使用例
Series25-4
『日本国語大辞典』は、見出し語について、実際に存在する典拠においてその語が使われている例を添えることを原則としています。「用例」の語釈に〈使用してある例。用い方の例。引用例〉とあります。「使用してある例」とは、すでに誰かがその語を使用したもの、用いたものとしてそこにある例であり、「引用例」は、すでにあるものから引用した例ということになります。ただし、「用い方の例」は、その語の特性に照らして相応しい使い方を示す例という意味合いになるので、あるいは、すでにそこにある例とは限らず、使い方だけを簡潔に示す「作例」[1]と紛らわしいことば遣いかもしれません。しかし、『日本国語大辞典』の語釈は用例に基づいて施すことを基本としているので、まずは、実際にその用例を見てみましょう。
よう‐れい 【用例】
〔名〕
使用してある例。用い方の例。引用例。
*日本大辞書〔1892~93〕〈山田美妙〉緒言・一〇「必要に応じてその語の出所、又は用例などの証拠を挙げる事は著者の責任を重くするための事で」
*鉛筆ぐらし〔1951〕〈扇谷正造〉新語散見「こういう用法を『非合法のQ』の用例というのだそうだ」
*宋史‐寇準伝「宰相所以器百官、若用例、非所以進賢退不肖也」(返点略)
採集した中でいちばん古い例である、山田美妙の『日本大辞書』[2]の「緒言」例は〈必要に応じてその語の出所、又は用例などの証拠〉とあるので、これはすでにある例文でなければ証拠にはならないと考えられます。次に、扇谷正造の『鉛筆ぐらし』[3]の例はどうでしょう。引用部分だけでは分かりにくいので、その前の部分から長めに引いてみますと、〈Qという言葉が、また流行り出して来たようである。/「同志よ、特急寝台車の乗心地は、また格別だぜ。——徳Q」(週刊朝日「うそしんぶん」より)/という工合に用いるものらしい。いつかの漫画で、「徳Q氏の災難」とかいうのを見たこともある。こういう用法を「非合法のQ」の用例というのだそうだ〉(p.238 本文1〜5行目)とあります。確かにこれも実際に使用されている例であると同時に、用法すなわち用い方の例でもあることが分かります。
次に漢籍の例も見ておきましょう。『宋史』の「寇準伝」[4]に、〈準曰、宰相所以進賢退不肖也、若用例、一吏職爾〉とあります。ここは、〈寇準が言うに、「宰相が有能な者を進め無能な者を退けられるのは、慣例に従っているからで、(宰相といっても)一吏の職に過ぎない〉というふうに解釈できます。この場合の「用例」は、「慣例」「ならい」という意味で用いられており、直接、文章の例を指すわけではありません。しかし、この文脈では宰相の胸三寸で決めるのではなく、公平を期すために「慣例」に倣うのですから、それは客観化されたものでなければならず、おそらく文書化されたもの、つまりすでにあるものを元にしていると考えられます。ことほどさように、語釈だけをみると、曖昧に見える部分も、用例と合わせて読めば、その基本義は「すでにあるものの例」ということになりそうです。とはいえ、現行の語釈のままでは分かりにくいことも確かなので、さらに多くの用例を集めて再検討する必要があると考えます。
『日本国語大辞典』は、実際に用いられた「すでにあるものの例」をもとに語義を記述することを基本にしているので、実証主義的な辞書であるといえます。また、その用例を古いものから展開することによって語義と用法の変化を記述するという姿勢については、歴史主義的な辞書であるともいわれます。いずれにしても、これを保証するのは、原則として誰にでも確認できるテキストの存在です。語義の記述について疑問が生じた場合、その根拠が分かれば、その理由に納得し、より適切な用例を見つけたり、あるいは、より的確な説明を試みたりすることもできます。つまり、存在が確かなテキストによってこそ、語釈は反証可能となり、客観性を担保することになるといえます。言い換えれば、用例の底本が明らかであれば、辞書は開かれたものになり、訂正可能なものになるといえるでしょう。
確かなテキストという意味では、用例のもとになる文献が長らく紙で保存されてきたことの意義は大きいと言わざるを得ません。稀覯本の類は誰にでも見られるというわけではありませんが、存在していることが確かであれば、アクセスできるということでもあります。幸い、今では、国会図書館などのデジタル化事業の進展が目覚ましく、少なくとも画像としては相当数の文献が見られるようになっています。さらに、これらの画像をテキスト化する動きも進んでおり、正読率も格段に上がっています。デジタルテキストになれば、検索の便は比較にならないほど飛躍するし、データを数量化して統計学的に解析することも可能になります。新しい日本語の研究方法に期待するところは大ですが、問題はそれらの元データの存在が保証されているかどうかです。
たとえば、インターネットが普及し始めた当初は、デジタルデータが安定せず、ホームページが突然消えたり、過去のログが知らぬ間になくなったりということがありました。大事な情報は証拠として残すために、「魚拓」[5]などと称してパソコンの表示画面をそのまま画像として保存したものです。やがて特定のネット企業が巨大化することによって、少しずつデータも安定するようになり、今度は逆に、昔のログを関係のない文脈で持ち出されて炎上するようなことが起こり始めました。過去のプライバシーは基本的人権に関わるということで、「忘れられる権利」[6]が主張されるようにもなります。最近では、これらの膨大なデータをもとに、人間の代わりにリサーチして文章をまとめたり、プログラムまで作ったりするChatGPT[7]のようなAIも出現し、出力の中に含まれる個人情報をどうするかが議論されるようにまでなっています。
