日本大百科全書(ニッポニカ)

核兵器禁止地域
かくへいききんしちいき
Nuclear-Weapon-Free Zone 英語

1975年国連総会決議では、国際条約により境界が確定された地帯で核兵器の不在が確保され、義務の遵守を確実にする国際的管理・検証制度が設けられ、議定書などで核兵器国の同地帯に対する核兵器の使用、使用の威嚇が禁止される地帯と定義されている。略称NWFZ。
 1950年代にはソ連が、中部ヨーロッパ、アドリア海、地中海、太平洋などを対象とする多くのNWFZ提案を行った。これらはいずれも東西対立のもとで政治宣伝色が濃いものであったが、ポーランドの外相ラパツキの提案(ラパツキ・プラン、1957年)は、真剣に実現を目ざしたものとして注目された。この案は、東西ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアを対象とし、域内の核兵器の禁止とともに、同地域に対する核兵器国の核不使用義務を規定したほか、監視制度の構想も含んだ具体的なものであった。しかし、その後協議を通じて2回にわたり修正案が作成されたが、西側の受け入れるところとならず、実現しなかった。NWFZは時代によって関心やねらいが変わってきた。1960年代には東西対立から自らを切り離そうとする南半球の広域のNWFZが構想された。代表的なものは、1960年のフランスのサハラ砂漠における核実験に危機感を覚えたアフリカ諸国が国連総会に提案し採択された「アフリカ非核化決議」(1961)、および第1回アフリカ統一機構(OAU)首脳会議による「アフリカ非核化宣言」(カイロ宣言、1964年)である。アフリカ全域を対象とするが、総会決議や一方的宣言であるため法的拘束力はなかった。もう一つは、キューバ・ミサイル危機(キューバ危機、1962)で核戦争の脅威を肌で感じたラテンアメリカ諸国が交渉を開始した、ラテンアメリカ、カリブ全域を対象とするNWFZ案である。1967年2月に人間が住む地域における史上初のラテンアメリカ核兵器禁止条約(通称トラテロルコ条約)の合意にこぎ着けた。2002年にラテンアメリカ、カリブ地域の域内33か国すべての署名・批准が完了した。この地域に属領などをもつフランス、イギリス、オランダ、アメリカを対象とする第一議定書、5核兵器国を対象とする第二議定書もすべての対象国で批准され発効している。
 第三世界に核拡散の懸念が高まった1970年代には、中東、南アジアのNWFZ案が国連総会などで提案されたが、域内国の利害対立が厳しくいずれも実現しなかった。このうちイスラエルの秘密裏に保有するとされる核戦力を牽制(けんせい)する中東NWFZ案は、アラブ側から現在に至るまで継続的に提案されているが、1995年の核不拡散条約(NPT)運用検討・延長会議では、アメリカ、イギリス、ロシアの提案により中東の大量破壊兵器禁止地域設置に言及する決議が採択された。さらに2010年5月のNPT運用検討会議では、この中東決議実施のための国際会議を2012年に開催することが合意されたが、2019年6月現在、実現していない。アメリカは中東問題をNPT運用検討会議で取り上げることに反対している。
 NWFZ構想が実現に向けて動きだしたのは、1980年代なかば以降である。最初に動いたのはアメリカ、イギリス、フランスの核実験や原子力発電から生じる放射性廃棄物の海洋投棄に不安を抱く南太平洋フォーラム(SPF。現、太平洋諸島フォーラム=PIF)で、1985年8月、南太平洋非核地帯条約(通称ラロトンガ条約)を採択した(1986年12月発効、2017年時点で16か国・地域中13か国・地域加盟。属領をもつフランス、イギリス、アメリカ対象の第一議定書、5核兵器国対象の第二議定書、核実験を禁止する第三議定書は、アメリカが署名のみで批准していないが、他のすべての国で発効している)。
 これが先例となり、冷戦終結後の1995年に二つのNWFZが実現した。一つは長い間核兵器開発の疑惑がもたれていた南アフリカが、1991年非核兵器国として核不拡散条約(NPT)に加盟したのを受けて、アフリカ統一機構(OAU。現、アフリカ連合=AU)が1995年6月に採択したアフリカ非核地帯条約(アフリカ非核化条約、通称ペリンダバ条約)である。アフリカ54か国を対象としているが2019年3月時点で、41か国が加盟している(うちサハラウィ民主共和国は国連未加盟。13か国が署名のみ)。5核兵器国の核使用を禁じる第一議定書、核兵器国の核実験を禁止する第二議定書は、アメリカは署名のみであるが他は批准している。属領などをもつフランス、スペイン対象の第三議定書は、フランスで発効しているがスペインは署名していない。
 同じ1995年に東南アジア非核地帯条約(バンコク条約)も調印にこぎ着けた。東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン)、当時7か国)とラオス、カンボジア、ミャンマー(現在はASEAN加盟国)は、1971年以来、平和自由中立地帯(ZOPFAN)構想とともに非核地帯(SEANWFZ)を追求してきたが、1995年12月にこの条約に調印した。1997年3月に発効し、2001年のフィリピンの批准によりASEAN諸国すべてが締約国になった。この条約、議定書の一つの特徴は締約国領域のみならず大陸棚や経済水域にも適用されることである。議定書は5核兵器国に条約締約国および条約地帯への核使用および使用の威嚇を禁止している。東南アジア諸国と南沙(なんさ)群島などの領有権を争う中国が異議を唱え、また艦船の自由航行への影響を懸念するアメリカも修正を求めており、2019年3月時点で、議定書に署名した国はない。
 最後に2009年に北半球では唯一のNWFZである中央アジア非核兵器地帯条約(セミパラチンスク条約、CANWFZ)が、2006年、署名された。中央アジア5か国(カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)は、1997年にアルマトイ宣言を発し、非核兵器地帯設置を目ざした。このNWFZの背景にあったのは、旧ソ連時代のカザフスタンのセミパラチンスク(セメイ)核実験場、ウラン鉱石採掘場、精錬場などの深刻な環境汚染であった。実際アルマトイ宣言のかなりの部分は環境回復にあてられている。2005年2月に条約および議定書案文に合意、2006年9月、セミパラチンスクで署名式、2009年3月に発効した。環境回復については、過去の核兵器および核爆発装置の開発、生産、貯蔵から生じた汚染土壌、ウラン残留物貯蔵場所、実験場の環境回復に向けたあらゆる努力を支援することが約束された(6条)。議定書は核兵器国に核使用および使用の威嚇を禁止する。中国はロシアとの間に非核の緩衝地帯ができ、ロシアも集団安全保障条約(タシケント条約、1992年、CST、機構化は2004年)により影響力が及ぶことから、両国は議定書の締約国となっている。他方アメリカ、イギリス、フランスは、この条約が過去の条約における権利・義務に影響しない、と規定する第12条を問題にしている。すなわち旧ソ連の独立国家共同体(CIS)諸国の集団安全保障条約を通じ、緊急時にロシアの戦術核配備がありうるのではないか、との疑念から議定書署名に難色を示した。2017年時点でイギリス、フランスは留保付きで批准、アメリカは署名したが批准していない。
 NFWZは当初の、東西対立に巻き込まれることからの回避に始まり、核実験の阻止、放射性廃棄物投棄阻止、原子力事故防止、環境安全保障へと関心が移りながら南半球のほぼ全域を覆い、北半球へも広がった。冷戦後の複雑な国際情勢のもとではNWFZは核兵器国間の戦略環境の安定化、核不拡散、地域的な信頼醸成と緊張緩和に寄与する重要な措置として意義が大きくなっている。
[納家政嗣]2019年7月19日