日本大百科全書(ニッポニカ)

遺言
いごん

死後、法律効果を発生させることを目的として、本人の独立の意思に基づき、法律に定められた方式に従って行われる意思表示をさす。一般には「ゆいごん」ともよばれる。遺言は本人の死亡によって法律効果が発生するが、遺言によりその死後にも自己の財産を自由に処分できることになる。これは遺言自由の原則とよばれる。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

歴史

古代ローマでは、紀元前5世紀ごろの『十二表法』にすでに遺言法がみられ、前200年ごろには遺言は一般の慣行になっていたといわれる。古代ローマの遺言は元来、相続人指定のためのもので、家の財産を家にとどめ、1人の相続人に受け継がせるための手段であった。これが近代になると、財産の終意処分(死者の最終の意思による処分)に重点を置く遺贈(いぞう)遺言になってくる。古代のインドやギリシアには遺言に関する古い歴史はなく、ゲルマニア時代のゲルマン民族もまだ遺言を知らなかった。ドイツやフランスで遺言が一般庶民により行われるようになったのは、ほぼ12世紀以後のこととされている。こうした遺言の慣行はやがてイギリスにも伝えられ、J・S・ミルらの「遺言自由の原則」の主張によって、18世紀までにはスコットランドを除くイギリス全域で、遺言の自由が認められるようになった。しかし1938年の相続財産法の制定によって、家族の相続権保護の立場から、この自由にも大幅な制約が加えられるようになった。イギリスでは遺言の習慣がやや廃れたものの、今日の世界においてもっとも多く遺言が行われている国といえよう。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

日本

すでに養老令(ようろうりょう)(718)に「存日処分」として、遺言処分が認められていたが、中世においては、生前に処分状を作成し財産分けをするのが普通で、遺言処分は例外になった。封建時代には、武士階級と庶民とでは事情が異なっていた。すなわち、武士はその主たる財産を主君から封禄(ほうろく)として受けている関係で、これを自由に処分することはできなかったので、遺言は、まったく私的な財産についてわずかに行われたにすぎなかった。これに対して、庶民の間では遺言相続がむしろ原則となり、その内容も財産の分配のみにとどまらず、相続人の指定、後見人の指定にまで及んだ。これらは書置(かきおき)、譲状(ゆずりじょう)などとよばれ、普通は自筆・捺印(なついん)のうえ五人組などが加判(かはん)し、町内に寄託された。このように庶民の間で広く行われた遺言の慣行も、明治時代に入ると急速に衰え、諸外国と比べて遺言の行われることが比較的少なかった。現行民法では、遺言に関する事項は「相続編」の3分の1以上を占め(民法960条~1027条)、その内容において改正の影響がもっとも少ない部分である。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

遺言能力

遺言は、死者の最終意思を尊重することを根本に置く制度であるから、できるだけその効力を認めるため、いちおうの意思能力を備えると思われる満15歳を標準として、それに達した者は自分で遺言することができる(遺言能力がある)とされている(民法961条)。また、後見開始の審判を受けた成年被後見人も、事理を弁識する能力を一時回復したときは、2人以上の医師の立会いがあれば遺言できる(同法973条)。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

方式

遺言は本人の死亡後に効力を発生するものであるから、それがはたして本人の真意であるかどうかの証明がむずかしく、真偽を本人に確かめるすべもないので、遺言には厳格な方式が定められている(民法967条以下)。その方式に従わない遺言は法律的に効力がないとされる。大別して普通方式による遺言と、特殊の場合の特別方式による遺言とがある。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