『オックスフォード英語辞典』(OED)は、オンラインでの改訂とその提供が進んでいますが、Twitterからの用例を数年前から積極的に取り入れるようになっています。この場合、ログのアーカイブが確実に保存されるという前提での判断があったと考えられますが、そのTwitterが先ごろ、経営者の一存でいとも簡単に名称を「X」に変えました[8]。日本でも普通名詞のように使われ始めていた「ツイッター」はもとより、「ツイート」や「リツイート」という言葉が今後どのように使われていくのか、あるいは使われなくなるのかは分かりませんが、デジタルデータの場合、一つの企業が管理しているデータについては、そのアーカイブの公共性をどのように担保していくのかという問題があります。
いかに典拠が大事か、底本が大事かという話になるのですが、例えば、当初漢文体で書かれた『日本書紀』については、完成した翌年の721年(養老5年)から、朝廷主催で講義(日本紀講筵)が行われるようになります。主に、書紀の漢語をどのように訓(よ)むかついて、博士による訓読法の講義がなされ、学生との間でも議論が行われました。その記録は『日本紀私記』などによって伝わっています。このような伝統の中で、古くから書紀の訓については写本が作られる過程でその記録が反映されることがあり、それが貴重な資料となりました[9]。『日本国語大辞典』は、書紀本体からは万葉仮名で示される歌謡などの例に限って用例を採集していますが、その古訓については、別途、書名の後ろに(岩崎本訓)(前田本訓)(図書寮本訓)(北野本訓)などとことわってその訓みの用例として引いています。ちなみに、岩崎本、前田本、図書寮本は院政期の、北野本は鎌倉初期の訓点資料と考えられているので、それが訓まれた時代についても考える手がかりになります。
次に、今回のシリーズで話題になっている漢語「篤癃(トクリュウ)」が実際にはどう読まれたかという話に移りたいと思います。『日本国語大辞典』は、「あつひと」(あるいは「あつえ」)と読み、『日本書紀』巻三十・持統天皇の一節を根拠としてその用例を引いていますが、『日本書紀』の底本は『新訂増補国史大系 第一巻(上・下) 日本書紀(前篇・後篇)』(吉川弘文館、1951-52)です。「篤癃」が記されている該当ページを見ると、漢字列の右側には「アツエヒト〔證〕/アツコ」とあり、左側には「アツヒト/ヤマヒヒト」とあります。
ここに示されている訓については、『日本国語大辞典』は、一つ一つ、それぞれの写本にもどって確認しています。「あつひと」の用例として拾った北野本を見ると、右側には「アツコ(エあるいはユ?)」とあり、左側には「アツヒト」とあります。
しかし、さらに『日本国語大辞典』の「あつえびと」の用例を見ると、「篤癃(アツエひと)」とあります。
あつえ‐びと 【篤癃人】
〔名〕
重病の人。危篤の病にかかっている人。
*日本書紀〔720〕持統元年一月(北野本訓)「京師(みさと)の、年八十より以上、及び篤癃(アツエひと)、貧しくして自ら存(わたら)ふこと能はぬ者に絁綿賜ふこと、各差有り」
これは何を意味するのか。「北野本」に「アツエヒト」という訓みはありません。谷川士清(ことすが)[10]の『日本書紀通証』には「アツエヒト」とあるのですが、その谷川が『和訓栞』では、「篤癃」を「あつえ」と訓んでいるわけです。さらに、「あつえ」の語形については、谷川はその語源を「熱困(あつをえ)」とみていますが[11]、書紀の前田本訓や源氏物語にその例が認められる「あつゆ(篤)」の連用形と考えることもできます。以上に鑑みて、北野本に見える「アツコ(エあるいはユ?)」を「アツエ」と判断し、その部分は底本のままにカタカナで示して、「ひと」とひらがなで補っていることになります。『日本国語大辞典』が「アツコ」を見出しにしなかったのはそのような理由によると考えられます。それでは、北野本の訓「アツエ」になぜ「ひと」を補ったのかということになりますが、これは、『通証』の訓みを参考にしつつ、『時代別国語辞典 上代編』(三省堂、1967)がその語形で見出しをたて、『日本古典文学大系68 日本書紀(下)』(岩波書店、1965)がそのように読み下していることも勘案したかと思われます。
一方、『新編日本古典文学全集4 日本書紀(3)』(小学館、1998)の頭注のように、古訓を「アツコ・アツヒト・ヤマヒヒト」とだけ認め、「アツエヒト」は近世の『通証』の訓みだから取らないとするのも一つの判断であり見方です。その立場にたてば、北野本は「アツコ」と書かれているのであり、「アツエ」は幽霊語[12]ということになります。しかしまた、「アツエ」は「アツユ」連用形の転成名詞と考えることもできるわけです。この立場に立てば、語構成が必ずしも判明ではない「アツコ」のほうが幽霊語ということになります。「アツエヒト」は近世の訓ではありますが、国学者・谷川士清が初めて書紀全体に通釈を施した『日本書紀通証』で古訓「アツエ」に「ヒト」を補足して訓んだもので、そう訓むのが慣わしになったと考えることもできるのではないでしょうか。いずれにしても、これらはみな確かな底本を参照しながらの意見であり、解釈は開かれているといえます。『日本国語大辞典』の次の版では、再度検討されることになるでしょう。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(通常は第1、3水曜日)の更新です。次回は9月20日(水)、新シリーズがスタートします。清泉女子大学今野教授の担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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