[平凡社刊「字通」・序より]
〔字統〕〔字訓〕の二書につづいて、ここに〔字通〕を刊行する運びとなった。三部作として、かねてその完成を期していたが、着手して十三年余にして、ようやく初志を達することができた。この間を通じて、私の関心は、主として国語の将来と、漢字の関係という問題にあった。漢字は難解であり、新しい時代の言語生活に適合しないという考えかたが、一部に根強くある。しかしわが国の文化は、漢字に支えられているところが多い。ことに知的な営みの世界から漢字を除くことは、ほとんど不可能といってよい。わが国の文化的集積の大部分が、その上に築かれているからである。漢字は、国語表記の上からは、国字である。音訓を通じて自在に表記するという方法は、わが国独自のものである。
漢字は難解であるとされるが、漢字が成立した当時の資料である甲骨文、つづいて殷周期の金文などによってその初形が知られ、その字形学的研究によって、その字源はほぼ明らかになった。それは一定の原則のもとに、整然たる体系をもっている。字源と、したがってその語源とが、これほど明らかにされた言語は、他にその例がない。〔字統〕はそのことを論じた。
漢字は、わが国では音訓をあわせ用いるという方法によって、完全に国語表記の方法となった。他の民族の、他の語系に属する文字を、このように自国の言語、その言語の表記に用いるという例は、他にないものである。これは誇るべき、一つの文化的成就といってよい。その消息を明らかにするために、私は〔字訓〕を書いた。
この音訓を兼ね用いるという方法によって、われわれは、中国の文献を、そのまま国語の文脈になおして、読み下すことができた。すぐれた思想や歴史記述、また多くの詩文なども、自国の文献のように読むことができた。そこには、語法的な組織力とあわせて、知的な訓錬をも獲得するという意味があった。そのような基礎的な体験があって、わが国の文化は、どのような外的刺激にも対応することができた。私はこの〔字通〕において、そのような知的教養の世界を回復したいと思う。語彙の文例に、表現として完全な、文意を把握しうる文章や詩句を用意したのは、そのためである。編集の詳しい方針と方法とについては、後に述べる。
この書の編集にあたっては、はじめ中国芸文研究会の諸君に語彙の抽出を、また問題のあるごとに、随時文献の調査を依頼した。研究会は立命館大学文学部中国文学専攻の卒業生を以て組織し、清水凱夫教授を責任者として、随時私の要請にこたえてくれた。また津崎幸博・史夫妻は、編集の準備段階から校了に至るまで、終始よき協力者であった。ことに阪神の大震災で被災した中でも、作業は継続された。史は私の長女、早く教職を退いて、このことに専念してくれた。
編集部の諸氏にも、いろいろお世話になった。大部なものであるため、原稿の読みかえしも容易でなく、進行上いろいろご苦労をかけた。多くの方々の協力を得たにもかかわらず、本書はなお誤りや不十分なところが多いであろうと思う。ただこの書によって、私の意図するところがひろく理解され、また世用に役立つことをねがうのである。
平成八年八月 白川 静