日本大百科全書(ニッポニカ)

皇室
こうしつ

天皇と皇族の総称。狭義には内廷(天皇一家)、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。
 皇族(皇親)の範囲は、明治以前は大宝令(たいほうりょう)によって定められた。それによれば、天皇の兄弟姉妹および皇子、皇女を親王(しんのう)とし、皇孫、皇曽孫(こうそうそん)(天皇のひまご)、皇玄孫(こうげんそん)(天皇のやしゃご)を王、皇玄孫の子たる五世王は王名を称することはできるが皇親の範囲に入らないと定めた。女子については内親王(ないしんのう)、女王の称も用いた。また、二、三、四世王を親王に対して諸王と総称した。ちなみに親王、王の配偶者は、内親王、女王でない限り皇親とは認められなかったようである。この皇族の範囲は、一時拡張の傾向を示したが、徐々に空洞化した。
[小田部雄次]

大日本帝国憲法下の皇室

明治維新後、大日本帝国憲法公布に伴う皇室典範の制定により、新たな皇族制度が生まれた。つまり、1889年(明治22)の皇室典範は、皇族の範囲を、太皇太后(たいこうたいごう)、皇太后、皇后、皇太子、皇太子妃(ひ)、皇太孫、皇太孫妃、内親王、王、王妃、女王とし、皇子より皇玄孫に至るまでは男を親王、女を内親王、五世以下は男を王、女を女王とした。なお、皇室典範制定以前からの世襲親王家(宮家)は、そのまま親王とし、皇族にした。
 大日本帝国憲法の下で、皇族は一般臣民とは区別され、固有の財産と特権が与えられた。成年の皇族男子は原則として陸海軍人となり、貴族院議員の資格をもち、親王は枢密院会議に列した。もっとも永世皇族主義では皇族が増えすぎるので、1907年の皇室典範増補により、王は新たに家をおこして華族となることができるようにした(臣籍降下)。
 大日本帝国憲法下では、皇室に関する事項は国務から区別され、帝国議会が関与することは許されなかった。皇室事務は天皇が総攬(そうらん)し、宮内大臣がこれを輔弼(ほひつ)した。皇室事項を規律する法としては、皇室典範をはじめとし、登極令、皇室親族令などの皇室令が制定された。皇室には原則的に通常の国の法令は適用されず、天皇の財産たる御料を中心とした膨大な皇室財産も国有財産から区別され、議会の統制を受けなかった。皇室事務費用は国庫より支出される定額の皇室経費のほか、御料財産によってまかなわれた。皇室関係の重要事項は、成年以上の皇族男子で組織する皇族会議で審議された。
 動産・不動産からなる皇室財産は、明治維新以後に設定された。明治政府は皇室の経済的基礎を確立する必要に迫られ、1884年から1890年にかけて莫大(ばくだい)な皇室財産が蓄積された。つまり、政府所有の日本銀行、横浜正金銀行、日本郵船会社株の皇室財産への編入、佐渡(さど)、生野(いくの)両鉱山の皇室への移譲、350万町歩(ちょうぶ)の山林原野の皇室財産編入などが行われた。宮城、皇居、御所、各離宮、木曽その他の御料地、正倉院(しょうそういん)宝庫などは、世伝御料として天皇に永世に伝えられるものとなった。
 さらに1890年以降は、定額300万円の皇室費が毎年国庫より支出され、日清戦争で獲得した償金約3億円のうち2000万円が皇室会計に繰り入れられた。また皇室費は、日露戦争後、450万円に増額され、第二次世界大戦終戦まで毎年支出された。
 なお、大日本帝国憲法下における天皇家は、明治天皇睦仁(むつひと)、同妃美子(はるこ)(昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう))、大正天皇嘉仁(よしひと)、同妃節子(さだこ)(貞明皇后(ていめいこうごう))、昭和天皇裕仁(ひろひと)、同妃良子(ながこ)(香淳皇后(こうじゅんこうごう))らによって継承された。皇族は、直宮(じきみや)(天皇の子や兄弟姉妹)である秩父宮雍仁(ちちぶのみややすひと)、同妃勢津子(せつこ)、高松宮宣仁(たかまつのみやのぶひと)、同妃喜久子(きくこ)、三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)、同妃百合子(ゆりこ)らがおり、直宮以外には、朝香宮(あさかのみや)、有栖川宮(ありすがわのみや)、華頂宮(かちょうのみや)、桂宮(かつらのみや)、賀陽宮(かやのみや)、閑院宮(かんいんのみや)、北白川宮(きたしらかわのみや)、久邇宮(くにのみや)、小松宮(こまつのみや)、竹田宮(たけだのみや)、梨本宮(なしもとのみや)、東久邇宮(ひがしくにのみや)、東伏見宮(ひがしふしみのみや)、伏見宮(ふしみのみや)、山階宮(やましなのみや)の15宮家があった。そのうち桂と小松の2宮家が明治年間に、有栖川と華頂の2宮家が大正年間に、それぞれ断絶などで廃された。
[小田部雄次]

