東大を卒業し古書業界へ
反町茂雄は、明治34年、新潟県長岡市に生まれました。9歳のとき、父親の仕事の都合により東京の小学校に転入してからは東京で育ち、東京帝国大学に進学します。読書好きが高じて出版業界への就職を考えた反町は、岩波茂雄が古書販売から始めて出版社「岩波書店」を立ち上げたことにならい、昭和2年、26歳で神田神保町の古書店「一誠堂書店」に就職します。輝かしい肩書も望める束京帝国大学法学部の卒業生が、学歴を問わない古書店の住み込み店員として就職したため、変わり種として話題となりました。
一誠堂での修行、そして独立
知識が豊富で一生懸命働く反町は、主人に重用されわずか数カ月で店務を統括するようになります。外商販売や目録販売など、店頭販売以外の手法を開拓して店の活性化に手腕を発揮し、また大規模な売立(うりたて)入札会の開催を通して人脈を築きました。当初出版業を志していた反町でしたが、次第に古書販売の面白味と日本の古典籍の広さ、深さに惹かれ、古書販売業で独立する決意を固めます。昭和7年に31歳で独立した反町は、貴重な本・珍しい本を専門に扱う古書店「弘文荘」を創業し、西欧の古書店を参考に、店舗を持たず目録販売のみでの商いを目指しました。顧客と一緒に多くの貴重書に接して知識を深め、弘文荘を発展させていきます。
後輩の育成に尽力
反町は自身の研鑽と後輩の育成にも関心が高く、一誠堂時代には店員仲間とともに和書や古典籍の勉強会「玉屑会(ぎょくせつかい)」を結成し、 古書店員のための雑誌『玉屑(ぎょくせつ)』を発行しました。戦後は古書店の跡継ぎや子弟を集め「文車(ふぐるま)の会」を組織し様々な活動を行いました。70代になっても若手の視野を広げるため海外への視察旅行を企画し、 入院中も原稿の校正を行うなど、反町は生涯を通して若い同業者の育成に力を注ぎます。自分にも他人にも厳しく、 高い理想を追い続けた人生でした。
*1 千代田区図書館作成パンフレット「古書販売目録コレクション」を参考に作成 http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/
弘文荘が「発掘」した国宝 *2
<7,500万円(昭59)>
土佐日記 為家本(1236年書写)
わが国最初の仮名日記として有名な『土佐日記(とさにっき)』は、藤原定家(ていか)による写本(1235年書写)が国宝として知られていましたが、昭和59年、藤原為家(ためいえ)による『土佐日記』(1236年書写)の写本が反町によって発掘され、研究者たちを大きく驚かせました。
ある日「鎌倉時代の物だそうだが、処分したい」と弘文荘に持ち込まれました。反町はその本が為家本であることを調査・確認し、『弘文荘敬愛書図録Ⅱ』(本Webに収録)に7,500万円の値を付けて掲載・販売しました。紀貫之(きのつらゆき)の自筆原本をきわめて忠実に写した為家本は、日本文学や日本語学の研究において大変重要な資料になるとして、古書では戦後最大級の発見と言われました。その後、大学図書館の所蔵となり、平成11年、国宝に指定されました。
*2 千代田区図書館作成パンフレット「古書販売目録コレクション」を参考に作成 http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/
藤原定家の自筆原本
<3,500万円(昭57)>
明月記(建久十年春)
現在は重要文化財に指定され、国立博物館に所蔵される藤原定家自筆の日記