さまざまな光景、映画や写真など、目に映る事象の形、動き、明暗、色彩などを、エレクトロニクス技術を用いて遠方に伝え再現する仕組み、またはその装置。略してテレビ、またはTVともいう。一般家庭を対象にした放送のほか、産業用、教育用、あるいは防災・防犯用にと幅広い分野で活用されている。
1873年イギリスのスミスWilloughby Smith(1828―1891)らは、窓から入る光によってセレンの光導電現象を発見、セレンの抵抗が光によって変わることをみいだした。明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝えるテレビジョンの開発はこのときに始まった。1875年アメリカのケアリーGeorge R. Carey(1851―?)が早速、多数の光電変換素子で画面の各部の明暗を電気の強弱に変え、同数の伝送路を使って送る多線式テレビジョンを考案している。
1884年ドイツのP・G・ニプコーは、周辺に24個の穴をあけた円板を一つの光電変換素子の前で回転し、画面の各部の明るさを次々に順序よく取り出す順次伝送方式のテレビジョンを試みた。受像側では再生画像をのぞき見したことから、この実験を電気望遠鏡とよんだともいわれている。このような機械式走査と光電変換素子を用いる撮像方法は、その後長らくテレビジョンの基本的手法として使われる。
1889年ドイツのJ・エルスターとH・F・ガイテルが、アルカリ金属を陰極とする光電管を発明、また1897年にこれもドイツのK・F・ブラウンがブラウン管を考案して、光電変換素子および表示素子に進歩をもたらした。なおブラウン管がテレビジョンの受像実験に初めて用いられたのは、1907年ロシアのロージングБорис Львович Розинг/Boris L'vovich Rozing(1869―1933)によってであるが、像はかすかなものであったと伝えられている。
テレビジョンの最初の公開実験は、1925年イギリスのJ・L・ベアードによって有線で行われた。1927年にはアメリカのベル研究所がワシントン―ニューヨーク間の長距離有線伝送実験を公開、翌1928年にはベアードがロンドン―ニューヨーク間の大西洋横断送信を行っている。またベアードはこの年世界最初のカラーテレビ実験にも成功している。
電子的な走査方法、撮像管の利用は、1908年イギリスのキャンベル・スウィントンAlan Archibald Campbell-Swinton(1863―1930)が、ルビジウム膜の光電モザイクを用いた撮像用陰極線管を発表したのを嚆矢(こうし)とするが、安定度、感度など性能の面で撮像管が実用化されるようになるのは、1933年アメリカのV・K・ツウォリキンがアイコノスコープを発明するまで待たねばならなかった。
日本におけるテレビジョンの研究は、1925年(大正14)高柳健次郎によって始められた。高柳は、撮像・受像とも電子式のテレビジョンを開発しようと、セレン膜を光電変換に利用する撮像管の試作を進めたが成功に至らず、撮像はニプコーの円板を用いた機械式走査、受像にはブラウン管を用いる方式により、1926年に初めて「イ」の字の伝送に成功した(この実験が行われた浜松市には、「イ」の字を刻んだテレビ発祥の地の記念碑がある)。また1928年(昭和3)には人の顔を写し出した。このときの走査線数は40本であり、現在のテレビジョンに比べてかなり粗い画面だったことがうかがえる。一方、早稲田(わせだ)大学の山本忠興(ただおき)、川原田政太郎(かわはらだまさたろう)は1926年、機械式走査によるテレビジョンの研究を開始、1930年に約1.5メートル四方の大受像画面(走査線数60本、毎秒像数12.5枚。早稲田大学式テレビ、早大式テレビともいう)を公開した。その後、日本電気(NEC)、東京電気(東芝の前身)、日本放送協会(NHK)などテレビジョンを研究する企業も現れ、また各地の展覧会などへのテレビジョンの出品も盛んとなり、一般の関心も高まっていった。
