江戸中期、肥前(佐賀県)鹿島(かしま)藩主9代鍋島直(なべしまなおすね)夫人が、家臣とともに考案創始した手織物の一種。鹿島錦と称され、鍋島家御殿女中の手によって伝承された。幕末期に一時沈滞したが、鍋島藩出身の大隈重信(おおくましげのぶ)夫人によって再興され、佐賀錦と改称されたのである。
卓上織台は狂いにくい栓(せん)の木(ハリギリ)やホオノキの類を用いてつくられ、長さは約45センチメートル、幅は24センチメートル(小幅)、30センチメートル(中幅)、36センチメートル(大幅)の3種、高さは約15センチメートル、台裏には巻棒を2本取り付ける。緯(よこ)糸はすべて本絹糸を使うが、経(たて)糸としては特殊な金銀紙を用いる。長さ約60センチメートル、幅約24センチメートルの特殊な和紙に金銀箔(はく)を置いたもので、この経紙を上下各3センチメートルほど残して中を縦に細かく切れ目を入れて糸状にする。切れ目を入れる間隔は、20割(曲尺(かねじゃく)1寸を20条に分ける)から60割まで、5割ごとに段階がある。緯糸の太さは、20割から30割の経に対しては太糸、35割から40割には中糸、45割から50割には細糸、55割から60割には極細と、順次かえることとする。織り方は平織、綾(あや)織、模様織の3種が基本だが、経紙にあらかじめ模様を描いてから割って平織にするという新技法(井上式今様織)が開発され、より自由な表現が可能になった。ただ、材料が高価で織台の大きさにも制約があるため、用途としてはバッグ、札入れ、帯締、羽織紐(ひも)などの小物が中心。帯や衝立(ついたて)などにアップリケ的に用いられることもある。1994年(平成6)古賀フミが国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
[秋山光男]