本書の前身は平成2年(1990年)に出版された『人間の許容限界ハンドブック』(関 邦博・坂本和義・山﨑昌廣 共編)にまで溯る.人間の許容限界を様々な側面から一冊にまとめた初めての書籍として好評であったことから,平成17年(2005年)には同じ編集者にて『人間の許容限界事典』が出版された.『人間の許容限界ハンドブック』では51項目について解説されていたが,『人間の許容限界事典』では扱う項目数を約3倍(142項目)に増やして編集されている.平成29年(2019年)には新装版も出版された.
本書『人間の許容・適応限界事典』の編集は,上述した両書籍を編集された山﨑昌廣先生(広島文化学園大学教授,広島大学名誉教授)に声をかけていただいたことによりスタートした.『人間の許容限界事典』の出版から15年以上も経過しているが,今でも読者は多く,今後も人間の許容限界に関する知識は世の中にとって欠かせないことから,後継の事典を新たに編集してほしいとのお話をいただいた.そして新しい3名の編集者にて,前身の書籍のコンセプトを踏襲しつつ,新たな構想の下で編集に取り組んだ.
本書の各項目は,項目を理解するための基礎知識と,その項目に関する許容限界値を述べる構成になっている.そして,その多くが社会での活用を想定して論じられている.これらの方針は前書と同様であるが,本書には下記の3点の特徴がある.
1つめは,前書の出版から時が経ち,科学の発展により新しい知見が得られていること,社会の変化からより心身機能の多面的な情報が求められていることを踏まえ,章・項目の構成や執筆者をいちから検討したことである.本書では「感覚」,「知能・情報処理」,「生活・健康」,「テクノロジー」の章を新設した.また本書で扱う164項目のうち60項目は新設されたものである.残した項目も多くあったが,そのうち86項目は,現在その分野の第一線で活躍している研究者に新たに依頼し,執筆いただいた.前書と同じ執筆者には内容を最新の情報に更新していただいた.全面的に改訂された最新の事典に仕上がっている.
2つめは,「適応」という視点からの内容をより充実させたことである.本書で扱う人間の許容限界値は不変ではない.人間は外部の環境や日々の活動に適合するように性質を変化させるため,それに伴い許容限界値も変化する.例えば人間にとって望ましい環境や働き方を人間の許容限界から考える場合,長期的な視点から展望したい場合は「適応」という視点が大きなヒントになろう.このような作意から,書籍名も『人間の許容・適応限界事典』としている.
3つめは,チャレンジングな試みとして,テクノロジーを扱う章(IX章)を設けたことである.今日のテクノロジーの発展は目覚ましく,現代人の暮らしや労働は大きく変容し,次から次へと健康,発育,コミュニケーションなどの多種多様な問題が浮上している.これらの問題の解決には,人間はテクノロジーの受け入れをどこまで許容できるのかといった限界の議論が鍵になっていくはずである.テクノロジーに対する限界の研究はまだ進んでおらず,具体的な許容限界値までには至らず,将来検討すべき許容限界値を提言する形でまとめている項目もある.しかし,このような試みは国内外初めてであり,望ましい未来社会を導くための示唆を与える章に仕上がっている.
最後に本書の出版に際して,許容・適応限界というたいへん難しい論題に対して執筆を分担してくださった先生方,編集にご尽力頂いた朝倉書店編集部の方々に心から御礼申し上げたい.コロナ禍などいろいろな困難もあって出版が予定より遅れてしまったが,出版の運びになったことは編集者として喜びに堪えない.この『人間の許容・適応限界事典』が研究者,技術者,実務家さらには学生の方々にお役に立ち,ひいては現代,未来の人間の暮らしや労働に役立てば幸いである.
2022年10月
村木里志
長谷川博
小川景子