テレビ放送は1928年、アメリカのWGY局が実験放送したのが最初とされている。このときすでにテレビドラマも放送されたという。以後、ドイツ、イギリス、ソ連、フランスなどが機械式走査によるテレビジョンの実験放送を始めている。1935年ドイツが本放送を開始、翌1936年ベルリンで開かれたオリンピック大会の実況中継をテレビ放送した。このとき撮像にアイコノスコープカメラも用いたが、機械式走査基準の走査線数180本で放送した。走査線数が400本を超える全電子的テレビ放送は、1935年イギリスで始まった。機械式走査によるテレビジョンと1日交替の実用化試験だったが、1937年には機械式は取りやめとなり、全電子式が正式放送となっている。これが現在のテレビ放送の始まりといえよう。
日本のテレビ放送は、1939年5月13日の実験電波発射に始まる。ドイツがベルリン・オリンピック大会をテレビ中継したことに刺激を受け、1940年に予定されていた東京オリンピックをテレビ中継しようと、NHK放送技術研究所が高柳健次郎を迎えて本格的に進めていた研究・開発の成果が、実験放送として実ったものである。東京オリンピックは世界情勢の緊迫化により中止されたが、テレビジョンの実験放送は1941年6月まで続けられた。この間、日本最初のテレビドラマ『夕餉前(ゆうげまえ)』(1940)も放送された。
1941年、太平洋戦争の勃発(ぼっぱつ)でテレビジョンの研究は中止、戦後1946年(昭和21)研究は再開されたものの、テレビ放送の再開は1950年2月25日まで待たねばならなかった。東京での実験放送開始に引き続き、1951年には大阪、1952年には名古屋でも実験放送が始まり、この3局を結ぶテレビ中継回線も1953年にNHKの手で完成した。本放送は1953年2月1日にNHKが、同年8月28日に初の民放テレビ局の日本テレビ放送網(NTV)が開始している。
放送開始当初、テレビ受像機は非常に高額であり普及はなかなか進まなかったが、駅や公園、盛り場に設置された街頭テレビには多くの人々が集まり、プロレスをはじめとしたスポーツ中継に熱狂した。1956年に神武(じんむ)景気が始まると、テレビは電気洗濯機、電気冷蔵庫とともに「三種の神器(じんぎ)」として広く普及することになった。
1959年の皇太子御成婚は日本中の関心が集中した一大イベントであり、せめてテレビででも実況を見たい、どうせ買うのならこの機会にという人々が購入し、爆発的に普及していった。しかしながら、全国的に見ればNHK32局、民放27局が放送を行っているのみで、全国の70%程度の世帯にしか電波が届いていなかった。その後、1964年の東京オリンピックの開催を目ざして急速に放送所が建設されることとなる。
日本のカラーテレビ放送は1956年12月20日に実験放送として始まり、1960年9月10日から、アメリカ、キューバに次いで世界で3番目に本放送が開始された。放送方式としてアメリカのテレビジョン方式検討委員会(NTSC)の定める走査線数525本のNTSC方式を採用し、カラーテレビはもちろん、白黒テレビでも放送を受信できることが特長であった。放送開始当初はカラーテレビが自動車並みの価格であったこともあり、期待されたほどの普及はしなかった。その後1965年のいざなぎ景気で国民の所得が増大し、量産効果によるカラーテレビの価格の低下と相まって、自動車(car)、クーラー(cooler)、カラーテレビ(color television)を「三C商品」とよぶ消費ブームが巻き起こった。その結果、1973年にはカラーテレビの普及率が75%を超えて、白黒テレビと逆転することとなった。
1969年12月20日、アメリカの劇映画『ぼくはついている』が東京と大阪で原語の英語と吹き替えの日本語の2か国語で放送された。世界に先駆けたテレビ音声多重放送の実験の始まりであった。翌1970年3月には大阪で万国博覧会が開幕、ニュースや万博だよりを日本語と英語で放送し、またテレビの音楽番組にステレオ音をつけて放送したりもした。音声多重放送は1982年には本放送となり、2001年には民放局を含め全国どこでも受信できるようになった。もう一つのテレビ多重放送である文字多重放送も1983年に実験放送が始まり、1985年には本放送となった。