普通方式による遺言

(1)自筆証書遺言 遺言者が遺言書の全文、日付、氏名を自書して押印(おういん)する方式の遺言(民法968条1項)。他筆やタイプライター、盲人用点字機で書かれたものは原則として無効とされる。しかし、この自筆証書遺言では、財産目録も全文自書しなければならないため、財産が多数ある場合には遺言者にとって大きな負担となっていた。そこで、2018年(平成30)の相続法改正により、自筆証書遺言に、自書によらない財産目録を添付することができるようになった(同法968条2項前段)。すなわち、パソコンで財産目録を作成したり、預金通帳のコピーを添付することができる。ただし、財産目録のすべてのページ(毎葉)に署名押印をしなければならず(同後段)、これによって偽造が防止されることになる。なお、日付は年月だけでは不十分で、年月日まで必要であるが、何日であるかが確定できればよく、たとえば銀婚式の日などという書き方でもよい。
 また、遺言書(財産目録も含む)の文中、加除その他の変更をしたい場合は、遺言者はその場所を指示し、変更した旨を付記して署名し、変更の場所に押印しなければ変更の効力がない(同法968条3項)。
 自筆証書遺言は、もっとも簡易で、もっとも秘密が守られる方式である。しかしその反面、素人(しろうと)が1人でつくるので、方式どおりでなく無効になるおそれがある。また、文意があいまいで争いを生ずることもあり、偽造、変造、隠匿などの危険も大きい。そこで、自筆証書遺言の紛失や偽造、変造、隠匿などを防ぎ、自筆証書遺言をより利用しやすいものとするため、法務局で自筆証書による遺言書を保管する制度が創設された(法務局における遺言書の保管等に関する法律)。
(2)公正証書遺言 証人2人以上の立会いのもとに、遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授し、公証人がそれを筆記し、これを遺言者と証人に読み聞かせ、遺言者と証人が筆記の正確なことを承認したのち、各自これに署名押印するという方式の遺言(同法969条)。公証人が関与するので文意が不明であったり方式どおりでないなどのおそれは少なく、紛失、隠匿、破棄のおそれもないという長所がある。その反面、公証人や証人に遺言の内容を知られるという短所がある。この方式は、口述さえできれば文字を書けない者もできるよう便宜が図られていたが、口述や読み聞かせができない言語・聴覚障害者は利用できなかった。しかし1999年(平成11)12月の民法改正で、口述のかわりに手話通訳や筆談でもできることになり、また、内容を読み聞かせなくても閲覧させればよいこととなった(同法969条の2)。
(3)秘密証書遺言 遺言者が遺言の書かれた証書(自筆または代筆)に自ら署名押印し、その証書を封じ、証書に用いた印章でこれを封印し、公証人1人、証人2人以上の前に提出して、自分の遺言である旨と、筆者の氏名、住所を申し述べて(言語が発せられない人は手話通訳により、または自書で)、公証人がそれを証明する方式の遺言(同法970条)。遺言書の文中の変更などは自筆証書遺言と同じ方法で行う。秘密証書遺言としての方式に欠ける場合であっても、自筆証書遺言の方式を備えているときは、自筆証書による遺言としての効力をもつ(同法971条)。この方式は、(2)の秘密が守れないという欠点を除いたものであるが、公証人の関与を要する点でめんどうである。
 なお、未成年者のほか、遺言者の推定相続人、受遺者およびその配偶者ならびに直系血族は、これらの遺言の証人または立会人となることはできず、これらの者の立ち会った遺言は無効となる(同法974条)。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

特別方式による遺言

(1)死亡危急者の遺言 瀕死(ひんし)の病人が遺言をしようとするとき、証人3人以上の立会いのもとにその1人に遺言の趣旨を口授して筆記させ、これを遺言者と他の証人に読み聞かせ、または閲覧させ、各証人が筆記の間違いのないことを承認したのち、これに署名押印する方式による遺言(民法976条)。なお、言語・聴覚障害者については特則がある。遺言の日から20日以内に家庭裁判所の確認を得なければ効力を生じない。(2)伝染病隔離者の遺言 伝染病のため行政処分によって交通を断たれた場所に在る者は、警察官1人と証人1人以上の立会いで遺言をすることができる(同法977条)。
 このほか、(3)在船者の遺言(同法978条)、(4)船舶遭難者の遺言(同法979条)がある。以上の特別方式による遺言は、病気快復その他の理由で遺言者が普通方式によって遺言をすることができるようになったときから6か月間生存したときは効力を失う。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

遺言事項

遺言で定めることができる事項(遺言事項)は法律の定めるものに限定され、それ以外に、たとえば遺骸(いがい)はどこそこに埋葬せよなどというような事柄を記しても、道徳的訓戒としての意味は別として、法律上の拘束力はない。
 法律で定められた事項としては、(1)財団法人設立のための寄付行為(一般法人法164条2項)、(2)遺贈(いぞう)(民法964条)、(3)認知(同法781条2項)、(4)後見人または後見監督人の指定(同法839条・848条)、(5)相続人の廃除またはその取消し(同法893条・894条)、(6)相続分の指定または指定の委託(同法902条)、(7)遺産分割の方法または指定の委託(同法908条)、などがある。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

遺言の効力・撤回

遺言は、人の最終意思を尊重する趣旨に基づく制度で、遺言者の死亡したときに効力を生ずるものであり、その死亡前にはいかなる権利・義務も発生しない。したがって、遺言者はいつでも自由に遺言の全部または一部を撤回することができる(民法1022条)。前後二つの遺言の内容が食い違うときは、後の遺言で前の遺言は撤回されたとみなされる。遺言者が遺言の内容と矛盾する行為を生前に行った場合(たとえば、遺言書に甲に遺贈すると書いてある物を乙にやってしまったような場合)は、その部分の遺言は撤回されたとみなされる(同法1023条)。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

遺言書の開封・検認

公正証書遺言を除きその他の遺言書の保管者は、遺言者が死亡したことを知ったときは、ただちに遺言書を家庭裁判所に提出して検認を受けなければならない。検認とは、遺言が存在していること、およびその内容を確認する手続をいい、以後の偽造や変造を防ぐために行われる。封印のある遺言書は、家庭裁判所において相続人またはその代理人の立会いのうえでなければ開封できない(民法1004条)。これらの手続を怠った場合は過料に処せられるが(同法1005条)、遺言そのものは無効となるわけではない。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

