歌舞伎役者として活躍されるばかりでなく、ブログや著書でわかりやすく歌舞伎の魅力を伝えてくれる、市川染五郎さん。歌舞伎について、役者のお仕事についての興味深いお話はもちろん、ジャパンナレッジについても語っていただきました。
※このインタビュー記事の内容は2012年時点のものです。
短時間でも役についてはしっかり準備
どの演劇、いえ、どんな仕事もそうだと思いますが、新しい役をやるとなったらそれについての下調べ、勉強が必要です。歌舞伎の演技は「型」なんだから、代々それを受け継いで同じことをやっていればいいんだろうと思われるかもしれませんが、先輩方の動きをただなぞるだけ、まねるだけではダメなんですね。芝居なのでまず「心」が大事。そして「型」も人によって体型が違いますから、同じように動いても同じように美しく見えるとは限りません。それに、その所作の意味を理解できていなければ、手足をただバタバタ動かしているだけで芝居にはならない。ですから、演じる人物のことや演目の時代背景などについても調べるわけですが……歌舞伎の場合、とくに東京では1年中舞台があって月ごとに演目が変わります。すると、今月の千秋楽と翌月の初日の間が数日くらいしかありません。全員揃っての稽古ができるのは、その数日間のみ。毎回、そりゃもう、必死です。
歌舞伎は歴史が長いので資料にしてもかなり昔のものに当たらないといけません。ですから、図書館に行って調べたり、古本屋に探しに出かけたり。いまは図書館でも古本屋でもインターネットで蔵書一覧のようなものが見られ、遠方から取り寄せたりもできるので助かります。先日も、ネット上をうろうろしていたら、もう手に入らないとあきらめかけていた資料が広島の古書店にあるのを見つけましてね。ホントに便利な時代になりました。ただ、インターネットなどで情報が手に入りやすくなると、そのぶん頭でっかちになる危険もある。また、あふれる情報の中から必要なものを探し出すためには、どの言葉で検索したらいいのか、そういう頭がないとうまくいきません。僕にとってデータベースは必需品ですけど、使いこなすのはなかなかむずかしい。もともと僕は昔のことや、まだよく知られていないことをほじくり出すのが好きなので、楽しいんですけどね。
だから、ジャパンナレッジの存在はうれしいですね。なんといっても、串刺し検索ができるのがいい。一度でいろいろな辞典を引き比べることができるんですから。しかも、たくさんのコンテンツがあるので一つのことを立体的に調べられるのがいい。短い時間でここまでの資料に当たれるのはありがたいですよ。さらに最近、コンテンツの中に『新版 歌舞伎事典』が加わりましたね。これがまた便利で、歌舞伎の演目はもちろん、役者についても情報がいくつも並んでいる。家系図なんかもPDFで見られるんですよ。7歳の息子(四代目松本金太郎)の記載もすでにありました。こんなふうに歌舞伎についての今の、生の情報が手に入れば、みなさんにも歌舞伎により興味を持っていただけるんじゃないでしょうか。
ぜひ劇場で何かを感じてもらいたい
歌舞伎は、多くの方にとってまだまだ敷居の高い世界かもしれませんね。でも、何でも手に入ってしまう現代にあって、そんなちょっと入りにくいもの、わかりにくいものがあってもいいんじゃないかと。僕はつねづね「歌舞伎はエンタテインメントだ」とお話ししていますが、行き着く先は「芸術」だと思っています。たしかに、昔は庶民のものでした。しかし、400年余りの間に芸が磨かれ、伝統が築かれて芸術になった。たとえば、歌舞伎の舞台は基本的には書割(かきわり=風景や建物が描かれた張物)で、しくみは小学校の学芸会と同じですよ。でも、その色彩感覚は歌舞伎独特のものですし、舞台の上で繰り広げられる音楽も日本古来のものです。この独特なもの、古来のものを何十年、何百年とさらに磨き、修錬した役者が芸を観せることによって、芸術の域に達した。こんなことを言うとよけいに「わけがわからない」「むずかしい」と敬遠されそうですが、一度、劇場に足を運んで、その「わけがわからない」ものを観にいらしてください。頭でわからなくても何か感じるところがあるはずですから。それが、芸術のすごいところなのだと思います。
歌舞伎は、わからないながらも面白い、わからないところが楽しいのだと、多くの方にそう感じていただきたい。そんな思いから、十数年前から新作歌舞伎や新作舞踊を手がけています。たとえば、江戸川乱歩の小説を題材にした『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』、『京乱噂鉤爪(きょうをみだすうわさのかぎづめ)』。これらも含めて、単純に自分がおもしろそう、観てみたいと思うものをつねに妄想するのが好きで、その妄想を形にしていくのが楽しい。長い時間を経て洗練されてきた古典をやってきた人間が創作するわけですから、伝統的な歌舞伎に匹敵するくらい洗練されたものにしなければというプレッシャーもありますけど、それがまた発奮材料にもなるわけです。今後も新しいこと、おもしろいことにどんどんチャレンジしていきたいですね。可能性はいろいろあると思うんです。たとえば、大正・昭和の文学作品を題材にしたものだとか、お腹をかかえて笑うような喜劇色の強いもの、ハッピーエンドのラブストーリーなんていうのもいいですね。また、見せ方にしても映像としての歌舞伎、つまりテレビや映画用に仕立てた作品などもできるんじゃないか……と、妄想しています(笑)。
創作をしていてつくづく感じるのが、古典はすべての源だということです。歌舞伎の中に、長く長く受け継がれてきた伝統というものが1本の芯としてしっかりあるからこそ、そこから新たなものを生み出すことができる。技にしても、基礎がしっかりしているからこそ奇天烈な表現ができるものなんですよね。ですから僕も、もっともっと古典を勉強して精進し続けないといけない。そう思っています。
インタビュアー 鈴木裕子
プロフィール
昭和48(1973)年、東京生まれ。父は九代目松本幸四郎、息子は四代目松本金太郎。屋号は高麗屋。昭和54年、三代目松本金太郎で初舞台。昭和56年、七代目市川染五郎を襲名。立役から女形までこなす一方で、復活狂言や新作にも力を注ぐ。松本錦升(きんしょう)の名で舞踊・松本流家元でもある。また歌舞伎以外でも映画、舞台、テレビと幅広く活躍。近著に『歌舞伎のチカラ』(集英社)、監修で『歌舞伎のかわいい衣裳図鑑』、『歌舞伎のびっくり満喫図鑑』(ともに君野倫子著・小学館)がある。
本のご紹介
染五郎さんが誘う歌舞伎の世界
『歌舞伎のチカラ』は染五郎さんの近著。歌舞伎の歴史や役者のお仕事、舞台装置のお話に、染五郎さんの意外に地味なプライベートライフまで…歌舞伎が100倍楽しくなる一冊です。付録の染五郎さんによる妄想たっぷりの新作シナリオも注目!
『歌舞伎のかわいい衣裳図鑑』『歌舞伎のびっくり満喫図鑑』は、市川染五郎さん監修、君野倫子さん著でおくる、初心者から楽しめるかわいい歌舞伎図鑑。演目や役者がわからなくても、衣裳や小道具などのビジュアルから歌舞伎の魅力がたっぷり伝わります。