山地の多い日本の地形でテレビの全国普及を図るため、NHK総合テレビだけでも全国2214局(2015年12月時点)で放送されているが、それでも離島などで難視聴地域が残ってしまう。以前、東京タワーでは50キロワットの出力で放送を行い、関東一円にサービスを行っていたが、赤道上空3万6000キロメートルの軌道にある静止衛星から放送すれば、わずか100ワットの出力で日本全国をカバーすることができる。
このような静止衛星を通信・放送に利用するという発想は、1945年、イギリスのSF作家A・C・クラークが3機の静止衛星で全世界をカバーする通信網を構築するというアイデアを発表したのが最初であった。
1963年(昭和38)11月23日、初めての日米間テレビ衛星中継が行われた。このときテレビの前にいた日本の人々の目には、アメリカ大統領ケネディ暗殺というショッキングなニュースが飛び込んできた。翌1964年には東京オリンピック開会式の模様が衛星を介してアメリカ全土に中継された。これまでフィルムかビデオテープでしかできなかった海を隔てた国との番組交換が、衛星中継によって即時にできることを示した大きなできごとであった。
こうした成果を受けてNHKは、1965年に自前の衛星を打ち上げ、各家庭で直接電波を受信する衛星放送を行う構想を発表し、放送衛星の研究を開始した。1968年には政府が宇宙開発委員会を発足させ、日本は自らの技術による純国産宇宙開発を目ざすこととなり、翌1969年、ロケットや衛星の開発を推進する宇宙開発事業団(NASDA(ナスダ)。現、宇宙航空研究開発機構=JAXA(ジャクサ))が設立された。衛星からの電波は容易に世界各国に届いてしまうため、限られた電波や静止軌道位置を各国に割り当てる必要がある。当時の衛星は太陽電池を電源として動作していたが、搭載するバッテリーの能力不足のため、太陽が地球の陰となってしまう「食」の時間帯は放送を中断せざるをえなかった。この「食」の時間帯が日本で深夜となる軌道位置が東経110度であり、1977年に開催された世界無線主管庁会議(WARC-BS)で日本は希望どおり東経110度の衛星軌道と、12ギガヘルツ帯で8チャンネル(チャネル)の周波数割当てを受けた。1978年、実験用中型放送衛星「ゆり」が打ち上げられ、各種の実験が行われた。その結果に基づき1984年5月から放送衛星「BS-2a」によるテレビジョンの試験放送を開始した。その後、1986年には2波(2チャンネル)放送、1987年には24時間放送を開始し、1989年(平成1)から本放送となった。2016年(平成28)3月の時点で、約4045万世帯に普及している。
衛星放送には放送衛星(BS:broadcasting satellite)を使うBS放送と、通信衛星(CS:communications satellite)を使うCS放送がある。初期のCS放送では、地球から見た通信衛星の角度が放送衛星のそれと違っており、別々のパラボラアンテナ(回転放物鏡アンテナ)を設置する必要があり、不便であっただけでなく、制度上もBSとCSは別の扱いを受けていた。2002年に方位が放送衛星と同じ110度CSデジタル放送が開始され、同一のパラボラアンテナでBS、CSが受信できるようになった。制度上も2011年6月に衛星基幹放送として統一された。衛星放送は初めアナログ放送として出発したが、現在はBS、CSともデジタル放送である。