遺言の執行

遺言者の死亡によって効力を生じた遺言の内容を実現するために必要な事務を処理する行為を遺言の執行といい、その行為をする者を遺言執行者という。執行に関する費用は遺留分(いりゅうぶん)を侵さない限り相続財産から賄われる(民法1021条)。遺言執行者は、遺言の指定または遺言で指定された第三者の指定によって定められる(指定遺言執行者。同法1006条)。指定がないときは、家庭裁判所が利害関係人の請求によって選任する(選任遺言執行者。同法1010条)。遺言執行者は、相続人の代理人とみなされ、その権限内において遺言執行者であることを示してした行為は、相続人に対して直接に効力を生じることになる(同法1015条)。そして、遺言執行者は、遺言の内容を実現するために、遺言の執行に必要ないっさいの行為をする権利・義務を有する(同法1012条1項)。また、遺言執行者がある場合には、相続人は相続財産の処分など遺言の執行を妨げる行為をすることができず(同法1013条1項)、これに違反してなされた行為は無効となる(同法1013条2項本文)。ただし、その無効は、遺言に反してなされた行為であることを知らない第三者には、主張することができない(同法1013条2項但書)。
 なお、遺言執行者がいても、相続人の債権者は、相続財産についてその権利を行使することができる(同法1013条3項)。
[高橋康之][野澤正充]2019年7月19日

国際私法上の遺言

日本でも遺言をする人が増えてきているが、欧米では古くから遺言をする人の割合が日本に比べて格段に多い。そして、各国の遺言に関する法律内容は異なっている。たとえば、遺言の検認制度について、日本法によればこれは遺言書の状態を検証し、後に変造されることがないようにその保存を確実にする手続であるが、英国法によれば、法定の方式に従って遺言能力がある者が作成したものであるか否かを決定する手続とされている。このような違いのため、遺言の成立および効力をめぐって、いずれの国の法律を適用するかという国際私法の問題が生ずることが少なくない。
 日本の国際私法典である「法の適用に関する通則法」(平成18年法律第78号)では、第37条に遺言の準拠法が規定されている。それによれば、遺言の成立および効力はその成立の時点における遺言者の本国法によるとされている。しかし、この規定の適用において注意しなければならないのは、ここでいう「遺言の成立および効力」とは、遺言能力、意思表示の瑕疵(かし)、遺言の効力発生要件や効力発生時期などの遺志を伝えることに関する事項だけであるという点である。遺言の内容として財産の処分について意思が示される場合、そのとおりに実現されるか否かを決するのは、同法第36条により定まる相続の準拠法である。相続の準拠法上、遺留分が認められていれば、それを侵害するような遺言は認められない。遺言の準拠法も相続の準拠法も日本ではともに本国法とされているが、遺言のほうは遺言成立時の本国法であり、相続のほうは相続時つまり死亡時の本国法であるので、遺言をした後に国籍を変更して本国法が変われば、両者の準拠法は異なることになる。同じく、遺言において、認知をしたり、信託をしたりする場合には、その認知や信託の成立および効力はそれぞれ同法第29条により定まる認知の準拠法や第7条により定める信託の準拠法による。
 法の適用に関する通則法第37条2項は遺言の取消しは取消しの時点における遺言者の本国法によると規定している。ここでいう取消しとは、有効に成立した遺言の撤回である。
[道垣内正人]2016年5月19日

遺言の方式の準拠法

法の適用に関する通則法のほかに、「遺言の方式の準拠法に関する法律」(昭和39年法律第100号)がある。これは、ハーグ国際私法会議が作成し、1961年(昭和36)に署名された条約を批准してそれを国内法化したものである。遺言の外部形式、すなわち、遺言作成にあたって書面を作成する必要があるか、自筆でなければならないかといった問題に関して、いくつかの法律を並列的に定め、そのいずれかによって方式に関して有効とされれば、方式上は有効と扱うことを定めている。規定されている準拠法は、行為地法(遺言を作成した地の法律)、遺言者が遺言成立時または死亡時に国籍、住所または常居所を有していた地の法律、不動産に関する遺言については、その不動産の所在地法、以上である。このように選択的に多くの法律を列挙しているのは、できるだけ遺言者の意思が有効なものとして扱われるように、少しでも関連性のある法律上の方式に従っていれば、それでよいことにしようという遺言保護の考え方に基づくものである。
 なお、日本法が準拠法となる場合にも、外国的な要素を含む事案であれば、純粋な国内事件とは異なる法適用がなされることがある。たとえば、無国籍のスラブ人としてロシアで生まれ18歳のときに来日して以来40年間日本に居住し、遺言作成の1年9か月前に日本に帰化した遺言者が、署名はしたものの捺印(なついん)を欠く自筆遺言証書を残して死亡した事件において、遺言者は片言の日本語はできたものの、主としてロシア語・英語を用いて日本社会にはなじまない生活をしていたことを認定し、そのような事情のもとでは、捺印を要する旨規定している民法第968条1項の解釈として、署名だけしかなくても有効としてよいとした判例がある(最高裁判所昭和49年12月24日判決、民集28巻4号83頁)。
[道垣内正人]2016年5月19日