『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 1 「辞書を編む人 」目次

  1. 1. 今野真二:『日葡辞書』の場合 2019年04月10日
  2. 2. 今野真二:『和英語林集成』の場合 2019年04月17日
  3. 3. 今野真二:あと10センチ 2019年04月24日
  4. 4. 佐藤宏:辞書編集者とは 2019年05月08日

辞書を編む人
Series1-3

あと10センチ

今野真二より

 前回は「ホキジ」といういささか聞き慣れない語を採りあげて、それが12世紀に成ったと考えられている『山家集』、明治39(1906)年に刊行された薄田泣菫『白羊宮』に使われている語であることが『日本国語大辞典』によってわかることを述べ、かつ「ホキジ」が明治19(1886)年に出版された『和英語林集成』第3版の見出しになっていることを紹介した。

 そこでの話の流れは、『和英語林集成』第3版が見出しにしていることが「情報」として示されていれば、「ああ、明治時代にも使われた語だったのだな」とわかる、という「流れ」であった。この「話の流れ」は、紹介したことがらを「一般化」して考えた場合のことであった。

 話が少しとぶが、平成7(1995)年1月7日に逝去した碩学亀井孝の文章を集めた『ことばの森』(1995年、吉川弘文館)という一書がある。「読書始め(とくしょはじめ)」は「禁中、将軍家などの新年行事の一つ。その年はじめて書物を読む儀式。江戸時代、一般では「読み始め」として行なわれた」(『日本国語大辞典』)ということであるので、そう呼ぶことはできないが、「個人的な1年最初の読書」として毎年1月1日には、1年のことを思って、この本を少し読むことにしている。

 この本の中に「もし一皮むくならば」と題された文章が収められている。平成4(1992)年10月22日に大谷女子大学の国文学会で行なわれた講演会での話を活字化したものだ。内容についてはこの本に就いていただきたいが、この「一皮むく」ということをいつも思う。あるいは「あと10センチ掘り下げる」でもよい。事実としてあることから、どれだけ先にふみこめるか、といってもよい。

 実は『和英語林集成』第3版は見出し「HOKIJI」に「†」マークを附している。このマークは第3版の「ABBREVIATIONS」(略語)一覧によれば、「obsolete」(廃れた)と説明されている。「廃語」あるいは「古語」ということであろう。つまり第3版は「そういう語」として見出しに採用したということだ。そうだとすれば「ああ、明治時代にも使われた語だったのだな」と思ってはいけないということになりそうだ。しかしここで「使われた」について考えておく必要がある。

 「使われた」は「日常会話の中で使われた」ということを想起しやすいが、言語生活は日常生活ばかりではない。本を読む、すなわち「書きことば」を理解することも言語生活の重要な一面だ。「廃語」や「古語」を見出しとしているということは、第3版は当時「書きことば」として接する可能性がある語をひろく見出しとして採り入れようとしたのではないだろうか。そのことによって、『和英語林集成』の見出し全体を「話しことば」「書きことば」ともにある程度カバーするバランスのとれたものにしようとしたということではないかと思う。薄田泣菫が古語や漢語を使って自らの作品を構築していたことは知られている。

 筆者は辞書から手が伸びているような感じで上記のことを思い浮かべる。過去の言語の方に、より手が伸びているのか、そうではなくて、現代の言語の方に伸びているのか、ということだ。「過去の言語」は(ほぼ)必然的に「書きことば」ということになる。

 明治24(1891)年に完結した国語辞書『言海』は「普通語」を見出しとしたことを謳う。その一方で、見出しに「古語」であることを示す符号、「訛語」であることを示す符号を附している。『言海』の「ことばのうみのおくがき」には、「明治十九年三月二十三日」に「初稿」の「再訂の功を終」えたことが明記されている。そのことからすれば、印刷用の原稿は明治19年頃にはできあがっていたと思われる。明治19年に、日本語を母語としないヘボンが「obsolete」と判断した語と、日本語を母語とする大槻文彦が「古語」と判断した語とはどの程度重なって、どの程度重ならないのか、興味深い課題だ。この課題を、筆者が担当する学部2年生向けの「日本語学基礎演習」で学生に提示した。学生には一皮むいた時にそこに見えてくるものの新鮮さ、10センチ掘り下げた時の深さの感覚を味わってほしいと思う。

 さて、『日本国語大辞典』において、『白羊宮』と『和英語林集成』第3版とが使用例としてあげられている見出しは? これもオンライン版の検索機能を使って探し出すことができる。「用例(出典情報)」の欄にどちらかの書名を入れ、「かつ(AND)」の欄を同じように「用例(出典情報)」に設定して、もう一方の書名を入れて検索をすると「ほかい(祝・寿・祷)」がヒットする。しかしヒットするのはこの見出しのみだ。『和英語林集成』第3版を確認してみると、ありました、ありました。「†」マークが附されているので、「ホキジ」と同じケースであることがわかる。オンライン版は「掘り下げ」のためのツールでもある。

「白羊宮」と「改正増補和英語林集成」(『和英語林集成』第3版)を入れると「ほかい」がヒット。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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今野真二著
三省堂書店
2800円(税別)