テレビの大型化に伴い、画面のちらつきやにじみが目だつようになり、高層ビルが建ち並ぶことなどによって起こるゴースト障害(テレビの受信画面に同一の画像が二重、三重にずれて現れる電波障害)が課題となってきた。1985年(昭和60)郵政省(現、総務省)が「テレビジョン放送画質改善協議会」を設置し、送信側と受信側の双方の観点から画質の向上を図ることとなった。その結果、1989年(平成1)には技術基準に関する省令が改正され、放送局側では高解像度化、定輝度化信号処理、適応的エンファシス、また、受信側では三次元YC分離、順次走査表示といった高画質化処理を行い、ゴースト除去参照信号(GCR)によるゴースト除去を行うことで画質の向上を図ったEDTV(enhanced definition television。日本での愛称はクリアビジョン)方式が開始された。EDTVは、NTSC、PAL(パル)などの既存方式との両立性を保ちながら、高画質化するTV方式の国際的な総称であり、日本方式であるEDTV(クリアビジョン)、EDTV-Ⅱ(ワイドクリアビジョン)はそのなかの一つ。EDTV放送は、従来のテレビでも受信することが可能であり、その場合でも放送局側で高画質化処理を行っているため、以前よりは若干きれいに映るようになった。
1989年にはEDTV放送が開始されたが、同年さらにNTSC方式との両立性を保ちながら画面のワイド化と高画質化を図る第2世代のEDTVの開発が始まった。これをEDTV-Ⅱ(愛称はワイドクリアビジョン)という。EDTV-Ⅱでは、アスペクト比(縦横比)4対3の画面の中央部にアスペクト比16対9の映像をはめ込んだレターボックス形式で放送されるため、従来の受信機では画面の上下に黒帯が出たが、EDTV-Ⅱに対応したワイド(アスペクト比16対9)受信機では、垂直時間解像度補強信号(VT)、垂直解像度補強信号(VH)、および映像部に周波数多重された水平解像度補強信号(HH)によって高画質化して表示される。1995年から限られた時間帯で放送が開始された。EDTVおよびEDTV-ⅡはNTSC規格内での画質改善で、手間をかけた割には効果が少なく、ほぼ同じ時期の1989年に実験放送が開始されたHDTV(ハイビジョン)が2000年(平成12)に本放送になると、その役目を終えた。
1964年(昭和39)の東京オリンピックでは、世界で初めての全時間カラー放送や衛星による中継を行い、日本の技術が世界最高水準にあることを示した。当時採用されていたNTSC方式は、その規格の範囲内で、EDTV、EDTV-Ⅱなどさまざまな改良が行われたが、手間をかけたわりには画質改善の効果が少なく、姑息(こそく)なNTSC方式の改善ではないまったく新しい規格、HDTV(high definition television、高精細度テレビジョン)の研究が世界的に始められた。日本ではNHKが中心となって実用化が行われた。HDTV規格は、人間の視覚・心理特性を研究した結果、アスペクト比16対9、走査線数1125本となっている。NHKが開発したHDTV方式には、ハイビジョンという愛称がつけられたが、一般的にこの愛称が受け入れられ、現在もHDTVはハイビジョンとよばれることが多い。
HDTVはこれまでの放送と比較して、画素数が約5倍あったため当初は対応機器が少なく、そのまま放送することはできなかった。1981年にカメラ、VTR、ディスプレーといったHDTV対応の機材が開発されて番組制作が可能となり、1983年にはHDTV信号を圧縮して衛星放送の一つのチャンネルでの放送を可能とするMUSE(ミューズ)方式(Multiple Sub-Nyquist Sampling Encoding System)が開発され、放送を可能とする環境が整った。ハイビジョンという愛称はこのときにつけられたものである。1985年の茨城県筑波(つくば)で開催された国際科学技術博覧会では、幅8メートル、高さ4.8メートル(約400インチ)の大画面でこのHDTVが公開された。
MUSE方式を用いたアナログハイビジョン放送は、1989年(平成1)から毎日1時間の実験放送として始まり、1991年に1日8時間の試験放送となった。その後も順次放送時間を拡張し、1994年の実用化試験放送開始時点で1日10時間、2000年(平成12)12月にはBSデジタル放送開始に伴ってデジタル放送へ円滑に移行するための放送となり、以降24時間の放送を行った。その後、放送のデジタル化の流れのなかで、伝送路にアナログ技術を採用しているアナログハイビジョン放送は2007年11月に終了したが、BSデジタル放送、110度CSデジタル放送、地上デジタル放送でデジタルHDTVによる放送が行われている。
