツヒト」も「アツエヒト」も「ヤマヒヒト」も文献にはっきりと残された語、そういう意味合いでの「使用された語」だから『日本国語大辞典』は見出しにする、ということであれば、それは一つの「方針」であると考える。そうであれば、「アツコ」も「過去に用いられた訓」(以下「過去の訓」)としては確認できるのだから、見出しにすれば、「一貫性」が保たれる。『日本書紀』の「過去の訓」はすべて見出しにするということになると、相当な数の見出しが増えるかもしれない。しかしそれも確実に存在した「使用例」なのだという「みかた」に基づく「方針」である。ただし、「過去の訓」であれば、その訓が附された時期の語とみるのがいいであろう。谷川士清が附した「アツエヒト」は『日本書紀』筆録時の語としてみるのではなく、江戸時代人である谷川士清が使った語としてみるということだ。
その一方で、あまりにも臨時的にみえる、安定性がなさそうな「過去の訓」は見出しにしないということも当然あり得る穏当な「方針」といえよう。しかしこの穏当な「方針」には「判断」がともなう。
そして、もっとも「潔癖」(という表現を仮に使っておくが)な「方針」は、はっきりと日本語=和語としての語形が確認できない場合は見出しにしないという「方針」であろう。『万葉集』『古事記』『日本書紀』のように漢字で記されているテキストの場合は、いわゆる「万葉仮名」表記されている語のみを認めるという「方針」で、この「方針」に従うと、『日本国語大辞典』第2版からなくなる見出しがあるかもしれない。
「「過去の訓」はすべて見出しにする」「「過去の訓」のうちあまりにも臨時的にみえるものは見出しにしない」「はっきり和語としての語形が確認できない「過去の訓」は見出しにしない」という3つの「方針」のどれを採るかと問われれば即答は難しい。「アーカイブ」ということを意識すれば、文献に確認できる語はすべて見出しとして採用するという「方針」はわるくないと思う。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は9月6日(水)、『日本国語大辞典 第二版』佐藤宏元編集長による回答編です。
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1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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