化石でのみ知られる絶滅した哺乳(ほにゅう)動物の一グループ(目)、束柱類(そくちゅうるい)ともいう。1888年に最初に発見された歯の化石が、小さな円柱を束(たば)ねたような形をしていたので、ギリシア語の束ねるのデスモスdesmosと、柱のスチルstylとをあわせてデスモスチルスという学名がつけられた。
化石は、北太平洋の両岸から知られていて、北米の西岸ではオレゴンからカリフォルニア、アジアの東岸ではサハリンから日本列島の北海道・本州の各地から発見されている。それらは第三紀の中新世前・中期(約2000万~1500万年前ごろ)の地層から出土している。
サハリンと日本では全身の骨格が発掘されていて、カバのような胴体にワニのように横に張り出した太い四脚がつき、体長は3メートル、体重は200~300キログラムと推定されている。また、どのように歩行していたかという運動技能の復元もなされている。骨格復元は、長尾復元(1937)、亀井復元(1970)、犬塚復元(1984)などがある。動物分類では、束柱目というグループに含められ、ゾウの長鼻(ちょうび)目、ジュゴンなどの海牛(かいぎゅう)目、イワダヌキ(ハイラックス)の岩狸(いわだぬき)目や化石でのみ知られている重脚目のものに近縁とされている。
デスモスチルスがいたころの日本列島は、現在とは違って、アジア大陸に連なっていた。デスモスチルスの化石骨といっしょにみつかる植物や貝の化石から、デスモスチルスは温暖な気候のもと、海岸地帯のマングローブ林で生活していたと考えられている。デスモスチルス類は、体の構造から陸上での動きは鈍く、水中での生活が主であったとされ、食物としては海藻(かいそう)説、植物説またはゴカイや貝類説がある。しかし歯の形態からは、いろいろな食物をすり潰(つぶ)して食べていたことが推定されている。
デスモスチルスの仲間に、パレオパラドキシアPalaeoparadoxiaというものがあり、全身骨格は岐阜県瑞浪(みずなみ)市、岡山県津山市、アメリカのカリフォルニアで発掘されていて、それらの復元骨格がそれぞれの博物館で展示されている。デスモスチルスの先祖には、より古い漸新世後期(約2700万~2400万年前)の地層からのコルンワリウスCornwallius、ベヘモトプスBehemotopusが知られていて、さらに古い2900万年前のものとしては、北海道足寄(あしょろ)町で発見されたアショローアAshoroaが知られる。デスモスチルス類の系統進化の解明は犬塚則久によってされていて、それらの化石標本は、北海道の足寄動物化石博物館でまとまって展示されている。