放送をデジタル化することによるメリットは、割り当てられた周波数を有効に使用することが可能となることであり、HDTVのような高画質・高音質化と、多チャンネル化の二つの選択肢があった。1994年、アメリカでの多チャンネル衛星放送がデジタル方式で開始されたのを手始めに多チャンネルのデジタル放送が各地で始まった。
日本でも、1996年(平成8)10月に通信衛星を使用した多チャンネルを特長とするCS放送が開始された。高画質のHDTVとデータ放送を特長とするBSデジタル放送は、2000年(平成12)12月より放送を開始している。2002年3月には、BSデジタル放送と同様のハイビジョン放送が110度CSで開始された。2003年にはUHF帯の電波を使った地上デジタル放送が開始され、ハイビジョン規格の高品位放送が行われている。スマートフォンなどの携帯端末やカーナビゲーション用のワンセグテレビのサービスも行われている。
日本の地上デジタル放送は41のチャンネルをもち、一つのチャンネルの周波数帯域幅は6メガヘルツとなっているが、この帯域はさらに13のセグメント(部分、分割の意)に分けられている。高品質のHDTV放送には12セグメントが割り当てられる。画品質よりも経済性を優先する用途に対応して1セグメントのみを使って放送するのが1セグメント放送で、これを略して「ワンセグ」とよぶ。ワンセグは、携帯電話、スマートフォン、カーナビゲーションシステムなどに使われている。
3D(スリーディー)(三次元)方式は立体テレビのほか、立体映画としても試みられている。立体感覚をもつ動画を実現する方法として、サイド・バイ・サイド方式と、ライン・バイ・ライン方式があるが、3D映画や3Dテレビで採用されているのは、サイド・バイ・サイド方式である。これは、元画像の横幅を2分の1に縮めて、左側から撮影した画像と右側から撮影した画像を並べて配置し、再生時には縮めた横幅を2倍にして元に戻し、2枚の画像にする。立体画像として見るには、一般的には特別の眼鏡を使う。初めのころは左右違う色の眼鏡、たとえば赤青眼鏡を使う、アナグリフ方式が使われたが、色の再現に難があった。
その後、2009年ごろから3Dテレビではフレームシーケンシャルという方式が使われている。これは高速で左右のシャッターが開閉する眼鏡を使うもので、色再現がよい。多少暗くなるなどの難点があるが、適切な画像素材では、みごとな立体視が実現される。しかし、眼鏡を使う方式は左右に配置された二つの画像を再生時に合成するので、寝転んで見ると立体画像にはならない。3Dテレビや3D映画を眼鏡なしで見ると、二重写しのようなずれた画像が見えるだけである。眼鏡を用いない3Dテレビとして、パラックスバリア方式などがある。これはディスプレー側に特殊なフィルターを設けて左右の目で違う画像を見るものである。3Dテレビは将来のテレビ方式の一つとして期待されているが、放送規格が決まっていない、コスト高、ユーザー側の使い勝手の好みがはっきりしない、など種々の難点があり、2017年3月時点ではあまり普及していない。3Dテレビの放送もたまに行われる程度で、すべてが今後の発展にかかっている。
