皇族で天皇から宮号を賜った家。宮家は、平安末期、親王家が宮号を称したことに始まり、後鳥羽(ごとば)天皇の皇子、皇孫が親王宣下を受け、六条宮を称したのが最初である。鎌倉時代には、後嵯峨(ごさが)、後深草(ごふかくさ)両天皇の皇子、皇孫が、鎌倉将軍宮を継承した。鎌倉末期から南北朝時代には、親王の子孫が代々親王宣下を受ける世襲親王家が成立し、常盤井(ときわい)宮、木寺(きでら)宮、伏見(ふしみ)宮が創立された。伏見宮は、北朝の崇光(すこう)天皇の皇子栄仁(よしひと)親王に始まる持明院統の正嫡で、1947年(昭和22)第24代博明(ひろあき)王の皇籍離脱まで約550年続いた。続いて豊臣(とよとみ)秀吉の奏請で桂(かつら)宮(八条宮、京極宮)が創立された。江戸時代には、後陽成(ごようぜい)天皇の皇子好仁(よしひと)親王が高松宮を創立し、のち有栖川(ありすがわ)宮と改めた。また新井白石の献策で、閑院宮が創立された。伏見、桂、有栖川、閑院の4宮家は、四親王家と称され、明治維新に及んだ。さらに幕末、徳川慶喜(よしのぶ)らの建議で山階(やましな)宮が創立された。ほかに、親王の入室寺院名による仁和寺(にんなじ)宮、聖護院(しょうごいん)宮、官職、元号その他による弾正(だんじょう)宮、建久宮、高陽院宮などの宮号がある。明治以後、伏見宮から分かれた久邇(くに)宮など10宮家が創立され、また大正天皇の皇子が秩父(ちちぶ)、高松、三笠(みかさ)の3宮家を創立した。第二次世界大戦後、11宮家が皇籍を離脱し、現在は、三笠、常陸(ひたち)(昭和天皇第2皇男子正仁親王家、1964年9月創立)、高円(たかまど)(三笠宮憲仁(のりひと)親王家、1984年12月創立)、秋篠(あきしの)(明仁上皇第2皇男子皇嗣文仁(ふみひと)家、1990年6月創立)の4宮家がある。