古語辞典と称するものが世に現れたのは、昭和年代以降のことである。それまで、特にそういう名を冠した辞書の出版されることがなかったのは、一般の国語辞典が、近世以来の伝統を承けて、古語の用語や漢語の説明を中心としたものであり、内容的にはむしろ古語辞典に近い性格を持つものであったからである。辞書が、難解な語を解釈するためのものと考えられた以上、これは、ある意味で当然のことでもあった。したがってまた、特殊な場合を除いて、一般にこれらの国語辞典では、それぞれの語の説明は、それを現代語に言い代えることが中心になっていた。
古語、すなわち現代語には用いられない語形や意味を持つ、広義における古典の用語のみを特に対象とする、いわゆる古語辞典の作成は、一方において、当然現代語のみを対象とする国語辞典の存在を予想する。事実、戦後このような現代語の辞典が出現するのと並行して、一方に古語辞典なるものが盛んに刊行され出したのであった。ところで、現代語辞典においては、標出語の単なる言い代えだけでは無意味である。その意味・用法の種々相を説明し、類義の語とのニュアンスの差異を明らかにし、さらには用字に関しても言及するなど、その語を正確に理解し、使用するために必要な一切のことを解説することこそ必要であろう。同様な解説は古語辞典についても、当然要求されてもよいはずなのである。しかるに、現代語辞典にはこのような要求に応じるものが次第に現れつつあるに拘らず、古語辞典については、なおこれを満たすものが現れていない。近世語については特に不備が目立つのであるが、それは、もとこの種の辞典が、古典学習用に編纂され、その形式も小辞典に止まらざるを得なかったことによる所が多いと思われる。
昭和三十四年、われわれがこの辞典の編纂を始めた当初の計画では、全一巻の中辞典が目標であった。範囲を教科書にも採用されるほどの重要な古典に限って、その語彙を採択し、できる限り詳しい解説を施して、作品の深い解釈に役立つものを編纂するのが目的であった。ところが、仕事を進めるにつれて、次第に語彙の範囲が広がり、やや特殊な文学作品から、さらには訓点・記録・抄物・実用文書の類にまで語彙採択の対象を広げることになった。文学作品を深く読むためにはこの種の関係語彙の理解がぜひ必要であるということを考えると共に、せっかく新しく古語辞典を作る以上は、この際思いきって、より本格的なものを目指すべきではないかという考え方が強くなったからである。こうして規模の拡大につれて、完成にはいよいよ多くの年月を要することになったが、一方その間にも、学界においては語彙研究の方法が急速に進展し、各時代の語彙の様相も次第に明らかになろうとしてきた。時代語辞典や
本古語大辞典が「古語」と称するものは、決して、現代語と異なる、いわゆる古語の用語に限るわけではない。上代より近世末に至る間に既に用いられていた語、それだけの古さを持つ語の意味で「古語」と称するのである。したがって、本辞典に掲げられた語の中には、現代にもなお引続き同じ意味、または変化した意味で、用いられているものが少なくはない。その意味では本書は、現代語の歴史的辞典でもあって、これまた、本書が他の古語辞典とは異なる点である。言うまでもなく、言語は、それぞれの時代の文化を最もよく反映し、これを直接後代に伝えるものである。各時代の言語は、各時代文化の背景を十分に考慮することによって、はじめて正しく理解される。動詞・形容詞の類にしても、その語義は単に並列的に記述されるべきものではなくして、時代的変遷に対する考慮の結果が明らかにされなくてはならない。本辞典においては、従来の古語辞典では取り上げられることのなかった、固有名詞について、かなりの項目を設けることにしたのも、その意味においてである。たとえば、故事成語の類がいかにして発生し、また一つの行事がいかなる社会制度のもとに成立したかを詳しく説くことが、やがて、その内容を正しく理解することになると同時に、そのような語を生み、またこれを伝承し来った各時代の文化を理解するゆえんであろうことを信じる。本書は、ことばを解説する「辞書」であると同時に、いわば高度の「節用集」的な役割を果すことをも意図している。古語の精確な読解は、そのような知識に基づいて、はじめて可能であることを信じるからである。
長い年月に亘る編纂の間に、われわれを助けて編集・執筆に協力を惜しまれなかった人々は夥しい数に上る。いちいちの原稿を、集って検討し、討議した上で、はじめて決定稿を作成するという方法をとったために、それに要する手数と時間とは計り知れぬものがあった。各自の研究の時間を割いて、倦まずこの仕事に従っていただいた方々に、編者として心からの御礼を申しあげる。
幸に本辞典が江湖に迎えられ、その意図する所について読者の理解が得られるならば、編者として喜びこれに過ぎるものはない。