4Kテレビおよび8Kテレビは、現行のHDTVに次ぐ次世代UHDTV(ultra high definition television:超高精細度テレビジョン)方式を用いたテレビである。Kとはキロ、すなわち1000を意味し、4Kテレビの名は、この方式が水平(横)画素数約4000(正確には3840)をもつこと、8Kテレビの名は、水平画素数約8000(正確には7680)をもつことに由来する。ちなみに現行のHDTVの主流である高解像度ハイビジョンの水平画素数は約2000(正確には1920)であることから、2Kテレビともよばれる。4Kテレビ画面の画素数は水平3840×垂直(縦)2160の829万4400で、2Kテレビ画面の画素数(水平1920×垂直1080の207万3600)の4倍、8Kテレビ画面の画素数は水平7680×垂直4320の3317万7600で、2Kテレビ画面の画素数の16倍となる。NHKは8Kテレビに「スーパーハイビジョン」の愛称をつけ、4Kテレビと並行して放送実施に力を入れている。画面のアスペクト比はいずれもハイビジョンの場合と同じ16対9である。4Kテレビ・8Kテレビの特長として、ハイビジョンに比べて画面のきめが細かいことに加え、視野角が広く視聴位置が正面からずれても画品質の劣化が少なくなり、臨場感が向上することがあげられる。UHDTVの国際規格化は、日本の提案をもとに国際電気通信連合(ITU)の無線通信部門(ITU-R:ITU-Radio Communication Sector)で検討が行われ、2012年8月、正式規格として採用された。
日本では、BS17チャンネル(地上デジタル難視聴対策衛星放送として設定されたチャンネルで、運用終了後に空きチャンネルとなっているもの)を使って、2016年8月にNHKが4K・8Kの試験放送を開始。同年12月には放送サービス高度化推進協会(A-PAB(エーピーエービー):The Association for Promotion of Advanced Broadcasting Services)も同チャンネルを時間分割で利用する形で試験放送に加わった。2年余りの試験放送期間を経て、2018年12月1日に、BSデジタル放送および110度CSデジタル放送による4K・8K実用放送が開始された。
BSおよび110度CSデジタル放送では、円偏波とよばれる電波の様式が使われる。これは、宇宙空間に打ち上げられている衛星は固定されていないため地球から見た姿勢が変化するが、円偏波を使えば姿勢変化の影響を受けることなく電波を安定して送信できるためである。円偏波は電波の進行方向に垂直な面内で電界が回転しながら伝搬する方式で、進行方向に向かって右回りに回転する右旋円偏波と左回りに回転する左旋円偏波とがある。右旋円偏波と左旋円偏波は互いに干渉しあうことがないので、同じ周波数の電波を使って独立した二つの放送を送信することができる。従来のBSおよび110度CSの2K放送では右旋円偏波が使われているが、BSの4K・8K放送および110度CSの4K放送では、右旋円偏波と左旋円偏波の両方が使われる。
実用放送の方式は3通りに分類される。各方式とそれぞれに属するチャンネル、必要な受信設備は下記のとおりである。
(1)BS右旋方式 BS右旋方式を使うチャンネルは、BS朝日4K、BSテレ東4K、BS日テレ、NHK BS4K、BS-TBS 4K、BSフジ4Kの6チャンネルで、BS日テレを除く五つのチャンネルは2018年12月1日に放送を開始した(BS日テレは2019年9月1日に放送開始予定)。これらのチャンネルを受信する場合、受信用パラボラアンテナやアンテナとテレビ受像機をつなぐケーブルなどは、BSおよび110度CSの2K放送の受信に使用中のものをそのまま使うことができ、新設や交換の必要はない。
(2)BS左旋方式 BS左旋方式を使うチャンネルは、ショップチャンネル4K、4K QVC、ザ・シネマ4K、WOWOW(ワウワウ)、NHK BS8Kの5チャンネルで、WOWOWを除く四つのチャンネルは2018年12月1日に放送を開始した(WOWOWは2020年12月1日に放送開始予定)。これらのチャンネルを受信する場合、左旋対応の受信用パラボラアンテナの新設と、必要に応じてケーブルなどの交換が必要になる。
(3)110度CS左旋方式 110度CS左旋方式を使うチャンネルは、J SPORTS(ジェイスポーツ) 1(4K)、J SPORTS 2(4K)、J SPORTS 3(4K)、J SPORTS 4(4K)、スターチャンネル 4K、スカチャン1 4K、スカチャン2 4K、日本映画+時代劇 4Kの8チャンネルで、2018年12月1日に放送を開始した。これらのチャンネルを受信する場合も、左旋対応の受信用パラボラアンテナの新設と、必要に応じてケーブルなどの交換が必要になる。
