ここに『日本大百科全書』を発刊いたします。次の世紀まであと一七年、まもなく二一世紀を迎えようとしています。いまわたしたちは、時代の曲がり角に立っています。過去と現在だけではなく、未来を的確にみつめてゆかなければなりません。この時期に、これからの時代に生きる日本人のために誕生する百科事典であり、おそらく世界でもっとも情報量の多いものかと思います。
いまやわが国は国際化時代から、国際時代に入ったといわれています。ひろく国際社会の一員としての認識が求められています。いかに国際間の調和と繁栄に寄与していくか、わたしたちが今日直面しつつある問題は少なくありません。資源や食糧の危機、人災ともいえる公害や戦争、増えつづける人口の問題など、国際人として対処し、ともに考えていかなければならないことばかりです。わたしたちの関心も、いっそう国際的な視野をもつ必要に迫られています。
その反面、国際社会に生きるということは、世界に通用する日本人でなければなりません。わが国の歴史や風土、芸術や思想などのあらゆる伝統的な教養を踏まえることによって、はじめて日本人としてのバランスのとれた判断が生まれてきます。日本人にふさわしい美意識や感性を培い、日本人としての主体性をもつことが、むしろ新たな国際人として不可欠な条件となりましょう。その手がかりを与える百科事典たりうるよう、そこに編集の基本方針を据えました。
また、オイルショックから一〇年を経過した今日、産業開発の優先、科学技術の偏重に対する見直しが図られています。科学の発達が、一方でさまざまな問題やゆがみをもたらしたことも事実です。先進国における経済の低迷や、教育の混迷をはじめとして、自然環境の破壊や人間生活への圧迫など、多くの問題を人類に投げかけました。おのずからそこに、人間の尊厳を守ろうとする、きわめて人間中心主義の考え方が生まれています。物質文明から精神文化へ、物から心へと、わたしたちはその価値観を大きく転換させようとしています。
したがって、いまこそ人間がもつ英知という力が渇望されています。新しい変化や課題に対応していかなければなりません。積極的に問題解決に挑むための知性や、役に立つ情報と知識を選びうる能力が、すべての人たちに問われています。わたしたち一人ひとりが、人間としていかに生きるべきか、また、いかに心豊かに生きうるか、そのためのさまざまな知恵が、今日ほど真剣に求められている時代はありません。
この『日本大百科全書』は、こうした新しい時代の要請にこたえるものと確信しています。これからの世界における人間性の喪失とか分裂とかいう危機を救い、人間の幸福をつかみとっていくうえで、真に役立つものでありたいと思います。とりもなおさずそのことは、現代における百科事典の価値と、その有効性を主張することにほかなりません。この『日本大百科全書』が、明るい明日の創造のために、より多くの人たちに、大いに愛用されることを希っております。
私の書斎にはかなり大きい書棚が壁面を埋めているが、そこに納められている書物は、その大部分が辞書か、それに類する本である。稀覯書の類はほとんどない。
私は年々歳々、調べる仕事が多くなっているので、どうしても仕事場に辞書を置かねばならない。このところ毎日のように辞書をひく。辞書のお世話にならない日はないのではないかと思う。漢和辞典、東洋史辞典、美術辞典、風俗辞典、哲学辞典、茶道辞典、書道辞典等々、――
私は辞書に取り巻かれているのが好きである。知識に取り巻かれているからである。判らないことは、辞書をひけば、まず大体のことは判る。辞書をひいても判らない時は、専門書によるしかないが、専門家でない私の場合など、大体こちらの求めるものは、辞書がきちんと仕舞ってくれている。
ここに小学館から新しい百科事典が発刊される。『日本大百科全書』全二十五巻である。これは結構なことであり、大歓迎という他ない。実際に結構なことであり、大歓迎すべきことなのである。
私はその新しい大型の百科事典を並べる場所を、大体においてもう決めてある。百科事典となると、大兵団というか、大軍団というか、あらゆる知識の大集団が進駐してくる感じである。お蔭で書斎は重たくなり、主人の私は心ゆたかになる。
百科事典は、あらゆる辞典の中の王さまである。その名のごとくあらゆる分野の知識が、それを求める者への解答として、用意されているのである。
新しい百科事典の誕生は文化史的事件である。百科事典というものは年々歳々、年齢を加えてゆく。年齢を加えるということは、次々に社会に起こってくる事象を、次々にそこに収容してゆかねばならぬということである。そういう意味で、百科事典は生きた知識の宝庫であり、これから長く二十一世紀にかけて生きてゆく大きい生命力を持っている。
私は仕事に疲れて、何もするのが厭な時は、百科事典の一冊を取り上げて、どこでもいいからページをめくって、そこにあった項目に眼を当てる。そしてその解説を読んでゆく。おそらく一生関心を持たないであろうような分野の知識が私を取り巻く。神さまからの贈りもの、そんな気持で、私はそれを読んでゆく。
私は百科事典のこのような使い方を、多勢の人にすすめている。頭の洗濯というのは、こういうことであろうかと思う。