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1875年(明治8)に、民事・刑事の上告を受け上等裁判所以下の審判の不法なるものを破毀(はき)して全国法憲の統一を主持するところとして創設され、新憲法が施行されるまで存続した最高の司法裁判所をいう。主として、終審として、控訴院の裁判および地方裁判所が第二審としてなした裁判に対する上訴(上告・抗告)の審判、および第一審にして終審として、皇室に対する罪に関する刑法第73条(1947年削除)および第75条(同前)、内乱に関する第77条ないし第79条の罪の予審および裁判を行った。若干の民事部・刑事部が設けられ、各部では5人の判事からなる合議体が審判を行い、事件の性質によっては、民事の総部もしくは刑事の総部または民事および刑事の総部を聯合(れんごう)して審判を行った。大審院は現在の最高裁判所に相当するが、最高裁判所が司法行政監督権、規則制定権、違憲立法審査権をもつのに対し、大審院はこれらの権限をもたなかった。1921年(大正10)までの大審院判決録、1922年以後の大審院判例集がある。