日本国憲法下の皇室

第二次世界大戦後、日本国憲法の公布で天皇は国家の象徴となった。これに伴い1947年(昭和22)2月、皇室典範が改正され、皇族は嫡出子に限り、親王、内親王は皇孫まで、三世以下は王、女王とするなどの変更が行われた。そして、皇子、皇弟の直宮以外のすべての11宮家は臣籍に降下し、皇族の範囲と特権は縮小した。日本国憲法下の皇族は、国民の一部ではあるが、皇室典範などの規定により、皇位継承、摂政(せっしょう)就任などの政治的特権があり、選挙権、被選挙権がなく、養子をすることができないなどの制約がある。
 つまり、戦後の皇族は、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の身分の総称である。その身分も可動的で、一般国民は、立后(りっこう)(皇后の地位につくこと)や皇族男子との婚姻により皇族になれる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下)。
 第二次世界大戦前の莫大な皇室財産は、戦後、連合国最高司令官総司令部(GHQ)によって解体された。終戦時の皇室財産総額は、総司令部発表で約16億円(美術品、宝石類を含まない)、1946年3月の財産税納付時の財産調査によれば約37億円と評価された。この結果、約33億円が徴収され、残りは国に帰属した。こうして戦後は、皇室財産は国有化され、皇室費用は予算に計上されて国会に統制された。1947年公布の皇室経済法は、皇室費用を宮廷費(儀式などの費用)、内廷費(日常費用)、皇族費(品位保持の費用)に区分し、さらに皇室の蓄財や特定者との経済的結合を防止している。ちなみに、2019年度における皇室費は、約117億円である。
 さらに、1947年、皇室関係の重要事項を審議する機関として皇室会議が置かれ、皇室経済に関する重要事項を審議する機関として皇室経済会議が設置された。皇室会議は、皇位継承の順序の変更、立后、皇族男子の婚姻、皇族の身分の離脱、摂政の決定などを審議する。構成員は、内閣総理大臣を議長とし、皇族2人、衆参両院の正副議長、宮内庁長官、最高裁判所長官と同裁判官1人の計10人である。皇室経済会議は、皇室経済法に定められた皇室費の経理、皇室財産の授受などを審議し、構成員は、内閣総理大臣を議長とし、衆参両院の正副議長、財務大臣、宮内庁長官、会計検査院長の8人である。
 現在、徳仁(なるひと)天皇を中心とする内廷は、雅子(まさこ)皇后と長女敬宮愛子(としのみやあいこ)、明仁(あきひと)上皇と美智子(みちこ)上皇后である。皇族は、1990年(平成2)6月に浩宮(徳仁天皇)の弟である礼宮文仁(あやのみやふみひと)が結婚して秋篠宮(あきしののみや)となり、同妃紀子(きこ)と長女眞子(まこ)、次女佳子(かこ)、長男悠仁(ひさひと)がいる。そのほか、明仁上皇の弟である常陸宮正仁(ひたちのみやまさひと)、同妃華子(はなこ)、昭和天皇の弟である故三笠宮崇仁の妃百合子、三笠宮の男子である故三笠宮寛仁(ともひと)の妃信子(のぶこ)、故高円宮憲仁(たかまどのみやのりひと)の妃久子(ひさこ)らで構成される。昭和天皇の弟であった秩父宮家は同妃勢津子の1995年8月25日の逝去により、高松宮家は同妃喜久子が2004年12月18日に逝去して廃された。また、明仁の長女の紀宮清子(のりのみやさやこ)は2005年11月15日、結婚により皇族の身分を離れた。
 なお、皇室に苗字(みょうじ)や戸籍はなく、身分に関する事項は皇統譜(こうとうふ)に記載される。皇統譜には、天皇皇后に関する大統譜(だいとうふ)と、皇族に関する皇族譜があり、正本は宮内庁書陵部、副本は法務省が保管している。
[小田部雄次]