ジャパンナレッジ
フランス印象派におけるただ1人の女流アメリカ人画家。ペンシルベニア州アリゲニー生まれ。1865年ペンシルベニア美術学校を卒業。渡欧して72年からフランスのサロンに出品し、クールベ、マネの影響下で制作していたが、74年ドガに才能を評価され、79年の第4回印象派展から参加出品している。ドガの強い感化による作風からしだいに抜け出して独自の画境を切り開き、80年代から情愛の濃い母子像を数多く描いて「マテルニテ(母性)の画家」とよばれた。91年浮世絵版画から発想したカラー・アクアチント(銅版画)の連作を発表してピサロから激賞されている。93年のシカゴ万国博覧会のために壁画を制作したが、生涯をフランスで過ごし、晩年は白内障のため、ドガと同じく視力を失った。近年、アメリカで高く再評価されるようになった。