滝田樗陰とは
1882~1925。ジャーナリスト。秋田市生まれ。本名、哲太郎。東大中退。1912年(大正元)雑誌「中央公論」主幹となる。黒塗りの人力車で作家宅を駆け回り、家の前に樗陰の車が止まると一流作家の仲間入りが出来るとまでいわれた。原稿の善し悪しを見る目と原稿催促が厳しく、作家から恐れられていたという。作家以外にも吉野作造、堺利彦などの原稿を掲載し、「中央公論」発展の基礎を築いた。
その滝田樗陰が所蔵していた原稿及び書簡類が、2010年に近代文学館に所蔵された。本コンテンツは、その中から「中央公論」に掲載された原稿を中心にデジタル化して公開する。