4K・8Kテレビ受像機には二つのタイプがある。4K・8K放送を受信するチューナーを搭載し、放送およびそれ以外の外部入力(4K・8Kのビデオカメラで撮影した信号やパッケージメディアなどからの信号)も含めて4K・8K映像を映し出すことができる機能をもったテレビ受像機を「4Kテレビ」「8Kテレビ」とよぶ。他方で、4K・8Kチューナーをもたず放送を受信することはできないが、外部入力信号を入力すれば4K・8Kの映像を映し出すことができる機能をもったテレビ受像機を「4K対応テレビ」「8K対応テレビ」とよぶ。
4K対応テレビ受像機は2011年12月に日本の東芝が世界に先駆けて発売し、4K・8K放送が開始されるまで通称4Kテレビとして各社から販売されていた。「4K対応テレビ」はテレビ自体で4K放送を受信することはできないが、2018年12月1日の4K放送開始にあわせて各社から外付けの4Kチューナーが発売されているので、これを併用すれば、4K放送を受信することができる。外付け4Kチューナーを使わない場合は、2K放送を受信し、超解像度技術で4K相当にアップコンバート(上位変換)した映像を視聴することになる。この際、ハイビジョン信号に付帯するブロックノイズ(受信条件が悪いとき、映像の一部がモザイク状になる障害)なども軽減される。純正4Kでないため、「擬似4K」あるいは「4Kもどき」などといわれるが、超解像度技術の性能は高く、「擬似4K映像」は2K放送のままのそれに比べて、明らかにきめ細かく高品位である。
なお、8Kテレビの発売は2019年4月時点ではシャープ1社であるが、同年1月にアメリカのラス・ベガスで開催されたCES(セス) 2019(2019年家電見本市。CES:コンシューマー・エレクトロニクス・ショーConsumer Electronics Show)で、ソニーが8Kテレビを発表しており、これが日本で発売ということになれば8Kテレビ第2号となる。実用放送の開始により、今後は「4Kテレビ」「8Kテレビ」が主流になるものと思われる。
現在、大多数のテレビ視聴者は地上デジタル放送を視聴しており、4K・8K放送も地上デジタル放送で視聴できることが望ましいが、2019年時点の技術では実現はほぼ不可能である。
総務省が2015年に発表した「4K・8K推進のためのロードマップ」(計画表)には、2025年まで地上デジタル放送の2K放送を継続すると記載され、4K・8Kについての記載はない。しかし総務省は将来構想として、2K放送と両立できる地上デジタル4K・8K放送の計画をもち、その実現に向けて2017年2月に「地上テレビジョン放送の高度化技術に関する提案の募集」を行った。現行の地上デジタル放送と同一の周波数帯およびチャンネル幅で、現行の地上デジタル2K放送と両立して4K・8K放送を実現することで、現行の地上デジタル2K放送を受信する視聴者は特別の負担なくそのまま視聴し続けられること、地上デジタル4K・8K放送の視聴を希望する視聴者は別途対応チューナーなどを購入するだけで視聴可能となることを目ざしている。
NHKとNHKアイテック(NHKのグループ会社)は、この総務省計画の委託を受けて、2018年秋から東京地区・名古屋地区において、地上デジタル放送の高度化(4K・8K)に向けた実証実験を行っている。この研究開発には、前記2社のほか複数の機関が総務省の委託を受けている。
2025年ごろには技術が完成して、2Kと4K・8Kが両立する新しい地上デジタル放送が開始されることが期待される。4K・8Kテレビについての詳細は、別項目「4Kテレビ・8Kテレビ」を参照されたい。
2019年6月18日
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