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東京都千代田区、皇居の南東にある代表的な都市公園。江戸初期は入江であったが、埋め立てられ武家屋敷地となり、当時設けられた日比谷門の石垣が北東隅に残っている。佐賀藩鍋島(なべしま)家、長州藩毛利(もうり)家などの屋敷があったが、明治初年取り壊され練兵場となった。1889年(明治22)市区改正のとき公園と定められ、1903年ドイツを範として、大規模な西洋式公園が開園した。面積16万1637平方メートル。石垣近く、ツルの噴水のある心字(しんじ)池は江戸城内濠(うちぼり)の名残(なごり)で、その南に小音楽堂、大噴水、西方に雲形池、レストランの松本楼、大音楽堂がある。また南端に1908年(明治41)設立の正三角形の日比谷図書文化館(旧、日比谷図書館)、1929年(昭和4)設立の日比谷公会堂がある。公園内には二つの西洋花壇があり、四季の花が咲き誇っている。そのほか、二つの池を囲んで日本式庭園がある。公園事務所として設計されたバンガロー形式の公園資料館は明治時代の洋風建築物として貴重である。
1905年(明治38)のポーツマス日露講和条約に不平をもった群衆の日比谷焼打事件、1922年(大正11)普通選挙法促進のための尾崎行雄(ゆきお)の演説、また1936年(昭和11)の二・二六事件では野戦重砲が置かれるなど、都心にあってつねに日本の近代史の波にもまれてきた。